エピローグ・後「ニコルの帰還」
「其の一」
王都エルカリナから、
有力貴族の一人ではあるが、政争には関心を示さない実直な領主、エヴァンス・ヴィン・ゴーダム公爵の
物事の細かさを忘れたような公爵のおおらかな性格が
そんな、
今、その領地を離れようとしている一人の若者――金色の風をまとう少年がいた。
その名を、ニコル・アーダディスという。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
少年のみずみずしさと若々しさに満ちた声が、扉を
「ニコル・アーダディス准騎士、お
公爵の館の
若き少年の――少年のものにしてはかなり高い声。変声期を忘れた美しい響きに一瞬、思わず
「うむ、入るがいい」
「失礼いたします!」
扉が開く。
銀色の
半歩先の
毛の長い
二人以外、誰も存在しない謁見室に、
広さこそ少し大きめの応接間といったところだが、やはり公爵家ともなると、謁見室は第一に
その光を受け、床に視線を向ける少年の金色の髪はいっそうその明るさを際立たせていた。
二十秒きっかりの間、ゴーダム公はその美しい髪を無言で
これで最後にもなるかも知れない――その
「
「はっ!」
少年が顔を上げた。その目が
「――閣下におかれましては、ご機嫌
「いや、あまり麗しくはない」
ゴーダム公が
「……そなたを手放さねばならんと思うと、麗しくはなれんな。
「このニコルの無理な願いをお聞き届けくださり、閣下には心から感謝しております! 閣下の騎士団を途中で抜ける勝手、無礼、なにとぞお許しの」
「いや、それは許した。気に
冗談めかして笑おうとしても乾いた笑いにしかならない。無理にでも引き留めるべきだったという悔やみだけがあった。
迷いを振り払い、ゴーダム公はもう一度少年の姿を視界の真ん中に
同年代の女子よりやや高いくらいという、騎士としては珍しいくらいの貧しい体格だ。それは騎士としては
自分の弱点と不利、そして利点の全てを理解していて、見た目を
見習いとして入団した最初の一、二ヶ月こそ
そんな少年が、今夜、自分の元から去って行く。
「……今夜、そなたは我が元を去るのであるが……最後に相談事をひとつしたいと思ってな。わざわざ
「相談事、でありますか?」
「我が一人娘、サフィーナのことだ」
そのゴーダム公の台詞を合図にするように、公の
背中をまっすぐに流れる
「サフィーナ様、ご機嫌麗しく……」
「固い
こんばんは、と小さく口にしてサフィーナは笑った。
「そなたも知っての通り、サフィーナも今年成人を
「サフィーナ様のようにお美しいお嬢様なら、きっと名のある名家のご子息との
「うむ、我が自慢の、お美しい娘だ」
軽い
「まあ、一人娘であるからな。婿の選定は
「……何故、そんな大事なお話が自分などに?」
ニコルは首をひねりたくなるのをこらえた。そんなことはまさしく雲の上の話であるはずだ。
「それがな……サフィーナに希望を尋ねたところ、ある男でないと婿にしたくないというのだ。全くわがまま娘だ。誰に似たのか」
「うふふ」
「……お嬢様に、ご意中の男性がいらっしゃるというのですか」
「それがな、名を聞くと
とっておきの話を切り出すように――ゴーダム公が身を乗り出した。
「その男の名はな、ニコル・アーダディスというらしいのだ」
「――――」
ニコルの目が
胸と腹の中では、まさしく心臓と胃がひっくり返っていた。
「どうだ、驚いただろう?」
「……………………お
「ご冗談にもほどがあります! 閣下らしくもない!」
「それがな、冗談ではないのだ」
「ええ、冗談ではありませんの」
震えを止めるのが精一杯のニコルの反応を楽しむように、サフィーナが言葉を
「私は、
ニコルとサフィーナの視線が
「と、いうわけだ。そなたにしかできない相談であろう? もちろん、今すぐに
指折り数えるようにゴーダム公はいう。
「が、二年もすれば、そなたならば正騎士にもなれよう。そうなれば、適当な名家に養子として入ってもらって、
「ですが……!」
「王都の警備騎士
ゴーダム公が椅子から立ち上がり、ニコルの前で腰を落とした。
「……閣下!」
膝が交わるのではないかと思えるほどに近い距離。少年の
「サフィーナ同様、私もそなたの人柄を知り
公の手がニコルの肩に優しく乗せられた。ニコルの小さな体がそれだけでますます
「も、もったいないお言葉……」
「この二年間、私はそなたを実の息子のように想い、育ててきたつもりだ。そなたのような有望な若者を、これからも我が手の元で息子として育てる喜び。私にそれを味わわせてほしい」
息子、という言葉を口にする度にゴーダム公は自分の胸が微かに締め付けられる感触を覚えた。
「――ということで、そなたの返事を聞かせてほしい。王都行きを
手を
もしもこの瞬間、少年が
何秒の時間が空いただろうか。
「――閣下、恐れながら申し上げます」
目の前で膝を着くゴーダム公の瞳をまっすぐに
「そのお話、
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