「あたたかい、瞬間」(完)
「……シュルツ」
ああ、しゃべっちゃった。名前はいうまいとしていたのに。
「シュルツっていうの」
「シュルツさんですか。いい人のようですね」
「……どうしてそういえるの?」
「あなたがその名前を、大切そうに口にするから、ですよ」
「…………」
やだなぁ、この子。
全部お見通しじゃない。悔しい。
「ジラフィマ――!」
――あ。
声が、後ろから聞こえてきた。青年の声。思わず振り返る。
あたしが、待っていた声。
「
「……あたしの名前」
名前。名前か。
「南北五番
「ああ……」
なんて記号的な……いや、記号か。
ただの番号。名前なんかじゃない。
でも、あたしはこれしか持っていない。それ以外につけられなかったから。
「……いい響きですね」
え?
「いい響きですよ」
「そうかな……」
「ええ」
――――。
「…………ありがと」
「いえ」
そんな風に
好きな名前じゃないけど、なんかそういわれたら、
「ジラフィマ!」
そんな気になると、あの声で呼ばれるこの名前がなんか、特別なものに思えてきた。
声の主。一頭立ての馬車に乗ってやってきた。
まだ二十歳前の男の子。交通局に入って一年目の新人。あたしの世話係。
……そして。
「すまん! だいぶ待たせたな――寒かったろう!」
――シュルツ。
馬車から飛び降りて駆け寄ってくる。いっつも早足。相手を待たせるのが嫌だから、っていうんで……いっつもだわ。……気をつけてよ、足元は
もう。
「……待ったわよ! 止まってからもう二時間半よ? フィルちゃんがいなかったらとっくに
「フィルちゃん? 誰だい?」
シュルツが首を
「ほら、そこにいるエ……お嬢ちゃんよ!」
「いや、誰もいないよ」
「え?」
指差す方向を見る。――あれ?
「フィルちゃん……?」
エルフのお嬢ちゃんの姿が、ない? うっすらとした
……雪の上に紙袋が置かれている。フィルちゃんが買ってきてくれた三日月イモが入った袋。
拾い上げる。底の方に焼いた石を入れているのか、まだ焼けるように温かい。
「……さっきまで、いてくれたのよ」
それは確かだ。震えていたあたしの側にいてくれていた。
それだけは、間違いない。だからあたしは今、
「ジラフィマ、今、
荷台から広い毛布が取り出される。幅二メルト、長さ四メルトの毛布。それが何枚もあたしの胴体にかけられ、ひもで固定されていく。
それだけでなかなかの仕事。客車の下に潜り込んで、毛布を掛けて、また客車に潜り込んで……。
きびきびとした動作でも二十分くらいがかかる作業。十五枚の防寒毛布が掛けられる――うん、寒くはない。風が当たっても、平気。
「ほら、コートを着て」
「……ありがとう……」
シュルツが後ろに回って厚手のコートを着せてくれる。うっすらと汗をかいた彼の息が弾んでいて、近くに体温と息づかいを感じる……やだ、恥ずかしいじゃない……。
「ジラフィマ?」
「あ、あ、ありがとう、着せてくれて!」
舌! ちゃんと動け!
「ほ――ほら! まだ前方の五号車が待ってるんでしょ! 早く行ってあげてよ!」
「ああ、急がせてもらうよ」
「――――」
……急がないでよ。ちょっとくらい、いてくれてよ。
急がなきゃ、いけないんだろうけれど、さ!
本当、
「――えっと、さ」
駆け出そう――としたシュルツが、足を止めた。振り返った。
な、なに?
「ジラフィマ、明日、
「そうよ――それがどうかしたの?」
「俺も休みなんだ」
それが……どうしたの。
「明日、一緒に、街に出かけないか?」
は、は――?
「出かける……?」
「ああ」
「で……出かけてどうするのよ。あたし、どこの建物にも入れないっていうのに。意味ないわよ」
「
……なんですって?
「大通りの屋台市だったら、お前でも回れるさ」
「…………迷惑よ、こんな
「大丈夫だって! なにかいわれたら俺が前に出てやるから」
なによ、明日、一緒に街に行かないといけないわけ?
……本当、面倒。面倒過ぎて、明日も雪が降ってくれないかしら。
「うふふ」
……まったく。
「うふふふふ」
「お、笑ってくれたな。いいのか?」
「……付き合ってやってもいいけどさ、ちゃんと、あたしを引っ張ってくれないと……嫌よ」
「――その前に、今夜さ」
なに? まだ続きがあるの?
って、今夜って、なに?
「操車場で、朝まで一緒にいたいんだけど」
「は――――」
…………。
……それってさ。そういうこと?
「……ダメか?」
……顔、真っ赤にして聞いてこないでよ。
「――わかってると思うけれど」
ああ、なんでこんなこと、口にしないといけないのよ……。
シュルツのばか!
「あたし、あなたがしたいと思うようなこと……そんなにしてあげられないわよ。体のつくりがどうなってるか、わかってるでしょうに……」
――あたしが子どもを作るのに、オスは要らない。一人で卵を産んで、その卵からメスが生まれる。たんい……せいしょくっていうらしいわね。
だから、人間のオスとメスがするようなそういうことは、必要ない。当然、体もそうなってる。
「……つまらないわよ。きっと……」
「つまらないことないさ。……俺、今、お前と話しているだけでも心臓、ばくばくいってるんだから…………」
「――――」
は……は、は、恥ずかしいわね!
あんた、もう
中等学校の学生か、あんたは!
――――。
「手、つないで。抱き合って。……キスまでいけたら、もう心臓が
「――――ああっ、もうっ! 早くあっちいって!」
なによ、こいつ!
あたしの心を恥ずか死させる気なの!?
「あたしができることなんでもしてやるから、早く向こう行って! 恥ずかしくて自殺したくなるわ!」
「約束だぞ!」
「わかったから、夜まで顔見せるな! 仕事終わるまで、働け!」
「じゃあなー!」
シュルツが馬車に飛び乗る。そのまま走り出す。
荷馬車が行ってしまうのを目で追いながら、あたしはため息を吐いた。
深く深く、そして、暖かい息。
「……シュルツのばか」
……あ。
もう、寒くないな。
体が……心がぽかぽかして、あたたかい。
「……うふふ」
なんだ。
いいこと、あるじゃない。
「うふふふふ」
……悪くないな。
うん、悪くない。
心があって、いいことも結構、あるみたいね――。
◇ ◇ ◇
「……なんですか、結局は
風のようにその場から離れたわたしは、二人のやり取りを遠くから眺めていました。
――なんて恥ずかしい。
こっちまで恥ずかしくて死んでしまうところでしたよ。
「うかつに人の恋話なんて踏み込むものではないですね――あやうく、甘ったるいノロケ話を聞かされるところでした」
ああ、つまらない。気持ちがくさくさする。
こんな時はどうするか。
「あとでお嬢様でもからかって、気晴らしとするにいたしましょうか」
振り返ります。見えるのは、もう、凍えたりしていないラミアさん。
「――
……帰るとしましょう。しょうもない。
「――どうか末永く、お幸せになりやがってください」
まったく、もう。
「番外編 ラミアの白い恋」(完)
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