プロローグ

「恋文は月夜の闇にてつづられる」

 静寂せいじゃくが横たわる小さな部屋の中、ペンが紙をたたき、すべる軽快な音が律動的リズミカルに響いていた。

 街の全てがもうほとんど寝静まろうという夜半頃。

 机と寝台ベッド、小さなたながあれば空間の全てがまってしまいそうなせまい部屋で、一人の少年がつくえに向かい、真摯しんしな面持ちで一心不乱いっしんふらんに手紙を書いている。


『――さきに記しましたとおり、このたび、ようやく公爵閣下のお許しをたまわり、王都にて警備騎士の任に着くことが決定いたしました。


 二年。


 貴女あなたに会えなかった二年間、とてもさびしいおもいをさせたと存じます。

 寂しくさせたことを申し訳なく思う反面、誤解をまねく書き方かも知れませんが、貴女が寂しい想いをしていることを――うれしく思います。


 寂しく想ってもらわなければ、僕も寂しい。

 寂しくないということは、貴女にとって僕は、必要ないということですから――』


 青白い光をともし続けるランプの下、少年は紙の上に走らせ続けていたペンを置いて、ふう、と息をいた。

 壁の時計を見る。針は間もなく、午後十一時をそうとしている。そろそろ眠らなければ。

 わくひじをかけられるほどに近い窓から、外の景色に視線を投げかける。


 そこから見えるのは少し離れた公爵の館。その向こうにもう馴染なじみとなった街並みが横たわる。

 ここからながめるのも、そう機会のない景色。明日から荷造りをしなければならない。荷物はさほどないが。

 机の上にせている葉書ハガキ大の写真立てに手をばし、立たせる。


 透明とうめいの板にはさまれた一枚の写真。

 その中に、水色のドレスを着た一人の少女が座っていた。


 背の高い椅子いすに包まれるように座る、少年と同じ年代の少女。


 ほんのかすかに波がかかり、背中まで伸びる長さの美しい銀色の髪はわずかに青い色をびている。大きな目におさまった鮮やかなアイスブルーのひとみが、どこかいたずらげな光をたたえて少年を見返している。


 静かに優しい微笑ほほえみを投げかけてくれるその少女を見つめ、少年は心の歯車を空転させた。

 わずかに開いている窓から風が吹き込んで来て、少年の明るい金色の髪を揺らす。年頃にしてはやや幼めの、どこか少女の面影おもかげさえ宿す顔が、透明の板に半分反射されていた。


 それだけは確かに少年の気配をかもす、まっすぐな眼差まなざし。晴れた日の湖面こめんを思わせる青い瞳。

 写真の中の少女を見つめ、二度三度まばたきをして――その手が、再びペンを取った。


『……もう両日りょうじつのうちに、この地を離れる日取ひどりがわかると思います。

 やっと、貴女あなたに会える。

 会いたかった。貴女の顔を見、言葉をわし、そして――。


 貴女がこの手紙を受け取った時、僕はもう、王都に向かって旅立っているかも知れません。

 貴女に会える日を、楽しみにしています。

 そして、一日も早く。

 あの日の、貴女との約束を果たせるように』

「――約束…………」


 あの日の、少女との約束。

 そうだ。自分はその約束を守るためにがんばってきたのだ。

 希望はある。小さくともこの手と胸の中にある。目の前は決して暗くない。


 進もう。


『親愛なる、リルル・ヴィン・フォーチュネット様へ。

 ニコル・アーダディスより。

 ――心からの愛を込めて

 エルカリナ暦四五三年 三月三十一日』


 少年はペンを置いた。文面を三度も読み返し、それを折りたたんで封筒ふうとうの中に入れる。入念にゅうねんふうを確かめ、それを机の上に置いた。明日、まだ朝が明けきらぬうちに郵便局ゆうびんきょくに持って行こう。四日もあれば手紙は王都に、彼女の元に届く。


 もう、寝なければ。しかし、その前に――。


「――リルル」


 少年――ニコルは、窓から遠く天をあおいだ。


 晴れきった北の空に細く鋭い三日月が、自分の髪と同じ金の色に輝いている。今頃いまごろ彼女はあの月を仰いでいるだろうか。いや、ねぼすけな彼女のことだ。きっと今頃は、ベッドの中ですやすやと眠っているにちがいない。


 窓を閉める。カーテンを閉じ、ランプのふたを被せた。ジジ、と音を立てランプの中で魔鉱石まこうせきの青白い光が震えるようにまたたく。数分もしない内に、中の酸素を使い果たして消えるだろう。


「リルル――おやすみなさい」


 写真立ての中で微笑んでいる少女にニコルは小さく口づけをし、それを伏せて布団に入った。

 少年が寝息を立て始めたのを確かめるようにして、ランプのあかりが消え失せる。

 部屋がやみに閉ざされた瞬間、時計が示していた時間。


 午後、十一時、三十五分――。

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