「其の二」
「ほう!」
嬉しそうなゴーダム公の声が飛んだ。
「面白い返事だ。このような話、平民出身のそなたには――いや、誰にとっても夢のような話であろう! 『はい』と二つ返事すれば、我が娘と領地が手に入る――それがわからぬほど、そなたは
「その通りです!」
少年の瞳が、公爵に
「できかねる、という物言いは面白い。事情があってできない、というように聞こえるな。では、その事情を申してみよ。そなたにはそれを説明する義務があるぞ?」
「ニコル、
サフィーナの水かけに、間を
「……お恥ずかしい話ではありますが、申し上げさせていただきます!」
乾ききったニコルの喉が鳴る。唾で無理にでもそれを
「そのお話を
「その女性との約束は、私の願いよりも優先するというのか?」
「約束の前に、身分の高い低いは関係ありません!」
ニコルの視線は揺らがない。動じるな、という自分への
「……閣下の願いより先にその約束があった、だから優先せねばならない、それだけの話です!」
「――――」
ゴーダム公が、ニコルの肩から手を放した。そのまま立ち上がる。後ろ向きに歩き、椅子に腰を落とす。
「は…………」
落とした途端に、その口から笑い声が弾けた。
「は――――はっはっはっはっ!!」
その笑い声の大きさ、愉快さにニコルの顔に驚きの陰が差した。サフィーナは……父の横でニコニコと笑うだけだ。
「はははは……! これはまいったな! ニコル、私は嬉しいぞ! そのような若者をこの手で育て上げられたことを光栄に思う! ……しかし、公爵領を乗せても負けてしまう相手か。これは勝てん、勝てんなぁ……はははは……!」
「お父様、ずいぶんご機嫌ですのね」
「サフィーナ、お前こそ悲しくないのか? お前こそ意中の相手に
「私も、とても嬉しいのです。ニコルが、私が愛するニコルのままでいてくれたので」
言葉に
「――公爵領を
「なんだ? ではお前は結局、ニコルがどう返事しようが結果は同じだったわけではないか」
「――いいえ。私はますますニコルが好きになりました」
サフィーナが、前に歩を進めた。
「それが本当に嬉しくて……そして、とても悲しい……」
ニコルの前に立つ。――自分の首から下げられ、胸元を飾っているペンダントの鎖を外した。
銀色の細い鎖の先に、親指の先ほどの大きさの円形をした金色の飾り。純金の表面に細かい
それをニコルの前に差し出すようにした娘の行動に、ゴーダム公が思わず椅子から腰を浮かせていた。
「お――おい、まさか、それを」
「これは私が受け継いだものです。どうしようと私の勝手のはずです――ニコル、首を差し出しなさい。あなたに、私の想いを
「は……はっ」
ニコルが頭を下げる。そのニコルの前に膝を落とし、サフィーナは鎖をニコルの首の後ろでつないだ。
「よろしいですか。あなたはこれからもう二度と、その首飾りを外すことは許されません。それが、私が貴方に与えられる罰なのです」
微かな香りを残して、サフィーナが離れる。少女が温めていたペンダントは今、ニコルの首元にあった。
「片時も外すことはなりませんよ。戦場にいる時も、休む時も――そう、たとえ……他の女性の方と
満月を形にした円形のプレート。文様に見える細かな文字の羅列は、月に対する感謝を詩にしたものだ。
「――私もその時、同じ月を眺めて貴方のことを想いますわ……お返事は?」
「…………かしこまりました! お嬢様の、仰せの通りに……」
「よろしい。……ニコル、お顔を見せて」
床に着いた自分の手を見つめていたニコルが顔を上げる。微かに首を傾げるようにして微笑んでいるサフィーナと、視線が絡んだ。
サフィーナが、すっと手の甲を差し出す。その手を取り、ニコルはうやうやしく唇を乗せた。
「……道中、お気をつけて。貴方の大切な方によろしく……」
「……サフィーナ様」
「お、おい」
そのまま歩を進め、
「どこに行く。もう、ニコルはこの足で
「――私はこれでも忙しいのです」
数瞬だけ足を止め、サフィーナは、そのまま扉まで進んだ。
「これから、部屋に戻って、朝まで泣かなければいけませんもの……」
サフィーナの姿が消える。扉が閉まり、ほんのしばらく音のない時間が流れた。
「ふははは……我が娘を泣かせてくれたな。そんなことをしてくれたのはそなたが初めてだ。死罪に値するなぁ、これは。ははははは……」
「……申し訳ありません」
「ただの
「……はっ!」
「私からも、
ゴーダム公が再び立ち上がり、同じく立ち上がったニコルの側に近づく。ポケットから箱を取り出し、一つの
「閣下! それは!」
五角形のプレートに、背に翼を生やした一頭の獅子が左を向いているレリーフが刻まれている。紛れもないゴーダム家の紋章だ。
動くことのできないニコル、その
「これは、ゴーダム家のお身内であることを示す徽章ではないですか! そのようなもの、自分のような小身の
「そなたにつけてほしいのだよ、ニコル」
二度と外れないように、と念を押すようにして頑丈に取り付け、ゴーダム公はそれを軽く手で叩いた。
「それをつけていれば、このゴーダム家の
「あ……あまりに、もったいない……」
「忘れるな。私はそなたを息子のように想っている。――そなたも、私を父のように想ってくれ」
「……ご存じかとは思いますが、自分の父は、自分が生まれる前に他界いたしました」
左肩に取り付けられた徽章の重みに耐えながら、ニコルは言葉をつないだ。
「もしもこの世に自分の父がいるとしたら、それはゴーダム公ただお一人です。――父上」
「うむ! それでこそだ、我が息子よ!」
やわらかな輝きを帯びた瞳が、我が子をその中心に
「しきたりにて、私が見送れるのはここまでだ――さあ、行くがよい! そしてまた
「はっ! 二年の間、大変お世話になりました! 心から感謝いたします! 父上、
ただの
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