第02話「ニコル、王都に到着す」
「おかえりなさい、ニコル」
東の空に陽が
まだ夜がようやく明け切った時刻だ。
海岸も視界に入ってきた。西から吹いてくる浜風が
二人の目の前にはコア・エルカリナの姿が迫っていた。距離は八カロメルトといったところか。二時間もあれば城門にたどり着けるだろう。
朝陽が輝かせている王都の遠い姿。馬上で腰を浮かせ、少しでも高い位置からそれを見やろうとする、金色の風をまとった少年――ニコル・アーダディスの笑顔がほころんだ。
「わぁぁ……二年ぶりの王都だぁ……」
男女問わず人の心を
「
「僕だって王都は恋しかったよ。この街のことを想うとその度に心がしめつけられるんだ」
強がらず、正直な思いをニコルは口にする。そのまっすぐさがどれだけのご婦人の心を
「――恋しかったのは、王都だけじゃないんでがしょ?」
「あははは。まあね……」
照れくさそうな笑い。ほら、その感情を表に出すのがいけないんですよ、また罪作りなことをすることになるでしょうから――ダリャンはいってやりたかったが、口を閉じた。
「ふたりで旅なんて本当に久しぶりだよ。ゴッデムガルドに初めて行った以来かな」
「旅行もなかったでやすからなぁ」
「任務で遠出する以外は、ずっとゴッデムガルドだったからね……でも、おかしかったね」
「なにがでやす?」
「ほら、行く先々の村で、お風呂に入れお風呂に入れ――って、毎日さ。女の子たちに、いいからお風呂に入れっていわれて。それも朝夕。なんなんだったんだろう? 僕、そんなに臭いかな?」
「…………」
ダリャンは
風呂に入っているニコルを、その女の子たちが文字通り瞳を輝かせてのぞいていたことに関しては、対価を渡されて固く口止めをされていたからだ。おかげで結構な
「旦那、あれを見て下せぇ」
「ああ」
素直に応じてくれるニコルをダリャンはますます好きになった。
コア・エルカリナとサウ・エルカリナをつなぐ貨物列車が左手の遠くを走っているのが見える。二体の巨大ラミアが縦に並んで
「あれを見ると、王都に帰ってきたっていう気持ちになるなぁ」
「王都はすごいもんですなぁ。自分もお使いでちょくちょく来ますけど、やっぱり田舎とは違いまさぁ」
「ゴッデムガルドも好きだけどね。のんびりしてて。あはは……離れたら離れたで、逆の里心がついちゃうや。不思議なもんだね」
「第二の故郷、ってやつでさぁ。旦那、ちょくちょくお帰りなさいな。みんな喜びまさ」
「ちょくちょく帰らないと、奥様がうるさそうだしなぁ……」
「愛されているんでさ、旦那はもう。口ではそうおっしゃりますけど、旦那だって奥様のことは嫌いではないでしょ?」
「好きだよ、奥様のことは」
「……そう素直に口にすると奥様が
「あはは。『お母様』って呼ばないとまた
話している間に城門が目の前に見えてくる。巨大な都市をぐるりと囲む高さ十五メルトほどの城壁の
高さと幅八メルトの巨大な城門。それを守備している十数名の兵士たちに
今日は神の曜日、休日だ。
出勤する人の数も少なく、行き来の量も多くはない。それでもゴッデムガルドの平日ほどの賑やかな
「旦那、どうです? 久しぶりの
「変わった……感じがするけど、よくわかんないや」
故郷の王都、といってもその全てに
「二年もすると、細かいところは忘れるもんだね」
「このまままっすぐ行けばいいんでやすね?」
「もうちょっとだよ」
大通りを行く。何本ものラミア列車とすれ違う。深いブルーの制服を着て三輌の客車を
と、大通りを駆け抜ける風が吹く。左右の高層住宅の谷間を吹き抜ける王都独特の大風を受けて、ニコルの金色の髪が激しく
羽ばたくように舞ってきた一枚の大きな紙が、馬上で避けようのないニコルの顔に直撃する。
「わぷっ」
大きな紙――新聞紙に顔を包まれるようになったニコルがそれを顔から離しダリャンに渡そうとして、固まった。
紙面に
「快傑令嬢……!?」
両手で新聞紙を広げる。今朝発行されたばかりの
「ダリャン、これ、快傑令嬢の記事だ!」
「どれどれ、読み上げやしょう」
「ええと……『
「もし、そこのご婦人! 馬上から失礼いたします!」
背中を見せて前を歩く、長身の若い女性にニコルは声をかける。早足の女性が
「はぁ、なんなのさ! こっちは大事な用があるから急いでいるっていう……なんでもお聞き下さい!! なんならそこのお店でゆっくりお話しましょうよ! お茶をごちそうしますから!」
「
「私の名前はマレーン・ジュルーヌ、年齢は二十三……いえ、二十歳! 年収税込み四百五十万エル、家族は父母健在弟が一人! 独身ッ!! 現在恋人募集中! 豊満な胸とくびれた腰が
「この号外の記事、快傑令嬢についてお聞きしたいのです」
あからさまにその女性はしょぼん、と肩を落としたが、それでもニコルの質問に答えてくれた――かなりの雑音が入った語り口であったが。
三十分に渡る立ち話によって得られたのは、快傑令嬢という義賊がこの二週間に三度も現れ、反乱計画や王都の井戸に毒をまく
しつこく食事に
「正義の味方じゃないでやすか、この快傑令嬢リロットってのは」
「あぁ…………」
ダリャンの一言にニコルは軽い頭痛を覚えた。女性にそういっていいのかどうかは
「旦那はこの正義の味方を捕まえる仕事に
「……ちょっと複雑な気分になってきたよ」
頭を振る。雑念を振り払って前を見る。
「この日に着くとは連絡してあったけど、
「……旦那、これは
「うん?」
「きっと、大歓迎されますよ」
ようやく、目にも
そこでは、ニコルの予想を超えたものが待っていた。
◇ ◇ ◇
「ニコル、お帰りー!」
『おかえりなさい』と
二年ぶりに
「ニコルちゃん、お久しぶり!」「おかえりなさーい!」「元気みたいだなぁ、ニコル!」「立派になったねぇ、ニコル!」「私、タリア。覚えてる?」「ニコルにいちゃん、お帰りなさい!」「やぁ……ちゃんと帰ってきたのねぇ、ニコル」「ニコル、こっち見てー!」
一気に周囲を囲まれ、一体誰から
「みなさん、お出迎えありがとうございます! ニコルはただいま帰ってきました! みなさんの歓迎を受け、大変
人と人との
「ニコルにいちゃん、騎士になれたんだ! かっこいい!」「ねえ、
近所の男の子が小隊
「……ニコル!」
ガヤガヤと
「ニコル……ニコル!」
「……母さん!」
ニコルの声が
少年の視界の中に、二年分、歳を重ねた母親の姿があった。
「ニコル!!」
「ただいま、母さん!」
母と子が駆け寄った。母――ソフィアの肉のついた
「ニコル……ニコル、ニコル、ニコル……! ああ……ちゃんとニコルなんだねぇ……!」
「は……恥ずかしいよ、母さん……」
母の胸の中に押し込められたニコルが周囲の目を気にする。が、母にはそんな気持ちは通じない。無事に帰ってきた息子を抱きしめられる喜びしかその心にはない。成長した我が子の形を確かめるように、その手が息子の背中をはい回った。
「くすぐったいよ、母さん――もう、みんな
照れ隠しにニコルはそういうが、家族のことのように事情を知っている人々には笑顔しかなかった。この界隈に住むものは隣近所はおろか、道を
みんな、
ひとつの幸せの種類がここにはあった。ここに住む者には『
「元気だったかい――元気だったんだね……」
「元気だって、手紙にいつもそう書いてたじゃないか。信用ないんだからなぁ」
恥ずかしい、といいながらもニコルは母親の匂いから離れがたいのを感じていた。自分の意思だったとはいえ、母親から離れたのはまだ十四の歳だ。完全に母から離れるには少しばかり早い。
母の肌と髪の匂いを
「実物を見るまで信じられないさ。まあまあ……本当に騎士様になっちゃったんだねぇ……お前が『きしさまになりたい』なんていい出した時は、なんて馬鹿なことをいうのかと呆れたもんだけどねぇ……」
「母さん、
「ああ、お
「相変わらずかぁ……
「飽きるほど見られるよ。お前が家にいてくれる限りね……さあ、長旅で疲れたろう。風呂、
ソフィアがようやくニコルを解放する。これでもかというくらいに母の愛情を
「よーし、みんな、取りあえずニコルを家に落ち着かせてやれ。
「わぁぁ――――!!」
頃合いを見て上げられた、青年の
「みなさん、ありがとう、本当にありがとう!」
ニコルが腕を振る。喜びを表すようにいっぱいに振る。母親に肩を抱かれ、ゆっくりと歩きながら町の人々に呼びかける。
ニコルはまだ気づいていなかった。
それは幸せなことだった。
――この歓迎会が終わった後、笑顔ではいられなくなる運命があることを、今は知らずにいられたのだから。
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