「後書きと報告書」

 夕日が西の空にその姿を沈め、夜のとばりが下りてしばらくしてからフィルフィナが戻って来た。

 葬儀屋そうぎやを回ってきたリルルが帰宅したのももう暗くなってからの時間だったが、あかり一つついていない屋敷に少なからずおどろいたものだった。


「フィル、どこに行っていたの?」

「色々と調べ物を……」


 足取りがふらついている。


「だ……大丈夫?」


 疲れを見せる、ということをあまりしないフィルフィナの消耗しょうもうぶりにリルルは思わず聞いてしまっていた。


「お嬢様……しばらく大人しくしていてくださいね……」


 屋台で買ってきたとおぼしき食事をリルルの居間いまのテーブルに並べ、フィルフィナはそれ以上の会話を交わさず部屋を出て行った。元々小柄こがらな体がますます小さく見えた。

 ぱたん、とかすかな音を残して閉まった扉を、リルルはぱちくりと数度まばたきして見てしまう。


「……だいぶ疲れているのかな?」


 フィルフィナがコミケで同人誌を売っていたなんていうおどろきはもう、彼方かなたに吹き飛んでいた。コナスが殺されかけた衝撃しょうげきに上書きされてしまっている。


「フィル、私がお風呂作る?」

「……お願いします……」


 階段下のメイド部屋。リルルの部屋の真横にある、外をのぞく窓もない――物置同然の、フィルフィナの部屋だ。新入りのメイドが押しつけられる部屋だったが、自分以外にメイドがいなくなってもフィルフィナはかたくなにその部屋を使い続けていた。


 別のいい部屋に移ればいいのに、と提案しても何度も首を横に振る。自分から何故その宝物を取り上げるのか、という勢いで反論された時もあった。


 腕をまくったリルルが浴槽よくそうを洗い、ポンプを動かして水をみ、ボイラー内の魔鉱石に火を点けてもフィルフィナからは音沙汰おとさた一つなかった。いつもなら「わたしがやりますから」と飛び出して来そうなものだが、その気配もない。


「フィル、お風呂できたよ」

「ありがとうございます……」


 寝台ベッドで横になっていたのかメイド服を少し着崩きくずしたフィルフィナが、リルルに小さく礼をして目の前を歩いて行った。足が地についている感じがしなかった。

 風呂場の扉が軽い音を立てて閉まったのを見送って、リルルは額の汗をぬぐった。


「……フィル、どうしたのかな?」



   ◇   ◇   ◇



 翌日、リルルは一日を大人しくするつもりで部屋の中にこもっていた。

 フィルフィナは「出かけます」と一言ひとこと残し、朝から姿を消している。一晩ゆっくりと寝たためか顔からかげはいくらか取りのぞかれてはいたが、どこか表情はえないようだった。


「大人しくしていろ」というのは、わたしがいいというまで動くな、ということだろうか――ほとんど会話を交わしていないが、フィルフィナは今回の事件の背後を調べているのだろう。そのフィルフィナの調査の結果を待つつもりで、リルルは今日一日を部屋で過ごそうと考えた。


 寝台ベッドに寝そべり、かたわらにニコルの人形を置いて、彼に読み聞かせるようにしてゆっくりと読んでいる本は――快傑令嬢リロット同好会が出版を計画している「快傑令嬢記録・第一弾」だ。

 フィルフィナに内緒で買い置きしているクッキーをぽりぽりとかじりながら、時にうつらうつらと居眠いねむりをはさんで、リルルは怠惰たいだに時間を過ごした。


 本の記述きじゅつ、快傑令嬢リロットが解決してきた事件の記録としてはほとんど正確だ。だが、正確だからこそリルルには逆におどろきが少ない。ほぼ正解の答案用紙の答え合わせをしているようなものだった。


 記載きさいされている最後の事件、この本の最後をめるに相応ふさわしい大事件である「ゲルト侯爵反乱計画暴露ばくろ事件」の項目こうもくが終われば、最後はこの本を編集したものの後書きしかなかった。


「今……何時……」


 時計を見る――時刻は午後の四時に差し掛かろうとしていた。三百ページせまるそこそこ分厚い本だが、読む速度としてはかめの歩みのようなものだろう。半分以上寝ていたようなものだ。

 フィルフィナが帰っている気配はない。朝から出かけたっきり、一度も戻っていないのか。


「――あ」


 後書きの頁には「記・快傑令嬢リロット同好会会長」とあった。本名を明かすことができないのでそんな表し方なのだろうが、コナスの文章に間違まちがいはない。


 長い後書きだった。この本を編集しようと思ったきっかけ、動機の説明からそれは始まっており、リルルの目がその文章をたどる。


「――――」


 だらしなく寝そべっていた体を起こし、寝台に腰掛ける。ひざにニコルのぬいぐるみを置き、その前に本を置く。ほとんど空白がない、文字でびっしりと埋められた紙面をゆっくりと読んでいく。


「――――あ…………」


 はら、と、リルルの頬に涙が一線ひとすじ、零れた。左の目から肌を涙の玉が転がる感触で、自分が泣いているとわかった――そんな涙だった。


『――確かに彼女は民衆に希望を与えている。王都のあらゆる場所で行われている不正、悪事、陰謀いんぼう。それを華麗かれいに叩きつぶす彼女の活躍に、みな称賛しょうさんの拍手を送っている。彼女に助けられたという数多い人々に、私も取材で接触せっしょくした。その全ての人が笑顔で彼女について語っていた。


 しかし、それは決して、彼女にとってよいことではない。


 彼女が活躍するような場所を作ってしまっている我々自身についても、もっと深く考え直す余地よちがあると私は考える。彼女がドレスをまとうことなく、一人の少女として普通に暮らせるような世の中にすること。


 それが、我々のたたかいなのだということを記して、この本の終わりとしたい――』


 ぱた、と音を立てて本を閉じた。同時に、右の目からも涙が線を引く。


「――私、行かなくっちゃ」


 この文章をしるしたコナスは今、誰にねらわれているのかもわからない状況じょうきょうで、あの屋敷に閉じ込められたも同然の身でいるのだろう。

 助けなければならない。


「行かなくっちゃ」


 フィルフィナあての書き置きを短く記して、リルルは今の姿見スタンドミラーの前に立った。右手首にめられた黒い腕輪の存在を意識しながら、手の平をそっと鏡に合わせる。

 鏡が、波打った・・・・。一瞬の発光を示して、手が鏡の中に沈んで行く。


 水でできた壁を抜けるような感覚――それを体の全部で受けながら、リルルの身の全てが鏡の中に消えていった。



   ◇   ◇   ◇



 フィルフィナは昨日と同じ、河川敷かせんじきのベンチに座っていた。

 変わらぬ通行量を見せて船が行き来する運河をながめながら一人、人気ひとけのない河川公園かせんこうえんと運河を前にしながら人を待つ。


 夕日はその姿の半分以上を西の彼方かなたに隠そうとしていて、それがゆっくりと沈んで行くに連れてフィルフィナの心をあららせた。まだ約束の時間の範囲はんいではあるが――遅いのではないか。ひょっとしたら来ないのではないか? 来なかったら、わたしはどうすれば――。


「『明日は雪のようですね』」


 フィルフィナの背筋がはねた。気づかれずに背後を取られた、という、いつもではあり得ない事実に動揺どうようする。


「『そんなことないでしょう。雪ではなくて雨ですよ』」

「『では、赤いかさを用意しなければなりませんね』」

「――来てくれましたね」

「これが私の仕事ですから」


 昨日と同じ黒いフード、マント姿の男がベンチに座っていた。


「とはいえ、かなり手間取てまどりました。これが調書です」

「では、残りの代金を」


 二つの袋が交換される。

 フィルフィナは分厚い手書きの冊子さっしを取り出し、男は包みの中の札束さつたばを数えた。


「――がく間違まちがっていますよ。半金で二百のはずでしたよね」


 かすかに怒気どきがはらまれた声。


「問題ないでしょう?」

「ないわけないでしょう。しっかりして下さい――百も多い」

心付けチップのようなものです」

「お心遣こころづかいはありがたいが、多い分はお返しする。私は四百の仕事しかしていない」


 裸の札束が一つ、後ろ手に寄越よこされた。フィルフィナは小さく息をいてそれを受け取る。


「あなた、私を本当は信用していませんね?」

「……九十九の正しい情報の中に、たった一つの嘘を混ぜられても破滅はめつするのがわたしたちですから」

「そんなことをしたら、あなたは私を地獄の底までも追ってくるでしょう。――他人を信用しないのが生き残る術だという信念はわかりますが、私にも矜持プライドというものがある」

「失礼しました」

「もう日が落ちる。調書の確認を」


 うながされてフィルフィナは冊子をめくった。アメジスト色の瞳が上下にせわしなく動く。

 ページが進むにつれて、フィルフィナの表情からおだやかさががれ落ちていった。


「――最初から違和感いわかんがあったのです。エルカリナの第一王女であったハーベティのとつぎ先が何故、ベクトラル『伯爵家』だったのか。かくが低すぎる――」

「まあ、それは公式記録みたいなものですから、図書館でも調べられる情報です」

「――元は、ベクトラル『大公家』だったのですね……」


 おかしな話だと思っていた。コナスが離婚りこんした四人。二人が公爵家の娘で、もう二人は小国ながらもれっきとした王女なのだ。

 いくら母親が元王女であったとしても、不自然過ぎる格違いの縁談えんだんだった。


「しかし、ヴォルテール家については公式から抹消まっしょうされた情報です。それについては、人の記憶にしか残っていないはず――まあ、個人の日記のたぐいなんかは消せませんがね」

「……もう、出仕しゅっしも義務づけられていないヴォルテール男爵家」

「ええ……元はヴォルテール『大公家』だったわけです」


 エルカリナ王家の血筋がえれば、速やかに王位をぐと明確に定められた二つの大公家。

 それが何故片方は伯爵家、もう片方は貴族としては最下位ともいえる男爵家にまで落とされているのか。


「ヴォルテール家がベクトラル家に私戦しせんいどみ、両者痛み分けに終わった……」

「仕掛けた方のヴォルテール家は責任を取らされて男爵家に格下げ――さすがに大公家を完全につぶすことはできなかったわけですが。ベクトラル家の方も、騒動を起こしたという理由で伯爵家にまで格下げ。将来に大公家に戻すという密約みつやくつきですがね」

「……あのコナス様が王位を継ぐ可能性があるなどというのは、ハーベティの妄想もうそうではなかったわけですね……」

「今月始めにあった、ゲルト侯爵を首魁リーダーとする反乱計画。首尾しゅび良く王家の方々が殺されていれば、王位はベクトラル伯が継ぐことになる――そういう機構カラクリになっているようです。彼は王位継承権けいしょうけん第八位だそうですよ。暗黙あんもくの了解、というやつですがね」


 フィルフィナは、あの人の良さそうな――人の良い顔をしたコナスの頭に、エルカリナ王位を象徴しょうちょうする王冠おうかんっている様を想像した。

 どう考えても王冠が浮いていた。

 そして、そのかたわらにいる、王妃の冠をかぶったリルルの姿――実に悪い冗談だ。


「――問題は、その二つの大公家が創設そうせつされた理由です。もう二百年前にさかのぼ出来事できごとなわけですが、それと、公式にはもう三十年も姿を見せていない、ヴォルテール男爵家の当主……」


 フィルフィナのページをめくる指が震えている。とんでもないものを自分は用意させてしまった、その認識があった。


「……これは、事実なのですか?」


 ヴォルテール男爵――と推定される・・・・・男の似顔絵。その頁に行き当たったフィルフィナの指はもう止まってしまっている。


「調査員二名の調査の結果ですが、報告は一致いっちしていました。可能性は限りなく高い――事実と見なして問題ないかと」

「年齢は確か、もう四十に届くはずでしたよね……」

「はい。コナス・ヴィン・ベクトラル伯と同年代のはずです」

「では……この顔はいったいどういうことなのですか?」

「そこまではわかりませんでした」


 男がベンチを立つ。西の空にはあかさの余韻よいんしか残っていない。気が早い人間なら、一日のさを晴らすために飲み屋にけ込む時刻だった。


「その理由の調査は、いくら金を積まれてもお断りしますね。危険過ぎる」

「……わたしもそんな無茶をお願いはしません」

「ひとつ、ご奉仕サービスで忠告させていただくとすれば――その二つの家との関わり合いは、持たない方がいい。長生きしたいならね」


 では、といい残して男は去って行った。

 フィルフィナは立てない。

 日が落ち、空が夜の闇色に染まりきった中で――黄金色の月がぎらりと鋭く光る。


 その冷たい光がフィルフィナに冷徹れいてつな事実を見せつけるように、ひざの上の冊子さっしを照らしていた。

 フィルフィナがそれ以上めくれないページ

 そこには、どう見ても十代前半としか見えない、幼いともいっていい少年の似顔絵がっていた。



   ◇   ◇   ◇



「……お嬢様にお知らせしないと」


 茫然自失ぼうぜんじしつとしていた状態から立ち直り、フィルフィナは家路いえじを急いでいた。自分たちはとんでもない事態に巻き込まれようとしている――詳細しょうさいははっきりしなくても、その認識だけは確かだ。


 フォーチュネットていにたどりついたフィルフィナの背筋をこおらせたのは、あかりの一つもついていない屋敷の様子だった。


「――お嬢様!」


 施錠せじょうされた玄関を開けるのももどかしく、屋敷の中に入る。ランプもついていない真っ暗な邸内ていないを、夜目だけを頼りにリルルの部屋に向かった。


 月明かりが差し込んでその姿が浮かび上がっているテーブルの上に、一通の書き置きが残されていた。それを手にしたフィルフィナの心臓が一瞬、止まった。


 書き置きには『ヴォルテール家を調べに、フェーゲットの森に行ってきます』と記されていた。

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