「切り札は常に胸にあり」

「ふひひひっ……! 女を生きたまま食うのは面白いぞ! 可愛く泣いたり叫んだり、哀願したりするのがな!」

「……今までに何人もの人間を食べてきたというの!?」

「たまの豪勢ごうせいなご馳走ちそうだからな! ちゃんと指折り数えているさ!」


 サイクロプスの右手に握られている金棒。おそらくは単純に鉄を鋳型に流し込んでそのまま冷やしただけの、全く無垢むくの鉄。細くした握りの部分をのぞけば、その長さと太さはまさしくリルルの体と同じだ。

 重さは五百カロクラムを超えるはず――そんなものを片手で軽々と持ち歩いている!


「お前を食ったら、ちょうど二百人だ! 大台としては物足りないチビだが……そんなチビでも腹だけは軟らかくて美味い!」

「こっ……この、バケモノっ……!」


 後退を続けていた足を止める。壁際に追い詰められるまで下がるわけにはいかない――勇気を奮い立たせる!


「そんな行いは私が許さない! 二百人目など、永遠に達成できないようにしてあげましょう!」

「フハハハ……! 大口を叩くなぁ! 顔はよく見えないがどうせ娘ッ子だろう! どうやって俺を止める!」

「――私の正義によって!」


 相手との間合いは十メルトほど――そんなものはもう、一瞬で詰められる距離だ。ここで後退したり立ち尽くしたりしたら、相手の都合のいい間合いに捕らえられてしまう!

 ムチを握る手の意識を変える。こいつには――手加減できない!


「――行きますっ!」


 ムチを振るう。生まれて初めて、生きている標的に向けて全力で、だ!

 まさしく閃光のごとき輝きを発し、残したムチがサイクロプスを直撃した――その気になれば鉄材も両断できる威力!


 血飛沫が飛ぶ。赤い霧が空気を汚すようにパッと咲く。肌を斬り裂いた――が、そこで止まってしまった手応えにリロットは喉を引きつらせた。

 切り裂いたと思えるのは、ほんの薄皮一枚の皮膚だけ!


「なるほど、痛いな、これは! こんなに痛い一撃をもらったのは初めてだ」


 二の腕でそれを受けたサイクロプスが笑う。ムチは腕にめり込むようにして止まっていた――その下の筋肉をいささかも傷つけていない!


「なんて体っ……!」

「ただの娘じゃないらしいな……俺を殺すには力不足過ぎるがな!」


 サイクロプスがその金棒を縦に振る。リルルが一秒前にいたところをそれは正確に叩きつぶした。


「くうぅっ!?」


 重量物が高速で地面に叩きつけられた爆発的な震動と衝撃波、その二つにリルルの体が文字通り吹き飛ばされた。

 ドレス姿が積み上げられた木の箱に受け止められた。その半分を潰すことで衝撃が受け止められる。

 金棒がかなりの重さだったのが幸いした。あれが半分の重さでも、リルルを一撃で物言わぬ肉塊に変えるのには十分過ぎたろう。重い分だけ速度が鈍るのは好材料だ――が、それでも速すぎる!


「ムチが……効かない!」

「はっはぁ!!」


 巨体からは想像できない敏捷びんしょうさでサイクロプスが突進してくる。木箱から体を離したリルルに、今度は横薙よこなぎが加えられる!

 数十の木箱が一撃で粉砕され、ほとんど粉微塵こなみじんも同様の破片となった。


「速すぎる!?」


 足元で起こった破壊の様子に、リルルは間一髪逃れた空中で慄然りつぜんとする――こちらと攻撃の速度がほとんど変わらない!


「ま……まずいわ……!」


 突然現れた敵に対して対策が何もない。フィルフィナはこんな時、迷わず撤退しろといっている――。


「――――できない!」


 今ここで撤退したら、ローレルの命が救えなくなる!


「――このォ!」


 跳びすさりながらムチを繰り出す。弾丸の速度で走る、火薬が放つ弾丸と変わらない威力を持つその先端がサイクロプスの胴体を打ち――弾き返される!


「っ……! レ、レイピアなら……!」


 細剣レイピアを抜こうとし――その手を止めた。ムチよりはあのサイクロプスの体を傷つけることができるかも知れない。が、短すぎる射程リーチが問題だ。

 レイピアの先端が奴の体を傷つける前に、あの金棒の一撃でこちらが原型を留めなくされてしまう!


「無駄だとわかったろう! あきらめて大人しく降参しろ! 今なら手加減してやってもいい――あまり苦しまずに食ってやろう!」

「誰がぁっ!」


 リルルが拳大の爆弾を投げる。空中での起爆にサイクロプスが立ち止まる。それに大して威力はない。一瞬で消える派手な炎と大量の煙をまき散らす目くらまし程度のものだ。

 その隙を突いて、リルルは跳んだ――高さ十数メルトの位置に固定されているキャットウォーク目がけて!


「たぁっ!」


 フィルフィナから譲り受けた魔法のハイヒールが、助走なしの垂直跳びで高さ八メルトほどの跳躍力をリルルに与える。キャットウォークの高さには全く足りない――跳躍の頂点に達し、リルルは大きくムチを振る。


 鋭く走ったムチがキャットウォークの手すりに絡みつく。生きものそのものとなって自らしなるムチがリルルの体を大きく振り回し、薄桃色のドレスの少女に美しい半円の軌道を描かせる。


 ムチの長さそのままの高さから、リルルはキャットウォークに着地した。危うく天井のはりに体をぶつけるところだった。


「でも、取りあえず逃れられたわ……。ここからどうすれば……」


 状況を見ようとリルルが、手すりに手を添えて下をのぞき込む。ここまで上がってくるには廊下の奥の階段を使わなければならない。だが、あの図体ではその廊下に入り込めないはず。


 見下ろすリルルと見上げるサイクロプスの目が、合い――リルルは、見た。

 サイクロプスの目が、笑うのを。


 サイクロプスが金棒をその場に投げ捨てた。機材を巻き込んで細長い鉄塊が倒れる。

 その行動の意図を読めず、思考を硬直化させたリルルの目の前で――サイクロプスが、跳んだ!


「はっはぁ――――!」

「なぁっ!?」


 壁に向かって数メルトの高さを跳び、その壁を蹴ってさらに斜め上方に跳ぶ。伸ばした長い手がキャットウォークの手すりをつかみその巨体を上げ、ほんの数秒もかからずにサイクロプスはリルルの前に立ちはだかった。


「そ……そんなっ……!」

「はっはっはっ……」


 笑うサイクロプス。リルルの足が下がる……が、下がれない! 背中がキャットウォークが途切れた先端の手すりにぶつかる――行き止まり!?


「さあ、お嬢さん、どこに逃げる?」

「っ……!」


 細いキャットウォーク。サイクロプスの体の幅がはみ出すくらいだ、横をすり抜けるなんてあり得ない。振り返る――までもなく、後ろには何もない。

 下に飛び降りるか? いや、傘を開いたりして制動をかけていたら、空中で捕まってしまう!


「…………」


 大きく細く――唇の隙間から長い息を吐き出す。心の中の雑念が吐息となって外に排出された。

 リルルは、静かに前を向いた。目から動揺が消えていた。


「観念したようだなぁ」


 それを完全に誤解した・・・・・・・サイクロプスか肩を揺らして笑った。ご馳走に手が伸びる直前の、期待に満ちた色の目が単純な愉悦ゆえつに笑っていた。


「そのひらひらしたのを全部むしりとって、食べやすいようにしてやろう……手こずらせてくれたからな! お人形遊びをしてやってもいいぞ!」


 サイクロプスが一歩、前進した。固定が強固にされているわけではないキャットウォークが揺れる。


「……最後に聞いておきます」

「ああぁ? なんだ、命乞いか? そんなもの今更聞くわけが――」

「――大人しく降参してくれませんか?」


 サイクロプスの足が、止まった。


「今ならまだ間に合います。いくら大罪を犯したものとはいえ、私は命をあやめたくない」

「…………お前、馬鹿か?」


 単眼の巨人の顔から、笑いが消えていた。


「どう考えても殺されるのはお前だろうが……ああ、絶望で気が狂っちまったか。嫌だなぁ……そういうのを苦しめて食っても面白くないんだ。泣き叫んでくれないからな」

「――聞いてはもらえないようですね」

「聞くわけあるかぁッ!」


 怪物から怒りが噴出する。新鮮な肉の前に絶望を食らうのがよろこびなのだが、こいつはダメだ。もう付き合っていられない――肉だけでも、とっとと腹に納めよう。


「もういい! つまらん! イライラするだけだ! さっさと食って終わらせる!」


 サイクロプスが、駆け出した。数秒もあれば目の前の小娘に手が届く――そんな間合いで!

 リルルの奥歯が、ギリッ、と音を鳴らした。


 やるしかない。

 そうしなければ、ここで自分が殺される!

 全ての未来も希望も巻き添えにして!


「――これだけは使いたくなかったのに!」


 ムチを捨てた。力強く、迷いもなく床を蹴る――前に向かって!


 それを目の当たりにしたサイクロプスの心に、大きく冷たいものが重く強く突き刺さった。見えない槍ではらわたを貫かれた恐怖のようなものがあった。

 逃げ場を失っているにしても、前に向かって走り込んでくるのは意表を突かれた。――が、それは一瞬のことだ。それは自滅にしかつながらないのだから!


「望み通りに、死ね!」


 確実に逃れようのない間合いで、サイクロプスが鉄塊のような太い腕を振るい――次の瞬間に、見た。

 到底信じられない――信じようがない、信じたくないものを。

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