「夕日は明日の予感をささやく者」

 連れ去られて集められ、地下の亜人奴隷市で競売きょうばいにかけられた亜人の娘たちにそれぞれフードをかぶせ、会場の裏側から脱出したリロット――いや、もう今は快傑令嬢の姿をいたリルルは物陰ものかげに身をひそませ、フィルフィナが戻ってくるのを待っていた。


 貧民街ひんみんがいのど真ん中だ。り集まることでそれそれが支え合っているのではないかという、見ていて頼りなくなるくらいのみすぼらしい家々が密集みっしゅうしている。路地ろじは馬車がとても通れるものではない。猫が肩をすくめて通り抜けるくらいの隙間すきましかなかった。


 嫌な臭いが鼻につく。リルルには耐えられないものではなかったが、貴族の子女が潜むところではとてもではない。リルルが隠れているのも、いつどこから現れるかわからない強盗や狼藉者ろうぜきものから自分を守るためだった。


 強盗は強盗らしい顔なんてしていない。少なくとも、この街では。


「フィル……まだかな……」


 西にかたむく陽の光が弱い。気温が下がって来て、さほどの厚着をしていないリルルの肌に寒さが刺さってきた。

 会場に潜入した時はまだ明るかった外が、今はもう日が暮れようとしている。かなりの時間をついやしてしまった。


「……あ」


 ややあって、一人になったフィルフィナが戻ってきた。あばら屋同然の貧民街の家屋の隙間をうようにして歩き、周囲の様子を警戒しながらリルルの背の後ろに回った。


「お待たせしました」


 二人の視線の先には、亜人奴隷市の会場となっていた元劇場の建物があった。その入口に大勢の人間たちがむらがっている。警察の役人に野次馬やじうまの群れ……どこからうわさを聞きつけてきたかはわからなかったが。


「娘たちはあのラミアにゆだねました。彼女はなかなかの人物ですね。統率力とうそつりょくがあります。安心できます」


 自殺しようとしたハーピー娘をなぐさめていたあの気丈きじょうそうなラミアの顔をリルルは思い出す。フィルフィナをのぞけばもっとも大人、という感じがあった。


「それならよかった……でもこの場はなに? すごいさわがしいけれど」

「野次馬に新聞社を呼び寄せました」

「新聞社?」


 この場で聞くには唐突とうとつに思える名前にリルルが反応する。


「反体制系の地下新聞です。朝には街中にこの記事がばらまかれるでしょうね」

「ああ……ソフィアが朝になったら家のドアの隙間に挟まれているといっていたわ。でも、タダの新聞なんて、よく商売が成り立つ……」

「――いろいろとカラクリがあるのですよ、いろいろとね」


 フィルフィナが薄く笑う。どこか皮肉めいた笑み。


「あの分厚かった書類は? この街のお役人に渡るようにしたの?」

「そんなことをしたら、なかったことにされてしまいますよ」


 リルルの目が見開かれた。


「地下とはいえ、こんな場所で堂々と開かれている奴隷市どれいいちです。役人にもきっちり賄賂わいろが渡って、黙認もくにんされる仕掛けになっているのに決まっています」

「じゃあ……」

「今まで売られた娘たちの記録も、例の新聞社に全て渡しました。あとは彼らの都合のよいように使ってくれるでしょう。不安がないわけではありませんが、選択肢せんたくしの中でもっとも確実と思われる選択でしょうね――さあ、この場を離れますよ」


 万が一にも、役人に見とがめられて詰問きつもんでもされれば面倒だ。リルルとフィルフィナはそっとその場から離れた。

 少し離れたところに待機させていた一頭立ての馬車に乗り込む。自分と馬車以外に関心を持っていなさそうな御者ぎょしゃは、客が乗り込んだことを確かめると一言の言葉もなく馬車を走り出させた。


「……もう、今回のようなことは二度とゴメンですよ」

「私が、自分から撃たれようとしたこと?」

「今回の襲撃しゅうげきも含めて、全部です!」


 動き出したせまい馬車の中、肩を寄せ合うようにしてリルルの隣に座るフィルフィナは怒鳴どなろうとして――その語気ごきおさえた。


「……変な男たちに連れ去られる亜人の娘を、たまたま見かけたからそのあとを尾行けようなんてお嬢様がいい出して、つけてみたらその先がどうも亜人たちの奴隷市場らしくて、大変だすぐに潜入せんにゅうしようとか――無計画にもほどがあります。こんな雑な襲撃になったではないですか」


 フィルフィナの気はかなり立っているようだ。リルルはできるだけ体を縮める。


「次に亜人を連れてきた連中をおどし上げて、偽の書類を作ってお嬢様をダークエルフに仕立て上げて中に送り込む……なんというずさん極まりない作戦! わたしがこの世でいちばん嫌いなのは、計画性のない行き当たりばったりの襲撃なんです! よく覚えておいてください!」

「じゃあ、入念にゅうねん周到しゅうとうに計画した襲撃は?」

「この世でいちばん好きです! 永遠にやりたいくらいです!」


 いいたいことをき出したのか、フィルフィナが細く長い息を吐いて黙った。リルルから視線を外してそっぽを向く。

 少しの沈黙ちんもくがあった。その挟まれた空白に、リルルは風向きが変わったことを感じた。


「……それで、あの、お嬢様」


 口調が弱い。リルルの嗅覚きゅうかくが、その真相を敏感びんかんに感じ取った。


「なぁに? フィル」

「それが……その……」


 いいにくそうに言葉をにごすフィルフィナ。それがどういう兆候ちょうこうなのか、長年の付き合いでわかっているリルルは自分の有利を感じて微笑ほほえんだ。


「あのですね、あの場でいったことを……いえ、わたしがなにをいったかなんて、お嬢様はいちいち覚えていないですよね? ですから、あの、別にわたしがあわてる必要は――」

「私が、フィルの最愛の人っていう台詞せりふ?」


 容赦ようしゃのない残酷ざんこくな一撃に、フィルフィナの顔がこおった。

 馬車が進む。景色が変わっていく。

 メイドのエルフから次の言葉がしぼり出されるまで、結構な時間を必要とした。


「お……お嬢様の意地悪いじわる……忘れたふりをしてくれてもいいではないですか……」

「ふふ」


 リルルが笑った。フィルフィナの口からめったに聞けない言葉

。それを忘れてあげるほどリルルは親切ではなかった。


「――フィル、私も、あなたを愛しているわ」

「っ」


 トドメ。

 フィルフィナの顔に絶望の色が浮かぶ。これで今日一日はとても毒舌どくぜつは飛ばせないだろう。リルルは勝利の余韻よいんに酔うように微笑み続ける。


「……本当に、お嬢様は、意地悪さんですね……もう、嫌いです……」

「ふふふふふ」


 まともにリルルの顔を見られなくなったフィルフィナが、自分のひざに指で繰り返しなにかをなぞり出す。その頬がわかりやすいほどに赤く染まっているのを見て、リルルの微笑みがさらに明るいものになった。


 馬車は進む。小さな二人の、小さな人生と未来を運んでガタゴトと揺れた。

 その先にある夕日が鮮やかに赤い。今日も何気なにげない一日が何気なく暮れていく。



 明日はいったいどんな一日になるのだろうか。

 それは、どれほど高名な賢者けんじゃであっても、絶対に的中てきちゅうさせることができないことだった。



   ◇   ◇   ◇



 ――王都エルカリナ。

 人口三百万を数える巨大都市。

 その都市には、三百万人分の矛盾むじゅん苦悩くのう、そして同じ三百万人分のちっぽけな幸せが存在する。

 そして、今。

 一人の少年が、夕日の光をびてその半分を|朱《》しゅの色に浮かび上がらせる都市の遠景えんけいを、はるか遠くから眺めていた。


 一人の従者にくつわを取られ、馬に揺られ続けて南から旅してきた少年。

 どこか少女の色を思わせる面影おもかげ、やわらかい金色の髪を優しい風にでられ、湖を思わせる美しい青の瞳に少年のすこやかさをうかがわせる、まだ幼いともいっていい一人の騎士。


 その少年の名は、ニコル・アーダディス。


 まぎれもなく彼は――リルルが最も愛し、そして、リルルを最も愛する少年だった。

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