「仮面が落ちて、衝撃が走る」

 仮面の男は、広い工場内を早足で彷徨さまよっていた。

 出口から脱出しようと向かったものの、そこは一足先に逃げ出した作業員たちでごった返していたのだ。


「どうした!!」

「扉が開かないんです!!」


 十数人の作業員たちが外に通じる扉に向かって必死に体当たりしている。いつもは軽く開くはずの扉、鍵もかけられていないそれが何故か開かない――そんなに頑丈な扉でもないのに、何故壊れない!?


「クソッ!」


 工場の内部の構造は頭の中に入っている。他の大きな扉に行き着くが、そこも同じ状況だった。なんとか外に出ようともがく作業員たちが扉を打ち壊そうと様々なもので殴りつけているが、魔法でもかけられている・・・・・・・・・・・かのようにそれはビクともしなかった。


「ここもダメか……!」


 窓から脱け出るか――いや、工場の窓という窓は全て予め内部から頑丈に塞いである。中の光を漏らさぬためと警察の突入に備えての対策だったが、それが災いした。


 作業員たちが群がっている扉に見切りをつけ、一人で他の脱出口を探すために離れる。小さな通用口でもいい、どこか塞がれていない扉はないのか!

 乱入してきたあの快傑令嬢を止める手段はない。ここから脱け出さなければ、捕まってしまっては身の破滅だ。なにしろ、自分は――。


「――見つけました!」


 背後からの声に肩が跳ね上がった。声の主が誰かは振り返るまでもない。


「人々の体を毒で汚し、暴利をむさぼろうとするその行い――許すわけにはいきません!」


 レイピアを手にしたリルルが足早に駆けてくる。仮面の男はとっさに逃げようとしたが、リルルの手から投げられた光るものに足をい取られた。


 爪先、指一本分の隙間を空け、葉書はがき半分ほどの大きさのカードが地面に突き刺さる。薄い紙片なのに床に深々と突き刺さるそれを服の上から食らえばどうなるのか、仮面の男にそれを試す勇気はなかった。


 通路に出ようとする足を止められている隙に快傑令嬢が接近してくる。仮面の男が退く――部屋の隅に追い詰められた!


「もう逃げ場はありませんよ! 大人しくなさい!」

「ま……待て! 取引しよう!」


 仮面の男は手を伸ばして叫んだ。


「私が悪かった、謝る! だが捕まえるのは許してくれ! ただとはいわない! 見逃してくれたら謝礼はする! 金はいくらでもやるぞ!」

「お金などりません!」


 抜き身のレイピアの切っ先がまっすぐに仮面の男に向けられた。


「私が望むのは、あなたが相応の罰を受けることです! そして自分の罪をつぐないなさい!」

「そんなことしたところで、誰の得にもならんだろう! ――そうだ、私たちの用心棒になれ! 儲けの半分はお前にやろう! いくらでも儲かるぞ!」

「……話が通じないようですね! まずはその仮面を脱ぎなさい!」

「だ、ダメだ。私の顔は」


 顔をかばうように男が仮面に手をやる。その煮え切らなさがリルルを激させた。


「外せないようなら、私が外して差し上げましょう!」


 声と同時に稲妻のような一閃が縦に落ちた。口以外の頭部を覆う仮面の脳天に斬撃が叩き込まれ、薄い銅製の仮面に衝撃が走り、亀裂が縦一直線に走る。


「ぐあぁっ!」


 脳に突き刺さった衝撃に男がうめき、身をよじった。金属のはずの仮面が、まるで陶器のように亀裂から両断されて床に落ちた。

 仮面に納められていた栗色の長い髪が零れるように現れる。仮面をがされた男の顔をのぞき込み――リルルは、自分の目が裂けるのではないかというほどに、筋肉の限界までまぶたを開いてしまっていた。


 激痛に歪んだその顔は、まさしく、リルルが知っていた顔・・・・・・だったからだ。


「――バリス様ぁっ!?」


 鉄塊で殴られたような心への衝撃にリルルは、それ以上の言葉をつなぐことができなかった。

 見間違いではない。今までに見たことのない、あのりんとした雰囲気が剥がされた表情だが――確かに、バリス・ヴィン・エルズナーだ!


「あ……あ、あ……?」


 力が失われた手から、レイピアがこぼれ落ちそうになる。膝に亀裂が入ってその場に崩れ落ちそうになる。歯の根が震え、奥歯がガチガチと音を鳴らす。


 フィルフィナがくれたエルフの魔法の道具も、心に受けた衝撃までは和らげてくれない。今までにいろんな驚くことがあったが、今のような衝撃は未知のものだ――未知のものに決まっている!


「わ……私を知っているのか……!」


 バリスが顔を隠そうとしていたマントを下ろす。その反応で、顔が似ているだけの他人という可能性が消えた。


「し……し、知ってるもなにも……!」


 どうして自分の婚約者が、こんなところにいるのだ!?


「バリス・ヴィン・エルズナー……!!」

「……! どこかで私の顔を見たのか……!」


 侯爵家の子息といえば、社交界でも顔が売れている存在だ。面が割れている心当たりが多すぎて、バリスは自分の素顔を隠すのを早々にあきらめたようだった。

 ――素顔?


 リルルの心が混沌の中でぐるぐると迷走する。――これが、本当にあのバリスなのか? 落ち着きと聡明そうめいさに満ちたあの威厳が、目の前の男からは少しも感じられない。同じ顔をした別人にしか思えない。


 本当は違うのではないか? まだ二度しか会ったことはないが、自分の中のバリスはこんな男ではない。

 嫁ぐのもやむなし、と意を決した男性は、こんなところにいて、あんな表情をしていていい男ではない――!


「ど……どこで私の顔を見たのかは知らんが、まあ、私の話を聞け」


 バリスの声・・・・・がリルルの耳を打つ。レイピアを握っていなけれけば耳を塞ぎたかった。


「今、ものすごい金づるをつかもうとしているんだ」


 脳の真ん中に電気を流されたような感触にリルルはうめいた。その先が読めてしまった。


「お前も知っているかも知れんが、今、伯爵令嬢との婚約話が進んでいてな」


 やめて!


「貴族としては落ちぶれた伯爵家だ。が、金だけは持ってる。ものすごい金額の謝礼と引き替えにその話を受けたんだ……我が侯爵家の財政が一気に立て直せるくらいのな」


 ――いや、エルズナー家がフォーチュネット家との婚姻話を受けたのは、確かに金のためだろう。それはわかる。わかっていた話だ。

 だから、そこでもう、話をやめて!


「そんなものは一時的なものに過ぎんが、私には計画があるんだ。いい儲け話だぞ」


 ……計画?


「その娘の親父は大きな会社を持っている。金が湯水のように生み出されるくらいのな。それを手に入れる計画があるんだ」


 跳ねるようにあごが上がった。なんだそれは――そこからは想像もしていない話!


「その親父を亡き者にして、一人娘に会社を継がせる――全てはそいつが相続することになる」


 ……お父様を? 亡き者?

 お父様が亡き者になる? どういうこと……?


「私の妻にしたその娘が全てを相続して――そしてその娘が死んだら、相続された会社は誰のものになると思う?」


 死ぬ? 誰が? その娘とは誰のことだ?

 なにをいってるのだろう、この男は? 理解できない、そんな話は理解できない――したくない!


「全ては我がエルズナー家、そして私のものだ! 放っておいても金が湧き出る泉を手に入れることになる。どうだ、それにあやかりたくないか! 本当に遊んで暮らせるぞ! 私とお前で分かち合おう! だから――」


 ぶつん、と、リルルの頭の中でなにかが鳴った。

 なにかが切れたような音がした。

 心が瞬間、真空になる。なにも考えられない、なにもわからない、自分の名前さえ忘れてしまう空虚が生まれる。


 その、空虚になった心に押し寄せるように――肉体で煮えたぎっていた感情が、一気に流れ込んできた。


「……あはは」


 口が開いた。意識もしないのに動いた。笑いが零れる。


「あはははは」


 止まらない。止めようとも思わないが、止めても止まらない笑いが息を刻む。


「あははははははは」


 感情が渦を巻いている。制御コントロールできない。

 バリスがこちらを唖然あぜんとした顔で見ている――表情は読み取れなかったろうが、狂ったような、いや、狂った笑い声だけでそうさせるに十分なものはあった。


「あ――――はっはっはっはっはっはっはっはっ!!」


 哄笑こうしょうが最高潮にまで高まり、目の奥が熱く焼けた。感情の高まりが体の奥からあふれ出しそうになるなにかなってまぶたの裏に押し寄せ――そしてそれは、涙として勢いよく吐き出された。


 体の中の水分がれるのではないかというくらいの勢いで、透明の液体が目から流れ出て頬を流れ落ち、飛び散って床を濡らす。


「あはははは、あははははは……!」


 リルルは、自分からメガネを外した。邪魔だった。もう、こんなものはかけていたくもない!!

 リルルの顔を隠していた認識阻害そがいの魔法が途切れる。言葉もなく、目の前で狂った笑い声を上げていた少女を震える目で見つめるしかなかったバリスの目が細められ――。


 そして、眼球が浮かぶまでその目がいっぱいに開いた。


「――リルルっ!?」

「そうよ!! ――私は快傑令嬢リロット!!」


 リルルの中で心は決まっていた。もう、ここで素顔を見られてもかまわない――いや、この男に素顔を見せなければならない!


「――またの名を、リルル・ヴィン・フォーチュネット!!」

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