「回想――戦慄の二十四時間」

 翌日、フィルフィナは早朝からフォーチュネットていの門の前に立ってリルルを待っていた。

 結局、コナスに――正確にはコナスのメイドたちにリルルが屋敷の中に連れ去られ、夕方はおろか深夜になってもリルルは帰宅しなかったのだ。もちろん、この時間になっても帰ってこない。


 ベクトラル伯邸で一泊したくらいしか思いつかない。午前のうちに行われた面会式、いくらなんでもその日のうちには解放されるだろうと思っていたが、期待は見事に裏切られたようだ。


 朝焼けのしゅ雲散霧消うんさんむしょうし、ブルーの空が明るくなってきても音沙汰はない。ただ、フィルフィナはほうきを手にして待ち続けた。ベクトラル伯邸に乗り込むという選択肢もあったが、それは最後まで取っておきたいという気持ちがあった。


 リルルを乗せた馬車がフォーチュネット邸にやってきたのは、正午の気配がただよってきた、そんな時刻だった。


「お嬢様?」


 馬車からよろよろと降りてきたリルルが数歩歩いたかと思うと、その場でポテ、とけて倒れる。そんなリルルをのこしたまま、無情むじょうにも馬車は走り去っていった。


「ああ、お嬢様!」


 倒れたまま、自分で起き上がることもできず動けなくなっているリルルの元に、フィルフィナが箒を捨てて駆け寄った。その体を抱き起こす。完全に色を失っているリルルの顔が表情もなくしていた。目の下のクマい。


「お嬢様、しっかり、お気を確かに!」

「ううう……」

「さあ、お屋敷にお連れしますから!」


 リルルに肩を貸し、フィルフィナは全く歩いていないリルルの体をかつぐようにして玄関までの庭を引きずった。


「ああ……これも貴族社会の宿命とはいえ、なんというむごいこと! 熱い風呂を用意しております! すぐに体のけがれを落として下さい!」


 仕える主人の身に降りかかったむごたらしいゴニョゴニョなことを想像し、その凄惨せいさんさを想ってフィルフィナのほおに涙がはらはらと流れた。


「お嬢様、口は、口はけますか!? しっかりなさってください!」

「ま……真夜中まで……もう、ほとんど一晩中もてあそばれて……」


 意識はあるようだ。くちびるがわずかに動いて音をかすかに発している。


「あああああ! もう、本当にひどい! 悲しい! お嬢様、可哀想かわいそう! 可哀想! 可哀想!! ……うん?」


 リルルと体を密着させているフィルフィナが違和感いわかんを覚え、主人の肌に鼻を当ててにおいを確かめた。


「――お風呂に入った形跡けいせきはない……あれ? それでは、これは?」


 くんくんくん、と犬のように匂いをぎまくる。


「……ホテルを出た時と、匂いが変わってない?」


 いや、それはあり得ない、矛盾むじゅんしている。フィルフィナの――エルフの聴覚ちょうかく嗅覚きゅうかくと味覚は鋭敏えいびんだ。


「なにもされてない……?」

「……コナス様には……指一本、触れられて、ないわ……」

「……はい?」


 フィルフィナの顔に、巨大な疑問符クエスチョンマークが浮かび上がった。


「お嬢様、なにがあったのですか?」

「あ……あったというか、なかったというか……」


 リルルの自室に主人を運び込み、その体を寝台ベッドに乗せる。どうやら、風呂に入れる必要はないようだった。

 ようやく心から安心できる場所にたどりつき、リルルは体が布団に沈み込む感覚に吐息といきらした。このまま数秒もかからず眠ってしまう気配さえあった。


 それでも、自分がどういう恐怖に直面させられたのかは伝えておかなければならないと思ったようだ。震え、閉じようと下りてくるまぶたの重みに耐えながら、まくらに顔の半面を埋めてリルルは語り出した。


「それが……フィル……」


 ――リルルが語ったのは、ベクトラル伯邸での、戦慄せんりつの二十四時間だった。



   ◇   ◇   ◇



 ベクトラル伯邸内に連れ込まれたリルルは、密着してくるメイド五人衆ごにんしゅうに前後左右を完全に固められ、その歩に合わせて足を動かすしかできない存在になっていた。

 先導せんどうするようにコナスが歩く。のがれようとリルルは身をひねり捻りするが、メイドたちの連携れんけいは高度だった。


「や……やめて……放して……」

「こちらでございますから」


 やがて、一つの部屋にリルルは連れ込まれる。客間きゃくまなのだろうか、少し広いテーブルと四脚の椅子いすがまず待ち構えていた。奥の扉には――恐らく来客用の寝台ベッドがあるのだろう。そこに連れ込まれる意味をさっしてリルルの心が冷えた。


「コ、コナス様! いくらなんでも、あまりに性急せいきゅうすぎるのではありませんか!」


 コナスが振り向く――その顔に満面の笑みが浮いていた。期待に満ちている顔だ。リルルの背筋が凍る――なにを期待されているのかは大まかの想像がついた。


がせろ。すぐに始められるようにな」


 少女の心臓が、数瞬、止まった。


「ま、まだ、正式に婚約は成立してはいません! なのに――なのに、これは有り得ません! おやめください! ああ……あなたたち! 私の服に手をかけないで!」


 メイドたちがまるで機械かなにかのように、無機質にリルルの服に手を掛けてボタンを外し始める。肩と腕を固定されてリルルは抵抗もできない――あの黒い腕輪さえあれば、この場で快傑令嬢に変身して逃れられるのに!


 感心するほどに手際てぎわよくドレスのボタンが全て外される。全裸にされるのに一分とかからないだろう。そして、全ての衣服をがされた時、自分は――。


「わ、私も、淑女しゅくじょの端くれ! 無体むたいなことをされれば、したんで自害するだけです! おどしではありませんよ! 私の覚悟を今、ここでお見せ――」

「コナス様なら、退出なさいました」

「……はへ?」


 ばたん、と入って来た扉が閉まる。それを合図にしたかのように、広い仕切りのカーテンがシャッと音を立てて引かれ、扉も見えなくなった。


「この場には、殿方はいらっしゃいません」

「え? あ、あれ」


 確かに、この部屋にいるのはリルルとメイドたちだけだ。他に誰もいなかった。

 何故、席を外す必要があるのか? 自分が裸にされるのをニヤニヤと眺めているつもりではなかったのか?


 そんな理解が追いつかないリルルを、それが日常の作業であるかのように全ての布をいつの間にかぎ取ってしまう。フィルフィナが十数分かけて着させたガチガチの下着までもが、ものの一分足らずで丁寧ていねいたたまれた。


「それでは、失礼いたします」


 メイドの一人が円盤えんばん型のものを取り出し、そこからひも状のものを引き出す――巻尺まきじゃくだ。

 まるでそれが命を刈り取るもののように思えて、リルルののどがヒッと引きつった。



   ◇   ◇   ◇



「お待たせしました」


 一連の作業が終わったらしく、体に大きなタオルを羽織はおらされてソファで放心しているリルルの耳に、ドアをへだてた廊下ろうかから声が聞こえてきた。


「終わったか! け、け、結果は」

「はい。我々メイド一同、旦那だんなさまのご慧眼けいがんにはいつも――」

「そんな言い回しはいい。け、結果だ。どうだった」

「――寸分違すんぶんたがわず、一致いっちいたしました!」

「よぉぉぉぉぉぉぉぉし!!」


 地響きがするほどに床を踏み鳴らす音が、扉越しに聞こえてくる。


「ヒィリー! 僕は、僕はついに運命を手に入れたぞ!!」

「おめでとうございます!」

「な――なにをしている、早く、早くあの『試製四号しせいよんごう』を、『試製四号』を!』

「はい、ただいま!」

「『道具』も一式だぞ! 忘れるな!」

「かしこまりました!」


 試製四号? なんだそれは?

 思考力の一割も働いていないリルルの耳に、扉が開く音が聞こえた。入ってくる足音は一人分だけ――歩調からしてメイドのものらしい。リルルの頭はもうそんな情報しか分析ぶんせきしていなかった。


「リルル様、お待たせいたしました」


 廊下でコナスと話していたメイドだ。ヒィリーとかいう名前だったような……。


「わ……私……いったい、なにをさせられるの?」


 寝室に無理矢理連れ込まれることはなさそうだ――そんな確信はあったが、またちがった方向に不安が出る。というか、体のほぼ全てに巻尺を当てられてその寸法を読み上げられ紙に書き取られた――胸に当てられて数字を口にされた時は軽い絶望さえあった。


 そして、今。羽織はおるもの一枚あるとはいえ、その下は下着を着けただけの姿だ。何故服を着させてもらえないのか。

 その疑問について、今、明快な答えが提示ていじされた。


「リルル様には、これからある『衣装いしょう』をお着けになっていただきます」

「い……衣装……」


 だから自分はこんな半裸はんらみたいな格好かっこうで放置されているのか。

 というか、問題は……。


「な……なにを、私は着けさせられるの……?」

「ふふふふ……」


 背後にいたメイドがふくみ笑いをこぼす。


「ふふふ……」

「ふふふふふ……」


 小さな笑いはさざ波のように広がり、かしこまっているメイドたちの薄笑いの真ん中でリルルは震えた。


「きっと――おどろかれますよ」

「ひぅっ」


 この部屋を飛び出して逃げたかったが、下着姿でタオルを羽織っただけの姿で廊下に飛び出す勇気もない。おそらくドアの外ではあのコナスが待ち構えているだろう。


 リルルがまごついている間にメイドの二人が部屋のすみに積み上げてあった大きな行李こうりを運び、リルルの前に三つ並べる――ふたに『試製四号』と大きく書かれていた。


 中からいったいなにが出てくるのか。見るだけでも破廉恥はれんちな、卑猥ひわいさしかない衣装でも出てくるのか。


「では――ご覧ください」


 メイドの二人が蓋に手を掛け、それを開ける。

 その中から現れたものの姿を見――リルルの心がまるで、ガラスを金属で引っかいたような音を上げて盛大にきしみあがった。


「あああああああああああああああああああああああああ!!」

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