「彼女の値段は、如何に」

 会場はいた、沸きに沸いた。熱狂ねっきょう竜巻たつまきに、渦巻うずまきになってこの場にある感情の全てをかき回した。

 ダークエルフが実在するのはみなが知っている――が、それを目にしたものはこの場で一人もいない。亜人と日常にせっする彼らでさえそうなのだ。


 それが目の前に現れる。興奮こうふんするしかない。興奮する以外のいったいなにができるだろうか?


「おおおおおおお――――!!」


 彼女ダークエルフおおっていたフードの全てががされたその瞬間が、この時点において会場が最も歓喜かんき沸騰ふっとうした一瞬だった。

 厚手あつでの布にされ、隠されていた体が一気にあらわになる。そして――全てが、光の下にさらされた。


「――おおおおお」


 うわさに聞く紫に近い深い青の肌。闇の眷属けんぞくを思わせるに相応ふさわしい、魔の雰囲気を帯びた色。

 鋭く後ろに向かって伸びる長い耳。森妖精エルフにしかない特徴。その耳の形に異様いよう執着しゅうちゃくを示す者さえ少なくない。


「おお…………」


 背中までかかった、わずかに青を帯びた銀色の髪はかすかに波打っている。顔は――目をつぶっているので瞳の色はわからない。しかし、通っている鼻筋と小さめの口の形は整っていて見事な美貌びぼうをうかがわせる。美人――いや、幼さがぬぐい切れない美少女の外貌がいぼう


「…………お」


 そこまでは、よかった。


「――――」


 会場が沈黙ちんもくした。海がその潮騒しおさい停止ていししてしまったような心の寒さがただよった。

 まるで無人になったかと錯覚さっかくさせる、てついた静寂せいじゃくが会場を満たした。

 頭の上にのしかかる重い空白に、誰もが苦しい圧迫感あっぱくかんを覚えながらも、口を開けなかった。


「……なんだこりゃ」


 ひび割れた心の器から感情という液体がみ出るように一人がつぶやいた。おそらくは全員が同じ思いだったろう。


「どうなってる」


 シャツとショーツ一枚という、下着姿同然――いや、立派な下着姿のその少女。


 ぺったんこだった。


 いや、厳密にいえばふくららみはある。

 確かにある。おか形容けいようするにはかなりの勇気が必要ななだらかさだったが。


「…………」


 フードをぎ取った司会本人が動揺どうようして言葉を発せない。

 馬鹿な、こんなことがあり得るのか。なにかの間違いだ、神様。


「なんでだ」


 静寂が重い支配をいた世界で、勇気ある者がひとつ、つぶやいた。


「なんでダークエルフが貧乳なんだ」


 その発言をしたものに、残りの全員が感謝をささげた。心が狼狽ろうばいして自分たちは口にできなかったからだ。

 ――そして、それは呼び水となっていた。


「なんでダークエルフが巨乳じゃないんだよ!!」


 一気に怒りがき出す。憎悪ぞうお転化てんかされたエネルギーが噴出先ふんしゅつさきを求めて殺到さっとうした。


「ダークエルフといったら、見事なくらいのボンキュッボンに決まってるだろうが!!」

「エルフはいい、貧乳でも、まだ風情ふぜいがある」

「馬鹿野郎! 最近のエルフは巨乳が流行なんだ、この時代遅れが!」

「……新しいものはなんでもいいと思ってる若造の尻軽ミーハーが! 恥を知れ!」

「この老害ろうがいが! 殺すぞ!」

「なんで客が銃器を持ち込めてるんだよ! 入口での検査員けんさいんはなにをしていたんだ!」


 拳銃を持ち出して相手を撃とうとした二人を周りが押さえ込み、武器を取り上げる。


「あああ! 殺し合いはこのあと! おもてでやって下さい! ……しかし、このまな板、洗濯板せんたくいた平坦へいたん、平野、造成地ぞうせいちじゃあ……」


 ダークエルフの少女は――目を閉じてうつむいているが、その歯が固く食いしばられている。屈辱くつじょくと怒りに肩が震えていた。

 魔力にひいでているものがいれば、少女の頭や肩から炎のようにゆらめくものに気が付いたかも知れない。


「なんでもいい! 取引開始の鐘を鳴らせ!」

「そいつの取引が終わるまで扉が開かないんだ! さっさとこの茶番ちゃばんを終わらせろ!」

「は、はい、はいはい、はい」


 最後の舞台を暴動で終わらせられるか――司会の男は最後の意地で鐘を鳴らす木槌きづちを手に取った。

 木槌を鐘に当てる。が鳴るような気合いの抜けた音が響いた。


「では、五百万から開始します!」


 司会が声を張り上げる。

 ――それに応えたのは、沈黙ちんもく


「……では、四百万から!」


 同様。


「……三百万からでは?」


 静寂せいじゃく


「……百万から!!」

「百十万」


 一人がのっそりと手を挙げた。

 続く者は。

 ……いない。


「ダ、ダークエルフですよ? 珍品ちんぴんですよ? めったにお目にかかれない稀少品きしょうひんですよ?」

「……エロエロ体形ボディじゃないダークエルフなんて、のろいの心配の方がまさるからなぁ」

「こんなのうちの売春宿で出せるか。客から苦情の嵐だ。期待していたのと違うといわれて、評判がかたむいて店がつぶれる。ただでもいらん」

「可愛いのは可愛いが、ない乳のダークエルフとかなぁ……有り得ん」

「色気皆無かいむ。話にならない」

「大して力仕事もできそうにないし……」

餌代えさだいで赤字だ。二十万なら即決そっけつするぞ」


 ぶるぶる、ぶるぶる。

 なにか奇妙な暑さを感じて司会の男はかたわらを見る――ダークエルフの少女がその震えを隠せずにいた。かせでつながれた手が固く握られて、その指先が手の平に深く食い込んでいる。


 ぎりぎりぎりぎりとなにかがこすられる音――歯ぎしりか、これは。不快、というか皮膚に突き刺さるような怒りの気配を本能で感じ、司会の足が知らず知らずのうちにその少女から離れていた。


「……はあああ」


 司会の男の肩が落ちた。もう戻せそうにないくらいに落ちた。

 百十万か。最低記録じゃねぇか。こんなショボい取引でこの仕事は終わるのか――――まあ、いい。さっさと終わらしちまえ。かえってせいせいするというものだ。


 もう、この世界からは足を洗う。知ったことか。あとは残った者で好きにしろ。


「……じゃあ、百十万ということで、この取引はせいり――」

「待った」


 一人の男が手を挙げる。人波を押しのけて前に出ようとし――自然に群衆ぐんしゅうが道をゆずる。言葉もなくそんな光景が成立した。その男にそれだけの威厳いげんがあることを、周囲の人間が認めていたからだ。


 身なりのいい男。豪商ごうしょうか貴族か――生地と仕立てのいい服に無数の宝石をちりばめている。貧民街を歩けば五分も経たずに強盗に豪奢ごうしゃぶりだが、周囲を囲むようにピタリとつく四人の体格がいい無表情の男たちが、そんな不埒ふらちな行いを無言で牽制けんせいしていた。


「あ、応札おうさつですか? 百二十万でよろしいですか?」

「――その前に、この場の諸君しょくん等に一言申し上げたい」


 葉巻をくわえた口――火はついていなかったが――を器用に動かし、その男は言葉をつなげた。周囲の人間が黙って聞く気になったのは、その男がこの奴隷市どれいいち常連じょうれん中の常連だったからだ。その羽振はぶりのよさは常識として知れ渡っている。上質の亜人奴隷を高値で買い集めている男。


 自分の身を守るために、誰もその男の正体も素性すじょうも知ろうとはしなかった。知る、ということは危険な行為なのだ。それだけで殺されてしまうことがしばしばあるのだから。


「私は恥ずかしい。こんな見る目のない連中と一緒にいることが。私もその一人に数えられかねないということが」

「……どういうことでございましょう?」

「少し前までの亜人奴隷市は、こんな程度の低いものではなかった」


 全員が聞き入る。何故か、その言葉を静聴せいちょうしようという暗黙の同意があった。


「かつては、私などより優れた目利めききができるものたちが大勢いた。砂粒と砂金さきんを一目で見分けられる者ばかりだった。だが、つまらない者たちが増えたがために賢者けんじゃたちはみな、去った。後に残ったのは愚者ぐしゃたちばかりだ。私もまた、とうの昔に去るべきだった」

「……話が長くなるのでしたら、そろそろ切り上げてもらいたいのですが……」

「要するに、だ」


 男が人差し指を立てた。


「私は、これだけのがくで応札するということだ」

「……あの、既に百十万が出ていますので、百万では困ります。百二十万以上でないと」

「――君も、とうとう愚者の集団からは抜け出せなかったか。残念だ」


 葉巻を口から外す。深々とため息を吐いた。

 葉巻を箱に直し、それを懐に収めてから男は静かに――しかし、強い口調で言っていた。


「私が提示ていじするのは――、一億エルだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る