第02話「ニコル、王都に到着す」

「おかえりなさい、ニコル」

 東の空に陽がのぼる。

 あわあけの色が地平線に広がって、それが街道を行く二人――一人は馬上の騎士、一人はそのくつわを取る男の影を西の方向に長く投げかけた。


 まだ夜がようやく明け切った時刻だ。き来が絶えた広い街道、石畳いしだたみで整備されたその道を二人、ゆっくりとした速度で北に向かう。コア・エルカリナの南部衛星都市であるサウ・エルカリナの遠い街並みを左手に見ながら進んでいく。

 海岸も視界に入ってきた。西から吹いてくる浜風がかすかにしおの香りを乗せてくる――王都のにおいだ。


 二人の目の前にはコア・エルカリナの姿が迫っていた。距離は八カロメルトといったところか。二時間もあれば城門にたどり着けるだろう。

 朝陽が輝かせている王都の遠い姿。馬上で腰を浮かせ、少しでも高い位置からそれを見やろうとする、金色の風をまとった少年――ニコル・アーダディスの笑顔がほころんだ。


「わぁぁ……二年ぶりの王都だぁ……」


 男女問わず人の心を魅了みりょうするその笑顔が、優しくつつましく咲く野花の雰囲気ふんいきかもし出している。この少年に隠された欠点けってんを知りつつ、それでもその心根こころねを愛してしまう下男げなんのダリャンが口を開いた。


旦那だんな我慢がまん強いでさぁ。その歳で里心さとごころを我慢なされて、一度たりともお戻りにならなかった……なかなかできることじゃあございません」

「僕だって王都は恋しかったよ。この街のことを想うとその度に心がしめつけられるんだ」


 強がらず、正直な思いをニコルは口にする。そのまっすぐさがどれだけのご婦人の心を射止いとめてきたか――射止めた本人はつゆほども気が付いていない事実を知っているダリャンの口も思わず軽くなる。


「――恋しかったのは、王都だけじゃないんでがしょ?」

「あははは。まあね……」


 照れくさそうな笑い。ほら、その感情を表に出すのがいけないんですよ、また罪作りなことをすることになるでしょうから――ダリャンはいってやりたかったが、口を閉じた。僭越せんえつ、余計なことだと思ったからだ。


「ふたりで旅なんて本当に久しぶりだよ。ゴッデムガルドに初めて行った以来かな」

「旅行もなかったでやすからなぁ」

「任務で遠出する以外は、ずっとゴッデムガルドだったからね……でも、おかしかったね」

「なにがでやす?」

「ほら、行く先々の村で、お風呂に入れお風呂に入れ――って、毎日さ。女の子たちに、いいからお風呂に入れっていわれて。それも朝夕。なんなんだったんだろう? 僕、そんなに臭いかな?」

「…………」


 ダリャンは愛想笑あいそわらいで誤魔化ごまかした。


 風呂に入っているニコルを、その女の子たちが文字通り瞳を輝かせてのぞいていたことに関しては、対価を渡されて固く口止めをされていたからだ。おかげで結構な小遣こづかいがもらえた。まあ、実害はないのだからいいだろう。ニコルは綺麗きれいになれたし、みんな幸せなのだ。ダリャンはそう納得する。


「旦那、あれを見て下せぇ」

「ああ」


 素直に応じてくれるニコルをダリャンはますます好きになった。


 コア・エルカリナとサウ・エルカリナをつなぐ貨物列車が左手の遠くを走っているのが見える。二体の巨大ラミアが縦に並んで重連じゅうれん運転で牽く貨物列車だ。十台以上は連結された貨車かしゃに、長さ二メルト高さ幅一メルトほどのコンテナが無数に積まれている。


「あれを見ると、王都に帰ってきたっていう気持ちになるなぁ」

「王都はすごいもんですなぁ。自分もお使いでちょくちょく来ますけど、やっぱり田舎とは違いまさぁ」

「ゴッデムガルドも好きだけどね。のんびりしてて。あはは……離れたら離れたで、逆の里心がついちゃうや。不思議なもんだね」

「第二の故郷、ってやつでさぁ。旦那、ちょくちょくお帰りなさいな。みんな喜びまさ」

「ちょくちょく帰らないと、奥様がうるさそうだしなぁ……」

「愛されているんでさ、旦那はもう。口ではそうおっしゃりますけど、旦那だって奥様のことは嫌いではないでしょ?」

「好きだよ、奥様のことは」

「……そう素直に口にすると奥様が勘違かんちがいなさるので、ご注意なさってくださいよ」

「あはは。『お母様』って呼ばないとまたしかられるね。気をつけるよ」


 話している間に城門が目の前に見えてくる。巨大な都市をぐるりと囲む高さ十五メルトほどの城壁の威容いようにニコルは懐かしさしか覚えなかった。二年前、この街を旅立つまでは、この城壁の中が自分の世界の全てだったのだ。外の世界を知った今、幼いころとは違う感慨かんがいが生まれている。


 高さと幅八メルトの巨大な城門。それを守備している十数名の兵士たちに会釈えしゃくしながらニコルたちは王都に入った。王都西南部の工業地域に入る。目的地――ニコルの実家はさらに六カロメルト先……王都は広い。陽もすっかり高い位置に昇ってきた。


 今日は神の曜日、休日だ。

 出勤する人の数も少なく、行き来の量も多くはない。それでもゴッデムガルドの平日ほどの賑やかな往来おうらいがあった。まるで人々の体臭がかもし出すような王都独特の空気を吸いながら、ニコルはおのぼりさんのように左右を見回す。


「旦那、どうです? 久しぶりの故郷ふるさとは? 変わりましたか?」

「変わった……感じがするけど、よくわかんないや」


 故郷の王都、といってもその全てに馴染なじみがあるわけではない。幼い少年が全てを把握はあくするには広すぎる世界なのだ。ニコルにしても、知っているのは自分の家がある周囲、四カロメルト四方がいいところだった。


「二年もすると、細かいところは忘れるもんだね」

「このまままっすぐ行けばいいんでやすね?」

「もうちょっとだよ」


 大通りを行く。何本ものラミア列車とすれ違う。深いブルーの制服を着て三輌の客車をく巨大ラミアに挨拶あいさつとして軽く手を振ると、彼女たちは何故か――顔を真っ赤にしてぎこちなく会釈を返してきた。


 と、大通りを駆け抜ける風が吹く。左右の高層住宅の谷間を吹き抜ける王都独特の大風を受けて、ニコルの金色の髪が激しくなぶられた。


 羽ばたくように舞ってきた一枚の大きな紙が、馬上で避けようのないニコルの顔に直撃する。


「わぷっ」


 大きな紙――新聞紙に顔を包まれるようになったニコルがそれを顔から離しダリャンに渡そうとして、固まった。

 紙面にられたひとつの名前が、ニコルの目をそこにい止めていたからだ。


「快傑令嬢……!?」


 両手で新聞紙を広げる。今朝発行されたばかりの号外ごうがいだった。記事の見出しは――『快傑令嬢、違法亜人奴隷市どれいいち粉砕ふんさいす!』。


「ダリャン、これ、快傑令嬢の記事だ!」

「どれどれ、読み上げやしょう」


 ふところから出したメガネをかけたダリャンが号外を受け取る。


「ええと……『昨夕さくゆう現れた快傑令嬢大暴れ、木の六きのろく街区・貧民街ひんみんがいの旧劇場地下会場にて開かれていた亜人人身売買会場に現れ、会場を全壊はんかいさせ、関係者数百人の全てを半死半生はんしはんしょうにして颯爽さっそうと退場』……はぁ、派手なもんですなぁ!」

「もし、そこのご婦人! 馬上から失礼いたします!」


 背中を見せて前を歩く、長身の若い女性にニコルは声をかける。早足の女性が面倒めんどうくさそうな顔で振り向いた。


「はぁ、なんなのさ! こっちは大事な用があるから急いでいるっていう……なんでもお聞き下さい!! なんならそこのお店でゆっくりお話しましょうよ! お茶をごちそうしますから!」

御厚意ごこういありがとうございます、しかしそれにはおよびません。少しおうかがいしたいことが」

「私の名前はマレーン・ジュルーヌ、年齢は二十三……いえ、二十歳! 年収税込み四百五十万エル、家族は父母健在弟が一人! 独身ッ!! 現在恋人募集中! 豊満な胸とくびれた腰が自慢じまん! こう見えて、くす性格です!  他に聞きたいことが!?」

「この号外の記事、快傑令嬢についてお聞きしたいのです」


 あからさまにその女性はしょぼん、と肩を落としたが、それでもニコルの質問に答えてくれた――かなりの雑音が入った語り口であったが。


 三十分に渡る立ち話によって得られたのは、快傑令嬢という義賊がこの二週間に三度も現れ、反乱計画や王都の井戸に毒をまく陰謀いんぼう、亜人の違法いほう人身売買を阻止そししたことなどであった。


 しつこく食事にさそう婦人を丁寧ていねいに振り切り、馬が居眠りを始めそうになった頃合ころあいでニコルたちは再び歩き出す。


「正義の味方じゃないでやすか、この快傑令嬢リロットってのは」

「あぁ…………」


 ダリャンの一言にニコルは軽い頭痛を覚えた。女性にそういっていいのかどうかは微妙びみょうだが英雄も英雄、大英雄だ。やっていることが違法でなければ、とっくの昔に叙勲じょくんを受けて貴族になっていなければおかしい話だった。


「旦那はこの正義の味方を捕まえる仕事にくんですなぁ」

「……ちょっと複雑な気分になってきたよ」


 頭を振る。雑念を振り払って前を見る。


「この日に着くとは連絡してあったけど、歓迎かんげいされるかなぁ。ちょっと心配なんだ。みんなに忘れられているんじゃないかって」

「……旦那、これはけてもいいんですけどね」

「うん?」

「きっと、大歓迎されますよ」


 ようやく、目にも馴染なじんだ景色に差し掛かる。幼いころに通った建物、小さな店、郵便局、学校……記憶を刺激する様々なものが目に触れては懐かしさに色を添えてくれた。そんな大通りを折れて、住宅がせせこましく建ち並ぶ街区に入っていく――正真正銘しょうしんしょうめい故郷こきょうだ。


 そこでは、ニコルの予想を超えたものが待っていた。



   ◇   ◇   ◇



「ニコル、お帰りー!」


『おかえりなさい』と大書たいしょされた横断幕おうだんまく路地ろじにかけられ、馬上のニコルは色とりどりの紙吹雪を全身に浴びた。

 二年ぶりに凱旋がいせんした少年に百数十人の人々が笑顔で押し寄せてくる。小さいが何発かの花火が上がった。空でボン、ボンと鳴り響いたその音にニコルの乗る馬がおどろいていななき、ダリャンがあわててそれを押さえ込んだ。


「ニコルちゃん、お久しぶり!」「おかえりなさーい!」「元気みたいだなぁ、ニコル!」「立派になったねぇ、ニコル!」「私、タリア。覚えてる?」「ニコルにいちゃん、お帰りなさい!」「やぁ……ちゃんと帰ってきたのねぇ、ニコル」「ニコル、こっち見てー!」


 一気に周囲を囲まれ、一体誰から挨拶あいさつしていいのかニコルは迷った。まだ盗賊のれに包囲ほういされた方が落ち着けていたくらいだ。


「みなさん、お出迎えありがとうございます! ニコルはただいま帰ってきました! みなさんの歓迎を受け、大変恐縮きょうしゅくしています! ありがとうございます!」


 人と人との隙間すきまに入り込むようにニコルは馬から飛び降りる。人の波をかき分けるようにダリャンは必死になって馬を逃がし、空いた隙間も間髪かんぱつ入れずに埋められて、文字通りニコルはもみくちゃにされた。


「ニコルにいちゃん、騎士になれたんだ! かっこいい!」「ねえ、よろいに触らせてよ!」「わああ、剣だ! ねえ、本物? これ本物?」


 近所の男の子が小隊規模きぼでニコルにぶつかってくる。遠慮えんりょなしに胸甲きょうこうや剣にべたべたと触れられ、子どもの手とはいえ四方八方から押されるニコルはまるで船の上で揺られるようになった。


「……ニコル!」


 ガヤガヤとさわがしいざわめきの中で、声が一つ突き抜けるように飛ぶ。それを背中で耳にしたニコルが振り向いた。


「ニコル……ニコル!」

「……母さん!」


 ニコルの声がねた。その気配を察してなにもいわずに人々が空間を空ける。道ができる。

 少年の視界の中に、二年分、歳を重ねた母親の姿があった。


「ニコル!!」

「ただいま、母さん!」


 母と子が駆け寄った。母――ソフィアの肉のついた頑丈がんじょうそうな腕が息子の体を奪い取るかのように抱きしめていた。


「ニコル……ニコル、ニコル、ニコル……! ああ……ちゃんとニコルなんだねぇ……!」

「は……恥ずかしいよ、母さん……」


 母の胸の中に押し込められたニコルが周囲の目を気にする。が、母にはそんな気持ちは通じない。無事に帰ってきた息子を抱きしめられる喜びしかその心にはない。成長した我が子の形を確かめるように、その手が息子の背中をはい回った。


「くすぐったいよ、母さん――もう、みんなあきれてるじゃないか」


 照れ隠しにニコルはそういうが、家族のことのように事情を知っている人々には笑顔しかなかった。この界隈に住むものは隣近所はおろか、道をはさんだ向こうの街区がいくまで名前、家族構成を知らないということはあり得ない――この町が一つの家族のようなものなのだ。


 みんな、裕福ゆうふくではないが、たがいに助け合い、手を取り合い、必死に生きている。

 ひとつの幸せの種類がここにはあった。ここに住む者には『さびしい』などという感情はないのだ。


「元気だったかい――元気だったんだね……」

「元気だって、手紙にいつもそう書いてたじゃないか。信用ないんだからなぁ」


 恥ずかしい、といいながらもニコルは母親の匂いから離れがたいのを感じていた。自分の意思だったとはいえ、母親から離れたのはまだ十四の歳だ。完全に母から離れるには少しばかり早い。

 母の肌と髪の匂いをぎながら、ニコルは郷愁きょうしゅうという言葉を思い浮かべていた。これが本当の故郷の匂いだった。


「実物を見るまで信じられないさ。まあまあ……本当に騎士様になっちゃったんだねぇ……お前が『きしさまになりたい』なんていい出した時は、なんて馬鹿なことをいうのかと呆れたもんだけどねぇ……」

「母さん、ばあちゃんは元気?」

「ああ、お義母かあさんは家にいるさ。元気も元気――相変わらずだよ」

「相変わらずかぁ……なつかしいな、母さんと婆ちゃんのケンカ。また側で見たいな」

「飽きるほど見られるよ。お前が家にいてくれる限りね……さあ、長旅で疲れたろう。風呂、かしてあるからね。まずは体を綺麗きれいにするんだよ」


 ソフィアがようやくニコルを解放する。これでもかというくらいに母の愛情をびせられて、ニコルは窒息ちっそくしかねない心地で母から離れた。


「よーし、みんな、取りあえずニコルを家に落ち着かせてやれ。歓迎会かんげいかいは一時間後からだ! 広場でごちそうを食べるからな! みんな、朝メシは抜いてるだろうなぁ!?」

「わぁぁ――――!!」


 頃合いを見て上げられた、青年の威勢いせいのいい声に周囲の歓声があがる。百数十人の顔には笑みしかない。今日はお祭りなのだ――夢見るようにその日を待ちわびるような。


「みなさん、ありがとう、本当にありがとう!」


 ニコルが腕を振る。喜びを表すようにいっぱいに振る。母親に肩を抱かれ、ゆっくりと歩きながら町の人々に呼びかける。


 ニコルはまだ気づいていなかった。

 それは幸せなことだった。

 ――この歓迎会が終わった後、笑顔ではいられなくなる運命があることを、今は知らずにいられたのだから。

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