「潜入、そして……」

 リルルは、いや、薄桃色のドレスに身を包んだ快傑令嬢リロットは、フェーゲットの森の中をひた走っていた。


 木々が立ち並ぶ密度が高く、まっすぐには走れない森。夜であるからして一面の闇だが、彼女がかける魔法のメガネはそんな真の闇の中でも物体や人の輪郭りんかくを浮かび上がらせてくれる。

 森は広大で、深い。こんな場所に好き好んで住む人間はいないと思わせるほどに。


 屋敷から転移鏡てんいかがみを通り、運河を挟んだ王都西部の港湾こうわん地域近くにある秘密のアジトに一瞬で移動した。その秘密のアジトからさらに、王都の城壁を越えて遠くに空間を飛び越える、緊急きんきゅう脱出用ともいえる転移鏡が用意されている。


 姿見スタンドミラーの形と大きさをしているその転移鏡は、隠すために何かしらの障害物しょうがいぶつまぎれ込ませなくてはならない――その理由から、北方に抜ける鏡をあらかじめフェーゲットの森の中に設置していたのが幸運として働いた。


 誰の目にも止まることなく一瞬でフェーゲットの森に移動を果たしたリルルだが、その森のいったいどこにヴォルテール家の屋敷があるのかは把握はあくしていない。


「屋敷があるんだったら、細くても道があるはずよ。外周を沿っていったら道が見つかるはず。あとは、その道をたどればいい――」


 赤いハイヒールはリルルに常人の数倍の脚力きゃくりょくを与えてくれる。人の背丈の五倍をぶのも容易よういくつの力で、リルルは木々の間を風の速度で走っていた。


「――コナス様、私、あなたが考えているような、そんな立派な理由で戦ってない」


 走りながら、思う。闇の中で思考がまとまっていく。

 意に沿わない婚約こんやく相手であろうが、弱きもの、ぜんなるものが無慈悲むじひしいたげられようとしているのをの当たりにして、だまってはいられない。


「――最初のたたかいだって、成り行きだった。道端みちばたで泣いている行き倒れ寸前の男の子を見つけて、可哀想かわいそうだったから食事と寝床ねどこを与えてあげて、その子が行方不明ゆくえふめいになったお姉さんを探していることを知って……」


 小さな村から、まずしさゆえに身を売った少女。しかし身売りの対価は満足に支払われず、その少女は一方的に搾取さしぼられる身となった。苦労の末に少女を売春窟ばいしゅんくつで見つけ――少女も男の子も覚えのない、正気の人間であれば決して署名サインしないような内容の契約書けいやくしょを突きつけられた。


 いきどおったリルルはそれを役所にうったえに乗り込み、無下むげに追い払われた、帰宅の途中で背中をねらわれた――役人もその売春窟と結託けったくしていたのだ。


 命からがらなんのがれたリルルは知った。

 ――無法むほうには、無法で戦うしかないと。


 だから力を望み、フィルフィナから力を借り受け、勇気ひとつで無法と戦ったのだ。自分でも無様ぶざまとしか思えない不器用ぶきような戦いの末に、最後はこの薄桃色のドレスをまとって悪にトドメを差した。

 少年の姉、同じような目にっていた少女たちを救い出し、感謝の言葉と眼差まなざしを受けた時――リルルの心は震えた。


「――それまで、ぼんやりと生きてきた私。自分が望まれていると実感できて、嬉しかった。その嬉しさが忘れられなくて、いろんな事件に首を突っ込んで来たのかも知れない。全て衝動しょうどうで戦っていたのかも知れない。理想なんて私にはない。ただ、感情で戦ってきただけなのよ」


 快傑令嬢という異名いみょうが新聞に出て来たころには、王都の民衆たちはその活躍をつづった号外を喜んで買っていた。自分ではない自分の活躍が紙面におどることもまた、リルルの喜びだった。


 求められている、と実感した。


 本当は全て、自分のためだけに戦ってきたのかも知れない。

 自分は人をすくってきたのではない。人に救われてきたのだ。


「私、自分が何のために戦っているのか、それを考え直さないといけない。――それを考え直すために、あなたを助けさせて」


 リルルは足を止めた。木陰こかげに身を隠す――森の中に青白いあかりを目が確認していた。距離きょりはだいぶある。その光が届かない向こうからは、こちらを視認するのは無理だろう。

 灯りの列が横に五十メルトほどごとに並んでいる。――道がある、ということか。


「――警備騎士……?」


 白い胸甲きょうこう装着そうちゃくし、かぶとかぶったその姿はリルルがよく目にする王都警備騎士団の騎士たちのものだ。しかし、基本的に王都の城壁の内側でしか活動しない彼らが何故ここにいるのか。


「ヴォルテール家の警備に来たのかな……」


 コナスがおそわれた一件で、ベクトラル家からの報復ほうふくがあるという予想にもとづいてのことだろうか。確かな根拠に基づくものなのか、被害妄想ひがいもうそうから来ているものかは定かではないが。


「取りあえず、屋敷は……こっちの方か……」



   ◇   ◇   ◇



 フィルフィナは秘密のアジトにいた。

 一秒でも早くリルルの――いや、今は快傑令嬢となっている彼女リロットの元に追いつきたかったが、このメイド服姿で行くわけにはいかない。


「うかつでした……もっとお嬢様にきつく釘を差しておくべきでした……!」


 アジトの一部屋、頑丈がんじょう施錠せじょうしてある一室を開く。ロクに掃除もしていない廃工場の一角にホコリが舞い、息を止めながら扉の奥に進んだ。


 もどかしい心地でメイド服の全部を脱ぎ捨てる。長い髪をひもで器用にまとめ上げ、頭の後ろで団子結びにすると、めったに人に見せることのない、エルフ特有の長い耳があらわになった。

 すみに置いてある大型箪笥タンスの引き出しを開ける。中に入っている鎖かたびらを身につけ、その上から暗緑色あんりょくしょく装束しょうぞくをまとう――体の線を全て出す、ひらついたものが一つもないものだ。


 同じ色の足袋たびき、脚をおお脚半きゃはんをつける。草履ぞうりを固く足に固定し、腕には手甲てっこうめた。頭の全体をおお覆面ふくめんをするが、耳だけは完全に露出ろしゅつさせる――この耳さえ外に出ていれば、目をつぶっていても外部の様子は探れる。


 その耳にも塗料とりょう丁寧ていねいに色をる。いうまでもなく、装束と同じ色だ。


 もう一つの引き出しを開けた。中には刀剣や銃器が隙間すきまなくき詰められている。その中から適当に四丁よんちょう選び、それぞれに弾薬を装填そうてんして腰と足に差し、一振りの全長一メルトほどの刀を背負せおった。


「……お嬢様は、ヴォルテールていの正確な位置を知らないはず。追いつけるか……追いつかないと……!」


 フェーゲットの森に抜ける転移鏡の前に立つ。覚悟を決めて、その表面に手を乗せた。


「――お嬢様、短慮たんりょはなりませんよ……!」



   ◇   ◇   ◇



 森を深く分け入った――一カロメルトは入った所か、猟師りょうしでもなければこんな所には入らないだろうという奥深くに、その屋敷はあった。

 そこだけが四角く切り取られたような、木々のない空間。少し離れてその屋敷を観察するリルルの目が――おどろきに見開かれていた。


「なに、これ……」


 四方しほう、百メルトはありそうな屋敷を囲んで幅五メルトほどのほりが掘られ、そこにはどこから引いているのか満々まんまんと水が満たされている、その内側の際にきずかれているのは、高さ五メルトほどの高いへいだ。


 四隅よすみ物見ものみとうが建てられた塀の向こうに、四層はある屋敷の姿がある。これも立派な尖塔せんとうをいくつか持つ、コンクリート製の頑丈がんじょうな建物だった。


「まるで、城じゃない……!」


 まともに屋敷に入ろうとすれば、ね上げ式らしい橋を渡らなければならない。が、そこは大勢の兵士――警備騎士にヴォルテール家の私兵しへいだかが混じった連中が、数十人の数で警戒を敷いていた。


「これで男爵家の屋敷なの? 公爵様だってこんなのは持ってないわ……こんなものがこの森にあるなんて、うわさを聞いたこともなかった……」


 確か、この森の中に追放された家だといっていた――男爵家の財力などは知れているものだ。こんな、とりでとして十分に機能する屋敷を構えることも維持いじすることも、ほぼ不可能といっていい――まともな男爵家・・・・・・・であれば。


 深く広い水堀も高い塀も、リルルにとっては障害ではない。が、ことごとく規格きかくの外をいくその威容いようにリルルはなかじ気づいた。


「……ここからながめているだけでも、仕方ないか」


 屋敷の上層を見る。明かりはついていない――当然か。人は空からはやってこないものだ。

 そこから攻めるべきか、と覚悟を決めて、リルルは右手首の黒い腕輪をかかげた。



   ◇   ◇   ◇



 黒い腕輪の透過とうか能力――ほんの瞬間だけ、あらゆる物体をけて通ることができる力――を使って、尖塔の窓にめられたガラスをすり抜けた。

 壁は少し見ただけでは厚さがどれだけあるのかわからないのだ、気軽に使ってはいけない。フィルフィナがこの能力について説明してくれたのをリルルはよく覚えている。


 尖塔は無人だった。ここから外を監視するには遠すぎる。監視の人員は塀の塔の方に割り振られているようだ。

 人の気配がしないのをみしめるように確認しながら、螺旋らせんの階段を下りる。


「なんか、引き込まれている気がする……」


 ヴォルテール家を調べに、とここに侵入したわけだが、具体的にどう調べようという計画がなかったことにいまさら気づく。屋敷に行ってみればなにかわかるだろうという、とんでもなくぼんやりとした発想で動いている自分の迂闊うかつさに、一歩一歩忍び歩きをするたび嫌気いやけが差した。


 なんだかんだで、自分は正面突破しか考えない。正面に入るために多少の小細工こざいくはするにしても。


「フィルがいないと私、ダメね……」


 階段を下りきり、廊下ろうかに出た。下にくだる階段はまた他の所にあるのか。ここからどう動くべきか。

 フィルフィナが帰って来るのを待てばよかった? いや、浅瀬あさせの段階で引き返せばいいのだ。万が一見つかったところで、自分は相手に遅れは取らないのだから――。


「誰だ」


 その声を聞いた瞬間、リルルの心が縦にびきった。それにられて、背筋から爪先までの全てが張り詰めた。


 聞いたことのある声だった。――いや、忘れようもないはずの声だった。

 そして同時に、まさかこんな所で・・・・・・・・聞くとは思ってなかった声・・・・・・・・・・・・だった。


 体より先に心が振り向いている。一秒の半分もかからないはずの動作だったが、心に体の動きがともなわないことがどうしようもなくもどかしく感じられる。


 ずっと、聞きたいと思っていた声。聞きたいことを忘れていた声。

 そして。

 ――ここでは絶対に聞きたくなかった声であることを、リルルは思い出していた。


「――あなた!?」


 リルルの叫び声と同時に、声の方向に青白い明かりが灯る。

 廊下の闇を魔鉱石の光が払いのけ、ランプを持つ人間――男――少年の姿を浮かび上がらせた。


 白い胸甲を胸につけ、肩からは赤いマントを羽織っている。かぶとは――脇に抱えている。そのために、心に焼き付いている・・・・・・・・・明るい金色をした髪が下からの光を受けて柔らかそうに輝いていた。


「君は――君のその姿は」


 その声が耳を打つ度に、リルルの心が体から離れるのではないかという勢いでねる。目頭めがしらが一気に熱くなり、両の目の端からほろほろと涙がこぼれ落ちた。


「君が、快傑令嬢リロットなのか――」

「――ニコル!!」


 湖面の青さを思わせる深い水色の光をたたえた瞳が、まっすぐにリルルを見ている。

 写真ではなく、生きて目の前にいてくれるその姿に、リルルはそれ以上の言葉が出せなくなっていた。

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