第08話「決着、その果てに」

「流星は薄桃色に燃えて」

 獣の速度で前に出るサイクロプスの右腕が、風を切るうなりを上げて前に、前に伸びる。

 狩れる、確実に。

 獲物は自分から飛び込んでくるのだ。こんなに楽なことはない!


 小娘の胴体をつかみとった後に控えている愉悦ゆえつ。その肉と魂を食らう時だけに覚える興奮――その全てを想像しながら腕の一撃を繰り出した巨人が手にしたのは、娘の体ではなかった。

 絶望の二文字だった。


 なんの疑問も持たず伸ばした腕が――空を切った。


「ぬぁっ!?」


 何の手応えもなかった……なかっただと!?

 娘の体を捕らえる衝撃も計算して腕をいだ分、体が回転を起こし、走ったままにサイクロプスがよろける。


「馬鹿なぁっッ!?」


 今の一撃をかわせる余地などどこにもない! ――娘はどこに行ったのだ! 正面から衝突するしかないように走っていたはずなのに、まるで自分の体を透けて抜けていった・・・・・・・・・ようだ!


「ぐぅっ!?」


 衝撃――背中に突き刺さる痛みが走る。それほどの威力ではないが、前に進む勢いに加速がついてさらに前につんのめる――背中を蹴られただ!と?


 キャットウォークの行き止まり、手すりにサイクロプスが膝をぶつけた。膝の高さもない低い手すり、そのままの勢いで前にのめり落ちそうになった。

 わけがわからない、わけがわからない、わけがわからない!!


「む……娘は、娘はどこだぁっ!!」


 振り返ろうと体をねじる。首だけが後ろを向き――なにか重いものが破裂したかのように聞こえた重い音に、その目が反射的に上を見た。

 天井と己の間を見た。


「!」


 少女がいた――空中に!


 すさまじい風圧にドレスの全部を、燃え上がる薄桃色の炎のようになびかせ、前に伸ばした右脚、赤いハイヒールの鋭いヒールを矢じりと化して宙を駆け下りてくる――流星の速度で!


「ああ、あああ――――ッ!!」


 少女の体が踵を軸にするように、竜巻の勢いで回転した。

 渦を巻き、風を巻き、嵐を巻いて空を走る――螺旋らせん回転する矢のように、薄桃色に燃えながら走る流れ星のように、怪物の頭部を目がけて一直線に!


 カバーが外れ、円錐螺旋ドリルの形状を現したヒールが、空気をえぐり貫くようにすさまじい勢いで猛回転し――全てを貫通する勢いで、サイクロプスの額にそれが突き刺さった。


 絶叫が轟いた。


「ギィヤァァァァァァァァァァァァァァ!!」


 天井のはりを蹴って生み出された急降下の速度の全てが、巨体の頭部に斜め上から激突した。薄い皮膚を突き破り、分厚い頭蓋骨ずがいこつ侵徹しんてつし、更にその下にあるものまでに先端が突き刺さった。


 半秒遅れて運動力が衝突の打撃となって怪物の頭にめり込んだ。血飛沫ちしぶき背が赤い霧のように上がる。


 大きく体をよろめかせたサイクロプスの頭をもう片方――左の足で蹴り、突き刺さった右のヒールを引き抜いたリルルが後ろに宙返りをして軽やかに着地した。

 そのリルルの目の前で、手すりを乗り越えたサイクロプスの体がそのまま止まらずに流れて行く。


「ひぃ……ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」


 足場も捕まるものも何もないサイクロプスに、重力に逆らう術はもう、なかった。

 落下地点にあった鉄製の機材に、巨人の後頭部が叩きつけられた。

 地響きが上がった。


 もう、巨人は立ち上がらない――その場で大きくけいれんするだけだった。


 うずくまった姿勢から立ち上がったリルルが、スカートの裾を持ち上げて腕を広げ、一礼した。


「う……上手くいった……」


 ほんの一瞬、一秒にも足りない刹那せつな、空間の位相いそうをずらすことで、全てのものを体に透過させる魔法。右手首の腕輪に施された力。それが最後の切り札になった。

 本当に薄い壁、馬車から扉を介さずに外に出るくらいのことは今までに何回かやったことがある。


 が、生き物の体を透けて抜けるなんていうことは初めてだった。全てを一瞬に収めるために、全速力で前に出ていなければ今頃どうなっていたことか……。


「あ、あの娘、サイクロプスを倒したね!?」

「……なんて奴だ!」


 工場長と仮面の男がたじろいだ。もう、自分たちを守ってくれる手の者は周りにいなかった。


「――逃がしません!」


 捨てたムチを手にしたリルルが、先手を打つようにキャットウォークから飛び降りる。

 空中で振るったムチを支柱にからませ、途中で落下速度を殺してから地上に降り立った。


足掻あがいても無駄です! 大人しく観念なさい!」

「ばっ……馬鹿いっちゃいけないね! 捕まったら縛り首ね!」


 工場長が懐から拳銃を抜く。仮面の男は身を翻して奥に逃走する――まずは工場長が先か!


「無駄だといっているでしょう!」


 二十歩の間合いを貫くようにムチが飛び、工場長の手から拳銃をもぎ取った。ムチを引いたリルルの手に拳銃が渡り、次にはその銃身が軽くへし折られた。


「――まだ、隠し球がありますか?」

「ひぃっ!」


 銃身が直角に曲がった拳銃を投げて返された工場長の顔が引きつる。もつれた足で後ろを振り返ろうとする。


「大人しくなさい!」


 舌打ちと共に再びムチが繰り出され、今度は工場長の胴体がもぎ取られた。


「ぃぃっ!?」


 細いへびのように自ら動いて巻き付いてきたムチに工場長は両腕ごと上半身を拘束され、その場に引き倒された。リルルがたぐり寄せてくる力に全くあらがえず、細い悲鳴を上げながら工場長は床を顔面で掃除した。


「さあ、毒の正体を白状してもらいましょうか!」

「ど、毒ってなんのことね! 私は全く知らないね!」

「嘘を吐きなさい!」

「ぐええっ!」


 工場長が宙を舞った。ムチを握るリルルの腕が半円の弧を描き、大人一人分の体重が軽々と持ち上げられて地面に叩きつけられる。


「白状しなければ、続けます!」

「ぎぃやああ!」


 更に二度、三度、四度!

 工場長の太った体が大きい弧を描いては、受け身なしに地面で弾んだ。


「や……やめるね、これ以上は死んで……」

「白状しないというのなら、あなたに用はありません! 逃げたもう一人に聞くまでです! それでは、トドメを――」

「わかったね! 白状するね! 白状するからやめるね!」


 工場長の視線が、リルルの肩越しに積み上げられた木箱に向けられる。その視線の先をリルルは目で追った。


「――これか!」


 釘付けされていた木箱のふたを片手で引きがす。中から草を煎じ詰めたような濃厚な臭いが立ちこめ、リルルはとっさに鼻を押さえて身を退いた。


「これが、あなたたちが井戸にいていた毒……!」


 振り返ってにらみつけてくるリルルの殺気に近い気配に、工場長はそれだけで冷水を頭から被ったように震え上がった。


「そ、そうね! ヤマミネの草を煎じ詰めて乾かし、成形した奴ね!」

「ヤマミネ……! やはり毒草じゃないですか! あなたたちはそんなものを人に飲ませたりして!」

「こ、殺すつもりはなかったね! それは信じてね!」

「殺したら薬が売れなくなるからでしょう!」

「や、約束通り白状したね。だから、放してほしいね」

「――わかりました、約束は守ります」


 ふっと、リルルから怒りの気配が消えた。工場長に巻き付いていたムチの緊張がわずかに緩む。工場長のうめきが安堵のそれに変わった。


 リルルのムチを握る手から力が抜け――次の瞬間には、それに全力が込められていた。


「今からあなたを、放して差し上げます!!」


 工場長に巻き付いたムチに再び力が宿った。リルルはその場に足を踏ん張り、男を絞め上げたムチを大上段に振り上げ――一瞬で振り落とす!


 中空に大きく舞い上がった工場長が、空中でムチから放された・・・・


「ねェ――――っ!?」


 インチキ薬が詰め込まれた木箱、それが無数に積み上げられて壁のようになっていたところに工場長の体が砲弾のごとく放り込まれた。木箱の上段にぶつかった工場長は、それを砕きながら無数の木片とガラスのかけら、そして偽薬の液体にまみれてそこで止まった。


「――お礼の言葉なら、結構です!」


 引き戻したムチを一瞬にして自分の腕に巻く。下半身だけを外に突き出した工場長の全身が、死にかけた虫かなにかのようにひくついていた。


「大事な用があるので、私はこれで失礼します! では、ごきげんよう!」


 目的は最低限達した――しかし、あの仮面の男を放ってはおけない。新たな悪事がなされないように、捕まえなくては!


 工場長にかまっている間にその姿はとっくに消えている。が、フィルフィナが手を打ってこの工場を閉鎖しているはずだ。逃げられることはないはず――どこかにいる!


「必ず捕まえて、二度とこんなことができないように……!」


 リルルは走った。仮面の男が消えた方向に向かって。

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