第03話「リルルと悪夢の館」
「恐怖の面会式」
――時を、少し
前夜に
フォーチュネット家の庭先は、
「そろそろ行くぞ、フィル」
「もう少しお待ちください、
まだ朝が明けきったかどうかという早朝。一台の大型馬車がフォーチュネット家の玄関に横付けされていた。外で待っているのは――
その目の前で、フィルフィナが屋敷内と玄関先を何度か往復していた。長さ一メルト、幅五十セッチメルトの
「もういいか、フィル。そろそろ出発しなければ」
「これで
せかせかとログトが馬車に乗り込み、フィルフィナがそれに続く。音を立てて馬車の扉を閉め――はっと、フィルフィナが手を打って声を上げた。
「ああ、いけない旦那様!
「あ、危ないところだった。『あれ』がなくては意味がないからな――フィル、
「お安い
外に出たフィルフィナが荷台の扉を開け、屋敷の中に入る。ややあって、もう一つの大きな行李をかついできた。長さ一メルト半、幅は七十セッチメルトくらいはあるだろうか。小さな体にも関わらず、重そうなその行李をフィルフィナは軽々と運び、四つの行李の上にどん、と
「
「では、行くぞ。
乗り込んだフィルフィナが扉を閉めると同時に、馬車は走り出した。フォーチュネット
「フィル、お前とこうして二人きりになるのも久しぶりだな」
「そうでございますね」
幅四百メルトの大運河に
「リルルが嫁に行ったら、我が家も
「そうでございますね」
「これもいい機会だ……フィル、ワシの
ログトの手が
「あっ……旦那様、お
「戯れではない……お前がワシの後妻になってくれれば、ワシは幸せになれる」
「まあ、どうしてですか?」
「考えてもみろ。そうすれば――――ワシは、お前に給金を払わずにすむからな!」
「まあ、旦那様ったら!」
「ハッハッハッハッ!」
「うふふふふふ」
「ハッハッハッ!」
「…………どうも、この手の
「
「かも知れんな」
ログトは
「目的地に着いたら起こしてくれ。それまで眠る」
「かしこまりました」
ログトが目を閉じる。数分と
朝が明ける前から起き出し、夜が
「
歩く背中を後押しはするが、止まっている者の手を引っ張りはしない。自分はそういう立ち位置に
◇ ◇ ◇
ログトたちの馬車は一軒の高層ホテルの前で停車した。十階ほどの
馬車からログトが降り、続くフィルフィナが荷台の扉を開けた。
「これはわたしが運びます」
積んだ行李を下ろそうとした黒服たちを制し、フィルフィナは最後に積み込んだ行李をひょいと
フロントに到着の
「十階」
二分をかけて昇降機は十階に到着し、扉が開いた。ログトたちが
扉の幅が広い客室に行李が運び込まれ、黒服たちは一礼して出て行った。最上階の
「
「かしこまりました、旦那様」
ログトの指示に
「フィル、
「はい、それは最後にしようと思いまして」
自ら運んできた大型の行李の蓋に、フィルフィナは手をかけた。
「この荷物はうるそうございますから」
蓋を外す――中には、腕ごと胴体をぐるぐる巻きにされたリルルが、猿ぐつわを
「ぷはぁっ!」
指以外動かせなくされていた状態で猿ぐつわを外され、口の中に詰められていた布をポン! と抜かれたリルルが全力で息を吸い込む。
「空気は足りてましたか?」
「ぜんっぜんっ足りてないわ!!」
数十分、荷台で馬車の震動を全身で味わわされていたリルルが
「私をいったいなんだと思ってるの! お父様もフィルも!」
「ここまで来たらもう逃げられんぞ。大人しく面会式に出る覚悟を固めろ。階段も昇降機も
「うーっ……!」
そもそも面会を
ズカ、ズカ、ズカ! と床に穴も空けよとばかりに歩いたリルルが
その後ろについて、手早くフィルフィナがリルルの髪を
「リ、リルル、
「こんな感じかしら?」
「ふむ――――うわぁ」
鏡をのぞき込んだログトが、そこに映っているリルルの満面の笑み――目が
「お嬢様、目が鬼になっています」
「
口を開く
「ま……まあ、本番で猫を
「猫でも
「どうか失せてくださいませ」
「う、うむ」
恐怖に顔を引きつらせてログトは隣のゲスト室に引っ込んだ。これ以上娘が放出する迫力に身をさらす勇気はないようだった。
憎しみを向ける対象を半分失ったリルルの肩が下がる。そんなリルルを立たせてフィルフィナは服を
「ニコル……ニコル、ああ、もう、ニコルは
「そのあと、ご近所のお仲間がニコル様を居酒屋に連れて行ったそうですね」
「私も行きたかったぁ……お酒で
「騒いだあと、みなさんで連れ立ってそのまま
リルルの腰が
「あ……あわわわわ……ニコルの、ニコルの
「冗談です」
「心臓に悪い冗談をいわないで!」
「かなり酔われて家に帰られたとか。あとでお顔を見に行きますよ」
「うう……私が見たい……どうして二年ぶりに帰ってきたニコルに会えないの……」
「理由は全部ご存じでしょう。さあ、体を動かさないでわたしの着せ替え人形になってください。ああ、もう、めんどくさい」
絶望しか
◇ ◇ ◇
その会場はベクトラル伯
「初めてお目もじかないます。
スカートの
「――――――――」
席から立ち上がりもせず、やけに
リルルも
いや、ある意味では
コナス・ヴィン・ベクトラル伯爵。
年齢は三十八歳。
中背で体重はリルル二人分。
身なりこそ伯爵の格式にあったものだったが、地味な顔が浮いている。
服装さえそれらしければ、誰も貴族とは思わないだろう。同じく貴族の
頭が大きく顔が広いのも、年齢の風格を大きく
リルルは死にたくなった。
伯爵という格式としてはかなり立派な屋敷だった。公爵邸といい張っても人を納得させられるだけの広大な敷地に、
咲き
「名前は知っておる。
粘着質の隣にいる、初老に達しようとする夫人。
目が痛くなるほどの原色な赤いドレスに身を包み、目が痛くなるほどの原色な赤い扇で口元を隠すようにしゃべっている。なのに、悪意は全く減じられずにリルルに突き刺さってきた。
リルルは死にたくなった。
ハーベティ・ヴィン・ベクトラル夫人。エルカリナ王国の元王女で、現国王の
目力だけが異様に強く、細い体なのに全く弱々しさを感じさせない。百人中、最後まで生き残りそうなしぶとさが伝わって来た。事前に聞かされて知ってはいたが、相当な
これが
「無駄なことは
「はっ……こちらに」
座っていい、というフィルフィナの
「確認するぞよ。結婚後一年以内に
「確かに」
「一年以内に見事孕んでみせれば、フォーチュネット旧領の一割を取り戻すよう働きかけよう。後、男子が一人産まれる
「よろしゅうこざいます」
ハーベティとログトの間の会話の内容は初めて聞くものだった。つまり、ログトの
女児は計算に入らないらしい。
リルルは死にたくなった。
「我が家は金には困っておらん。いくらでも付け届けがくるのでの。しかし、ロクな嫁が来ない――ああ、どいつもこいつも
「フィ、フィル、『うまずめ』って、なに?」
「子供を
「フィル、この方、撃ってくれる?」
「ダメでございます」
最後の希望を
「ちなみにコナス様の前妻の方は、公爵令嬢が二人、他国の王女が二人……」
「……私がいちばん下賤じゃないの! フィル、銃を貸して」
「ダメでございます」
右手首の黒い腕輪を取り上げられていることをリルルは
書類の細部まで読み上げながら確認がなされ、双方の
「これで契約は成立いたしました。ハーベティ様、
「なんじゃ」
「――いくら我々に身分の
「
「ははっ、これは失礼のほどを」
ハーベティとログトの
「――母上」
その声に全員が振り返った。コナスが発した最初の声だった。顔の印象とは違い、結構高い声だ。
「気に入りました、屋敷に連れて行きます」
「おお、そうか?」
ハーベティの声が
「コナス、お前、こんな娘が好みなのか?
ちゃんと聞こえていたはずなのに、リルルにはハーベティの言葉の一部が認識できなかった。多分、脳が
「と、いうわけじゃ。よかったのう、フォーチュネット伯。そなたの野望も二人の努力次第ということじゃ」
「よし、リルル。今日はコナス様とたっぷり
「え? え、え、え」
まさか、そんな、聞いてない。普通、面会式は顔を合わせるだけの
「リルル様、こちらへ」
いつの間に現れたのだろう。ベクトラル伯邸のメイドたち五人がリルルを遠巻きに
「フィ……フィル、お願い、お願いだから拳銃を貸して」
「借りてどうするんです。あの
「ううん」
リルルが涙目で
「――ダメです」
「あああ」
リルルの心の背骨が
「ほほほほ! よかったのぅ、よかったのぅ」
礼もなにもなしにハーベティが立ち上がる。見事なくらいに礼を失さない動作でリルルが
「――ふぅぅ、
「はい」
この場から離れられる喜びに顔を輝かせているログトに頭を下げて、フィルフィナはその背中を追いながら思った。
今、最も撃つべきなのは、この背中なのではないのかと。
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