第二部「ニコルはリルルとリロットに恋をする」

第01話「快傑令嬢、恥ずかしながら帰って参りました!」

「王都エルカリナの裏舞台――亜人奴隷市」

 この世界屈指くっしの巨大都市、エルカリナ王国の首都である、王都エルカリナ。

 衛星都市をふくめればその人口規模きぼは三百万。中核ちゅうかく都市のコア・エルカリナだけでも百六十万の人口をかかえている。


 その人口の内訳うちわけは、居住きょじゅうを許された一般市民――九割九分九十九パーセントまでが「人間族」と分類されるものだ。残りの割合は、その特殊能力や技術によって「王都にいてもいい」と見なされた亜人たちである。


 日々列車をく巨大ラミアたち、各役所で連絡員として飛び回る羽妖精フェアリーたち、工場に住み着いて特殊糸とくしゅいとを吐き続ける蜘蛛女アラクネたち、港湾区域こうわんちいき荷揚にあげに汗を流す屈強くっきょう巨大鬼オーガたち。


 それぞれがエルカリナの産業を支え、経済を回し続ける重要な動輪どうりん、歯車たちだ。彼らには市民権にじゅんじた生きる権利が認められ、不法に傷つけられた場合は法廷ほうていうったえる資格を与えられている。


 が、この街に居着いついた大部分の亜人たちは、そんな権利を持ってはいない。役人に見つかれば即座そくざに城壁の外に追い出されるし、道の真ん中で殺されても誰も問題にしない。


 ――はず、だった。


 現実としては、あからさまに顔を見せていない限りは、亜人たちが道のすみを歩いていても役人たちはとがめようとさえしなかったし、彼らを傷つけたものは『動物・・無為むいに傷つけた』罪で立件りっけん起訴きそ処罰しょばつされた。


 うらぶれた町工場、大量の物資を右から左に全力で流し続ける流通りゅうつうの現場において、低賃金ていちんぎんで長時間働く彼らの存在なしではもう、王都エルカリナの経済は成立しないのだ。


 歯車を無理に引っこ抜いた機械がどうなるかは明白めいはくだ。だから誰も亜人をとがめない――一応、取り締まりはしているという姿勢を宣伝せんでんするために、ほとんど形式でしかない摘発てきはつがたまに行われているだけで。


 そして亜人たちにはもうひとつ、どうしても欠かせないような、とても重要な役割がせられていた。


 それは彼ら、いや、主に彼女・・たちの体そのものが、商品になるということである――。



   ◇   ◇   ◇



 巨大都市を大きく東西二つに分断するように流れる大運河の東側、王都エルカリナ東部。

 西部が王城、貴族の邸宅地ていたくち政庁街せいちょうがい繁華街はんかがいできらびやかに輝くのに対して、東部は主に中流以下が住む住宅地が大半である。


 そのさらに東、城壁にへばりつくような日当たりが悪い区域は下流以下の貧民、亜人たちが住み着く不法居住区域となっていた。

 ここで起こる事件は、よほどの大事件でなければ役所は介入かいにゅうしない。貧民同士、亜人同士の強盗や殺人などは事件の件数として数えられカウントされない。


 一種の聖域せいいきというか、治外法権ちがいほうけんというか。

 そんな場所でしか成り立たないもよおしものもいくつかある。


 人身売買。いや、正確には亜人売買というべきだろう。


 人の心の暗い欲望を満たすため、貧民街ひんみんがいのさらに光が当たらない場所で、連日連夜の違法いほう展覧会てんらんかいり広げられていた。



   ◇   ◇   ◇



 会場はまさに、熱狂ねっきょうの波をものすごい勢いで渦巻うずまかせていた。

 小劇場のようなせまい空間、半円状の舞台の円周を取りかこむように、数百人の男たちが空間を埋めくしている。


 地下、それももう日暮ひぐれにもかかわらず会場は異様いようなほど明るい。過剰かじょうな数の照明が魔鉱石の青白い光をともし、人の形が投げる影の黒さをくっきりと際立きわだたせていた。

 盛況せいきょうなのは光だけではない。静寂せいじゃくとはとっくにえんを切ったような連中がさけび、わめき、つばを飛ばして怒鳴どなり合う。この会場もまた、王都エルカリナの現実の一つだ。


 今、その狂った会場の注目は、舞台の上で無数の光のすじを浴びせられている一人の女性に集められていた。


「さあ、さあさあさあ、本日も佳境かきょうむかえ、ご紹介しょうかいできる商品も残り少なくなってきました!」


 舞台に立った真っ赤な燕尾服えんびふくの男が、芝居がかった仕草しぐさで声を張り上げる。少し歳がいった、上品な紳士のおもむきを漂わせるその男も普通ではない。右目に眼帯がんたいめ、その目の周りから外にかけて隠せない傷跡が見える。爆風かなにかを浴びたような傷だ。


「本日二十四番目! 次なる商品は、山猫族の娘! 見た目の美しさはご覧の通り! 健康状態も医師の診断書しんだんしょの保証付き! 愛玩動物ペットとして飼うもよし! メイドにしてでるもよし、売春宿で働かせるもよし! どんな用途ようとにも応えること間違いなしの逸品いっぴん!」


 その、司会の男のかたわらに立たされた少女――山猫族の娘は浴びせられる光量には相応ふさわしくない暗い顔でうなだれ、薄い下着しか着けることを許されない体を鎖につながれていた。投げかけられる圧倒的あっとうてきな光の輝きが、娘の絶望を際立きわだたせている。


 上から、下から、横から後ろから投射とうしゃされる光が、童顔どうがんと細い手足の割りには肉付きのいい胸や尻のふくらみを強調する。それに興奮した男たちが競売きょうばいの開始の鐘が鳴るのを今か今かと待ち受けていた。


 ――奴隷市どれいいち

 エルカリナ王国では、奴隷の所持しょじ販売はんばいは禁止されている――表向きは。


 しかし、奴隷を必要とするものは無数にいる。名称めいしょうを変え、闇に隠すことで奴隷は確固かっこたる数が存在している。この市も、そんな、奴隷を必要とする層に必要なものを供給きょうきゅうする基盤インフラだった。


「まず開始金額は四百五十万! みなさんふるってご入札にゅうさつ下さい! ――それではどうぞ!」


 カーン! と軽く鋭い鐘の音が燕尾服の男によって打ち鳴らされた。


「七百万!」


 熱の入った声が飛ぶ。


「七百二十万!」「七百四十万!」「こっちは七百五十万だ!」「七百六十万つけるぞ!」


 舞台の下の男たちが手を上げながら金額を叫ぶ。その全員の目が血走っている。山猫の娘を我が物とするために。


「九百万!」


 突き抜けた金額に、どよめきが狂騒きょうそうぎ払った。後に続く者は――いない。


「はい、もうありませんか、九百十万以上、ありませんか、ありませんか――では、九百万エルでご落札らくさつ! いい買い物をなされましたねぇ! みなさま、盛大せいだいな拍手をお願いいたします!」


 調子のいい司会にうながされて舞台に上がった落札者が、観客に手を振る。景気のいい姿に称賛しょうさん嫉妬しっととやっかみが入り交じった声が声援のように浴びせられた。


 その男の手に鎖をにぎられた山猫族の少女の絶望が涙となって流れる。


「と、いうことだ、九百万エル。お前はうちの売春宿で働くんだ――早速、明日からな」

「いやあ……帰して、里に帰して……わたし、さらわれてきたんです。自分を売ったんじゃないんです……!」

「知るか。猫のくせに足がのろいお前がマヌケなんだ。九百万を逃がすと思うか――お前には二十四時間、鎖が必要なようだな!」


 山猫娘の哀願あいがんに同情のかけらも見せずに男は笑う。


「山猫の娘は体が柔らかいからな――うちの客は変態ばかりなんだ。お前もきっと可愛かわいがってもらえるだろう、ははは……」

「いやぁ……いゃぁ……」

「さあ来い! この瞬間から私がお前の飼い主だ! すぐにたっぷり、商品の鑑定かんていをしてやる……すみずみまでな!」


 男に鎖を引っ張られ、もう涙しか流せない娘は舞台のそでに連れて行かれた。

 会場は空白にはならない。すぐにさざ波のようなざわめきが間を埋める。


「さあさあさあ、お取引できる商品も残り最後の一つになりました! 大トリをかざる商品はなんなのか――実は、私も知らされてはおりません!」

「嘘つけ!」「もったいぶるな!」「早くしろ――最後が終わるまでここを出られないんだからな!」

「まあまあまあ、お客様、そんなに興奮なさらないで! さあ、注目の最後の商品、それは――――あえっ!?」


 本当に最後の商品を把握はあくしていなかった燕尾服が、助手に渡された資料をめくってその目をいた。


「おい、これ、本当か」

「ええ、間違いはないはずです」

「間違いはないって……俺も初めて見るぞ。今まで現物げんぶつを見たことがない」

「じゃあ、今夜初めて見ることになるんじゃないですか?」


 助手の気楽さに比べて燕尾服の顔には緊張きんちょうが走っている。その唇が震えていた。


「ダ……ダークエルフ……」


 つぶやきに恐れの色が頭からペンキをかぶっていた。


 ダークエルフ。

 闇の領域に生きる、森の妖精の眷属けんぞく


 どういういきさつで誕生したのかは定かではないが、エルフと同じくらいの長命をほこり、魔界からつながる力を奮うとされている、エルフよりおそれられ、み嫌われる存在であった。


「……い、いや……ダークエルフなら、まだマシだ。エルフよりはいい、少なくともあいつじゃないからな」

「あいつ?」


 頭を激しく振って恐れを振り払う司会に、若い助手が首をかしげた。


「普通、エルフの方がマシなものでしょう? どうしてエルフをいつもこわがるんですか?」

「……昔、ちょっとな」

「早くしろ! いつまで待たせるんだ!」「司会、仕事しろ!」「さっさとやれー!」


 興奮こうふんが冷めない客がヤジを飛ばす。放っておくと暴動ぼうどうになるかも知れないという高潮こうちょうぶりだ。いや、実際、暴動になった事が何度かある。そのために、十五人からなる用心棒ようじんぼう小隊を二つもっているのだ。


「……取りあえず、連れてこい! 売るぞ!」

「わっかりましたぁ」


 助手が商品・・を連れてくるために奥に引っ込んだ。


「はい、はいはい、ただいま商品をご覧に入れます――最後の商品は、なんとあの! ダークエルフです!」

「うおおおおおお!?」


 おおおおお、と驚きの大波が立ちっぱの客に津波のように広がった。今年、いや、この数年でいちばんの驚きだ。十年この仕事をしている司会の燕尾服が知らないのだ。誰も現物を見たことがないのに違いない。


「ダークエルフが出るのか!?」「ちくしょう、そうとわかってたらもっと預かり金収めていたのに!」「いや、実物を見られるだけでも幸運だ――のろいなんか知るか! 早く見せろ!」

「はい、ただいま、ただいま」


 これ以上らしたら、二年ぶりの暴動になるだろうな――そんな予感を覚えながら司会の男は別の考えをめぐらせた。

 もうそろそろ、この稼業かぎょうからは足を洗おう。金は貯まった。田舎いなかに帰って、土地を買って畑仕事をするんだ。刺激のない世界で生きよう。


 今日が最後だ。今日が終わったら、辞表じひょうを叩きつけよう。

 もう――。

 もう、エルフにビクつく生活は嫌だ――。


 そんな司会の後ろに、問題の『商品』が連れてこられた。手枷てかせをされ、頭からすっぽりとフードをかぶされて体はおろか顔も見えない。背は低い。まだ子どもくらいに見える。


 そんな彼女が、舞台の中央に立たされた。無言でうつむく彼女に明るい光の線が数十も降り注がれる。厳重げんじゅう包装ほうそうされた商品の包み紙を破る直前の楽しみに全体がざわめいた。


「さあ――本日最後の商品です! めったにお目にかかれないダークエルフ! 今日来られたみなさまはとても幸運だというしかないでしょう! それでは商品をお目にかけましょう――今、フードをぎ取ります!」


 実際にフードを外そうとする司会がいちばん興奮している。最後に売るのがダークエルフか、それもなにかの因縁いんねんなのか――これで全ての幕が閉じる、そんな予感を覚えながら司会はフードに手をけ、乱暴ともいえる手つきでそれを取り去っていた。

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