「そのさん」

 ローレルの回復を見届け、リルルは自室に戻るなり、自分の寝台ベッドにぼふっと飛び込んだ。

 疲れが全身にたまっている。お風呂に入りたかった。


「ローレルも元気になったし、いうことないわね! がんばった甲斐があったわ……これで本当に一件落着ね!」


 寝台の上で存分に手足を伸ばす。そうしていると、昨日までの緊張が全て夢だったようにも思えるから不思議だった。


「半分以上はわたしの手柄ですけれどね……ああ、そうそう」


 フィルフィナが懐から一通の封筒を取り出した。


「用事の間に郵便局に行ってきたんですが、ニコル様のお手紙が来てました」

「見せて!」


 フィルフィナの手から手紙が消えた。


「お嬢様、手で封を切らないように」

「ありがとう!」


 用意万端なフィルフィナが手渡してくれたペーパーナイフでリルルは封を切った。もう、慣れ親しんだいつもの用紙が出てくる。


「ええと……なになに……」


 リルルが手紙を読み込んでいる間に、フィルフィナは寝室の窓を開けた。新鮮な涼しい空気が吹き込んで来る。今日もいい天気だ――全てが解決した日に相応しい。

 そのフィルフィナの背中に、喜びそのものの声が塊となってぶつかってきた。


「えええ……フィル! ニコルが王都に戻ってくるんですって!」

「本当ですか!?」


 珍しくフィルフィナの声の調子が上がった。


「ゴーダム卿がお許しになったって! やった……ニコルが、ニコルが王都に帰ってくる! ニコルが王都に! なんて嬉しいことかしら――ニコルにこの街で会えるんだわ!!」


 手紙を片手にし、リルルが寝台の上でくるくると踊り出す。

 背中に翼が生えてそのまま飛んでいかないのが不思議なくらいの軽やかさで舞うリルルの姿を見ながら、フィルフィナは大きく息を吐いた。


「ニコル様……一念を通されたんですね……はぁ……」


 ゴーダム公をどのように説得したのか――きっと公は手放したくはなかったはずだ。わざと脱落する、というのもニコルの性格からしてあり得ない。

 少年の固い意思の貫徹かんてつに、フィルフィナはそれ以上の言葉はなかった。


「公のお口添くちぞえで、王都の警備騎士団への入団が決まったって書いてあるわ――ニコル! 好き! 好き好き好き!」


 完璧な合いの手でフィルフィナが手渡した、ニコルの写真を挟んだ透明の板にキスの雨が降り注いだ。


「警備騎士団ですか……公の元でおはげみになれば、小さいといえどもどこかの領地の立派な領主にもなられたでしょうに。そこだけは残念ですね」


 普段、快傑令嬢にこてんぱんにやられている――というか、快傑令嬢としてこてんぱんにしている哀れな貧乏くじ引きたちのことを思う。

 ――思ったフィルフィナの心に、冷たいものが走った。嫌な予感がした。


「――ところが、そうでもないのよ!」

「……はい?」

「国王陛下のご意向が下るらしいわ!」


 フィルフィナの嫌な予感が、だんだん予感でなくなっていく。


昨今さっこんの警備騎士団の不甲斐ふがいなさを遺憾いかんに思われる陛下が、近々お触れになるそうよ――快傑令嬢リロットを捕まえた警備騎士団員は、上級騎士に取り立てる用意があるんですって!」

「は――――」


 嬉しさでコトの本質を全く理解していない主人を前にして、フィルフィナは意識を失いかけた。


「上級騎士といったら、男爵相当の位よ! 立派な世襲貴族だわ! ニコルが貴族になれる――それならお父様を説得する可能性だって出てくるのよ!!」

「……あ、あ、あの、お嬢様」

「ニコルならきっとリロットを捕まえてくれるでしょう! なんて素晴らしいの! 私たち本当に結婚できるんだわ――ニコル! 愛、愛、愛してる!」


 寝台の上でリルルが一回転ひねりを披露し、そのまま鮮やかなカーテシーで残心を切った。

 心からの喜びを全身で表している少女に、どのような言葉で示すべきかフィルフィナはたっぷりと悩んだが――結局は、最も直線的な物言いにするしかなかった。


「……お嬢様、自分のおっしゃっている意味が、本当にわかっておいでなのですか?」

「ほへ?」

「先ほどから気軽に口にされていますが……」

「リロットを捕まえれば、私とニコルが結婚できるっていうこと?」

「……その『快傑令嬢リロット』の正体は、いったい誰なんでしょうね……?」

「フィル、どうしちゃったの? ローレルより先にボケたとかやめてよね」


 ふふふ、と少女は笑った。勝利を確信した者の笑みがそこにあった。


「なにをわかりきったことを聞いているの――そんなことは決まっているじゃない!」


 仁王におう立ちになる。腰に手を当て、慎ましやかな胸を大きく前に張って、栄誉も燦然さんぜんとここに輝けとばかりに、リルルは――心の底から高らかに宣言していた。


「王都にその名も轟く『快傑令嬢リロット』の正体は、この私! リルル・ヴィン・フォーチュネットよ!」


 誇らかな名乗りが部屋いっぱいに響き渡った。

 その残響が消えてから、リルルの片方のまゆが、わずかに傾いた。


「……あれ?」


 おかしい。

 なにかが。

 決定的に。


「……あれ、あれ、あれあれ? ……と、いうことは、つまり?」

「やっとわかったか」


 ふぅぅぅぅぅぅ……と、地の底にまで染み入るような溜息がフィルフィナの口かられた。


「お嬢様はお優しいですね……ニコル様を貴族にして差し上げるために、自分が捕まろうなんて!」

「あああああああああああああああああぁ――――――――っ!?」


 この一週間で最大の打撃を食らってリルルがその場に昏倒こんとうした。


「リルル!」


 居室の廊下につながる扉が開いた気配がした。歓喜に満ちたログトの声が扉の向こうから聞こえてくる。

 トドメの一撃だった。


「喜べリルル!! 次の婚約相手を見つけてきたぞ! 顔合わせは――一週間後だ!」

「うわああああああああ――――――――ッ!!」


 大絶叫を発して、リルルはベッドに沈んだ。


「なんでこうなるの――――っ!!」


 そんな狂態を目の当たりにし――フィルフィナは重い頭痛を覚えながら頭を振る。

 次の一言に、フィルフィナの気持ちの全てが込められていた。


「――ダメですね、これは」

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