「祭の跡」

 リルルを扇状おうぎじょう半包囲はんほういしていた偽快傑令嬢たちが、ドミノ倒しのように次々とくずれ落ちた。

 全員が急所を的確てきかくに強打され、一瞬にして意識を吹き飛ばされている。

 ムチを小さく払って残心ざんしんを切り、リルルはそれを手首の黒い腕輪に納めた。


「この者たち――いったい、何者……」


 手口からして、コナスをおそう計画が事前に立てられていたと考えるしかないだろう。しかし、コナスが狙われる理由がわからない。一般人の格好かっこうをしているコナスを狙ったということは、当然その素性すじょうも知っていると考えるしかないだろうし……。


「……一人をめ上げれば、わかることですか」


 早速気が付こうとしているのか、偽快傑令嬢の一人がうめきを上げて身をよじっている。ともかく尋問じんもんしてみればわかることだ。まずはこいつを――。


「危ない!」


 耳に馴染なじんだその声音こわねが突き刺さるように脳を打ち、リルルは本能的に飛びすさった。


 宙に突然、闇が灯った・・・・・


「なっ――――!?」


 松明たいまつの炎のように揺らめくそれはなんの前触まえぶれもなしに目の高さに現れ、巨大な風船がふくらむ勢いで見る間に膨張ぼうちょうしていく。光の一滴いってきも通さないその黒さに人々が生理的な恐れを抱き、それぞれが悲鳴を上げて逃げ出した。


 世界に光という概念がいねんが存在しなければその深さになるだろうというほどの漆黒しっこくが、家の一軒をも容易よういに包んでしまう球体状に膨らみ――そして、いきなりガラスのように割れ、くだけ散った。


「…………!」


 かいとしか思えない現象。それがひとりでに終息したあとに残されたのは、地面を綺麗きれいな球面状にえぐり取った土の跡だった。


 街の隙間すきまに作られたような、小さな公園ほどの広さがあった。あの闇の球体が別の空間に連れ去った、そういわれればこの場の誰もが納得したにちがいない。


 消えたのは埋め立て地の地面だけではない。地面に倒れした偽快傑令嬢たちの一人もそこには残っていなかった。……いや、あの偽物たちを連れ去るための現象と考えるのが自然だろう。


「――お嬢様!」

「フィル!」


 混乱にまぎれて黄色の大型天幕テントの中に身を隠し、偽のメガネに掛け替えたリルルが、け寄ってきたフィルフィナに応じる。


「お嬢様、お怪我はありませんか?」

「平気よ、助かったわ……でもあれは!」


 コナスと共に包囲ほういされていたのを救ってくれた閃光せんこう煙幕弾は、確かにフィルフィナの手助けだったろう。しかし、今のあやかしの術は……。


「わたしにあんな芸当げいとうはできません。――群衆ぐんしゅうに混じって、あの偽者たちの仲間がいるようですね」

「仲間……?」


 大型天幕の外も中も悲鳴と怒号どごう戸惑とまどいのわめきに満ちていた。続くかも知れない異変をおそれて天幕の中に逃げ込んでくる者、外の様子がわからずに右往左往うおうさおうする者、何千人という人の流れがそれこそうずを作っている。


 あの中に、フィルフィナがいう『仲間』がいるというのか――見分けがつかない。誰もが敵に見えず、しかしうたがい出せば全員が敵であるとも思えてくる。


「いったい、誰がこんなことを……」

ねらわれているのは、どう考えてもコナス様ですね」


 事態の飲み込めなさに戸惑うリルルに対し、フィルフィナは対策の方に思考を向けていた。


「敵の姿が見えない以上、ここにコナス様をとどめるのは危険です。一刻いっこくも早く脱出させないと」


 馬車の手配をして来ます、といってフィルフィナはきびすを返し、その場から消えて行った。

 コナスは……リルルのちょうど頭の上だ。天幕のへこみ具合でわかる。彼をあの高さから下ろす算段さんだんもつけねばならない。


「敵……」


 地面を綺麗きれいにくりぬいた巨大な穴。その外周を取り囲むように観客かんきゃくたちが騒然そうぜんとした様子を見せている。

 こんなことをしでかしてしまえる相手を敵に回してしまっている――今までに感じたことのない恐ろしさに、リルルの背筋は小さく震え続けた。



   ◇   ◇   ◇



「や、やああ、参ったよ……」


 揺れる馬車の中でコナスはいつもののんきそうな口調をゆがめ、左腕の傷に手を当て続けていた。

 馬車は埋め立て地を本土をつなぐ橋を渡っている。馬車の中にはリルルとコナスだけ――御者ぎょしゃ台に乗っているのはフィルフィナだ。れた手つきで手綱たづなにぎり、一頭の馬をたくみにあやつっている。


「今は誰も信用できませんから」


 馬車はあとで取りに来て下さい、と御者を遠ざけ、馬車に爆発物が設置されていないことも確認する用心ぶり。リルルとコナスを馬車内に押し込み、フィルフィナは手綱を振るって馬車を走らせた。


 橋を渡る速度が速い。後方に尾行びこうする者がいないのを確認し、フィルフィナは橋の向こう先にも厳しい視線を向けていた。橋という細い空間の中、対岸たいがんで待ちせされればそれをけようがない――幸いにしてそれはなかった。馬車は港湾こうわん地域に入り、その大通りを危険な速度でけ抜ける。


「コナス様、傷は痛みますか?」

「正直、痛むね」


 額に脂汗あぶらあせが浮いている。余裕のある表情を浮かべようとしているが、ほおが引きつっていて難しいようだった。隣に座るリルルは、真っ赤に染まっているコナスのそでにおろおろとするだけだ――基本的に血は見慣みなれていない。


「彼女にってもらった軟膏なんこう、すごく熱いんだ……傷にみ続けている感じがするね。塗った途端に血が止まったのにはびっくりしたけれど」

「あれは、フィルの故郷で作ってるめずらしい軟膏なんです」


 エルフの里で作っている軟膏――脂肪しぼうが見えるくらいの深い傷であっても、数日で傷跡すら残さず治してしまうほどの薬効やっこうを持つシロモノだ。ただ、神経や細胞に強い作用を働かせる分、痛覚も存分ぞんぶん刺激しげきする。


 熱を持つ傷のうずきに歯を食いしばりながら、コナスは平静を保っていた。その意志の強さにリルルは驚きを隠せず、意外だ、と感じる自分の思いを失礼であるとじる。


「同好会のみんなにもなにもいわずに出ちゃったなぁ……みんな心配しているだろうなぁ」

「そんなことより、おそってきた連中に心当たりはないのですか?」


 リルルの方があせる。自分が殺されかけたという危機感にはうとそうだった。


「最近、うちのベクトラル家がもめてるっていう話はないよ。まあ、母上をよく思っていない人間はたくさんいるかも知れないけど、僕を殺しにかかるほどじゃあないさ」

「じゃあ、いったい誰が……」

「僕の命をねらいたがるとすれば……いや、まさかなぁ」


 口のまで出た言葉が打ち消される。


「コナス様……?」

「いや、うちも、昔は全くもめ事がなかったわけじゃないよ」


 そこそこの速度を出しているはずのラミア列車を馬車は追い越していく。フィルフィナの馬さばきは、休日午後のそこそこ空いている大通りを稲妻いなずまのような軌跡きせきを描いて何台もの馬車や荷車を追い抜かしていった。


「でも、そんなことはどこの家でもあることさ。カビが生えた昔のことをいまさらし返して僕を殺そうとするとか、馬鹿らしい……うっ!」


 馬車が大きく揺れてコナスの体が振られる。リルルがその体を受け止め――かばった腕がコナスの傷に包帯の上から触れた。


「すみません!」

「いや、気にしないで。それより君に怪我がなくて本当によかった。僕はそれだけで満足だよ……ううっ……」

「汗が……」


 リルルはハンカチでコナスの額からほおに落ちる汗をぬぐった。馬車はようやく官庁街かんちょうがいに入ったところだ。ここからまだ十数分はこの揺れる走行が続くだろう。

 これ以上の襲撃しゅうげきも流血もないように――またも大きく揺れた馬車の中でリルルはコナスの体を手で支え、ただそれだけを祈った。



   ◇   ◇   ◇



 ベクトラル伯邸に到着したリルルとコナスを待っていたのは、コナスの母・ハーベティの爆弾なみに炸裂さくれつする癇癪かんしゃくだった。


「どういうことなのかっ!!」


 鼓膜こまくが突き破られるかという金切り声にリルルの脳が内側から震える。目の裏に紫電しでんが走ったような錯覚を覚えた。

 取りあえずその体を横たえよう――屋敷の者五人がかりでその抱えられたその巨体、必死の形相で運ばれたコナスが自室の寝台ベッドに沈む。


「これはヴォルテール家の仕業しわざちがいないぞ!!」


 寝台の脇でハーベティがわめき続ける。リルルとフィルフィナはそのたびに、落雷らくらいが目の前に落ちたかのような衝撃しょうげきを全身に受けた。


「母上、それはないでしょう。あの家とあらそったのはもう三十年以上も前の話ではないですか」

「いいや、いまだにあのことを逆恨さかうらみしているに違いない、あの連中は! ……大人しくフェーゲットの森に引っ込んでいればいいものを!」


 思い当たるところがあるのか、すで容疑者ようぎしゃ――いや、犯人を決めつけたハーベティの顔は怒りの色に染まりきり、こめかみには血管が激しい調子リズムで浮き沈みしていた。

 それがいつ切れるのか、ハラハラしながらリルルは見守るしかなかった。


わらわは明日にでも、この事を陛下に言上ごんじょうしに登城する!」

「まだなんの証拠もないではないですか。せめて、なんらかの裏付けを取ってから……」

「コナス! お前はこの件が片付くまで屋敷から外に出ることは許しません! ……ああ、警護けいごのものを増やさなければ!」

「あの」

「エルカリナ王家の血を引く大事な体にこんな傷をつけて……! このむくいは必ず受けさせる! 医師! 医師はなにをしているか!」

「あの」


 リルルの呼びかけを完全に無視してハーベティは部屋を飛び出していった。相手にされていない感にリルルはまたも頭痛と敗北感を覚えた。


「リルルちゃん、聞いてのとおり外出できなくなっちゃったよ。頼み事を聞いてもらってもいいかな」

「は……はい、なんでしょうか」

「同好会のみんなに、僕がしばらく顔を出せないことを伝えて欲しいんだ」


 なんの説明もなく埋め立て地に置き去りにしてきた三人組のことを思う。あり得ないとは思うが、あの三人の中に犯人がいるかも知れない――その捨てきれない可能性。


「母上があの調子じゃ、次にいつ外に出られるかわからないからね……」

「わかりました。そのくらいならお安い御用ごようですよ」

「リルルちゃんも一応、身の周りに気をつけて。巻き込まれることはないとは思うけれど、なにがあるかはわからないからね……ううっ……」

「お嬢様、あまり長い話は体に毒です。そろそろお休みいただいた方が」


 フィルフィナのうながしにリルルはうなずいた。


「なにか変わったことがあれば、手紙をとどけさせるから……くぅっ……」

「わかりました。コナス様、ゆっくりお休み下さい」

「あ……ありがとう、リルルちゃん……」


 ああ、と声を上げてコナスが意識を失った。すぐに深い呼吸をり返す眠りに変わる。

 フィルフィナがさりげなくコナスの手になにかをにぎらせた――エルフの里で作っている軟膏の容器だ。


「心配にはおよびません。容態ようだいは安定しています」


 ベクトラル家の使用人たちがあたふたとしているのに優雅ゆうがな一礼を向けて、行きましょう、とフィルフィナはリルルを先導するように歩き出した。


 屋敷を出、専用の笛を高らかに二回鳴らすことで二頭のケンタウロスたちを呼び、その背にまたがってリルルたちはフォーチュネットていに戻った。



   ◇   ◇   ◇



「どうも、面倒なことに巻き込まれたかも知れませんね……」


 屋敷に戻っての、フィルフィナの開口一番がそれだった。


「わたしはこの件の裏事情について調べてきます」

「裏事情って……なにか手がかりがあるの?」


 私服を脱ぎ捨て、元のメイド服に戻ったフィルフィナの姿が何故か新鮮に映った。


「ヴォルテール家、といっていましたね。コナス様は三十年以上前のことだとおっしゃってらっしゃいましたが、原因としては当たっているかも知れません」

「ハーベティ様の、被害妄想ひがいもうそうのようにも思うけれど……」

「コナス様のような方が命をねらわれるような理由など、そうそうないはずですよ」


 それはフィルフィナ流のひょうし方だったのだろうか。急ぎますから、と頭を下げてフィルフィナは屋敷を出て行った。


「……フェーゲットの森の、ヴォルテール家……」


 フェーゲットの森――王都の北方、さほど離れていない距離にある深い森だ。

 木々が密集して。昼間でも暗い森林地帯。とても人が住める場所ではないはずなのだが、そんなところに誰かが家でも持っているというのか。


「――お父様に聞いてみよう、なにか知っているかも……」


 誰かが殺されそうになっていて、その犯人が見えない。また狙われるかも知れない――コナスのような根が善良な人間の危機をそのままにしているわけにはいかない、そんな正義感にき動かされて、リルルは座っていた椅子いすから立ち上がった。

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