「銀髪の少女、金色の少年」

 

 手の中の一枚の写真を、まるで宝物を見るように――いや、真実の宝物を目の前に差し出されて、リルルのアイスブルーのひとみに、特別な光が宿った。


 明るい金色の輝きを放つ、やわらかいくせっ毛の髪。肩まで髪をばせば、見る者のほとんどを勘違いさせるかも知れないと思わされる、どことなく少女の印象をうかがわせる優しげな顔立ち。しかし、どこまでもまっすぐに前を見つめるその眼差まなざしの輝きだけは、どこまでも少年の色を抱かせる。


 背は高くない――剛健ごうけんな体格が求められる騎士の中では、特に低い方だといえる。しかし、背筋がまっすぐに伸びたその姿勢からは弱々しさのかけらもなく、背丈以上の伸びやかさを感じさせる。


 背景からすると、どこかの屋敷の一室で撮影したのか。一分は息をとめて微動びどうだにしなければこれほどには上手うまく撮影できないはずだが、少年は一分の隙もない、優しい微笑ほほえみを浮かべてそこにいた。


「ニコル……」


 ニコル・アーダディス。今日で彼も、十六歳。

 リルルとニコルは生まれた場所は違えど、同じ年の同じ日――しかもほぼ同じ時間に生まれたのだ。


「私の双子の片割れ、私のたましいのきょうだい……」


 フィルフィナからうばい取った写真を胸に抱き、リルルはあま吐息といき深々ふかぶからした。

 心が百六十カロメルトは離れた、ゴーダム公爵領の首都・ゴッデムガルドにいるニコルの元に飛んでいる気配さえした。


「……誕生日たんじょうびが同じで、乳兄妹ちきょうだいというだけでしょう?」

「同じようなものです!」


 どこまでも冷静なフィルフィナの言葉にリルルはきばいた。


「余計な茶々を入れなくていいの! だまってて!」

「まったく……ニコル様のこととなったら頭のネジが外れてしまうんだから」

「うふふふふ……私のニコル……」


 頭の中で勝手な妄想もうそうり広げながら固まっているリルルの顔を、フィルフィナはちゃっちゃと器用にってしまった。


「さあ、お着替えです。立ってください。写真も胸から放して。洗濯板せんたくいたを押しつけられてニコル様が苦しがってるではないですか」

「あなたよりは大きいです!」

「どうせどちらも世間ではちっぱいあつかいですよ」


 立たせたリルルの寝間着ねまきをフィルフィナは手慣れた手つきでがしていく。


「私の愛するニコル……早く帰って来て欲しい……」

「ゴーダム公の元で騎士見習いをしていらっしゃるんです。成人されたら准騎士じゅんきしです。ゴーダム公の元で正騎士を目指すのではないですか?」

「ニコルは王都に帰れるようにがんばるといっています! 私はニコルを信じます!」

「どうなんでしょうねぇ……」


 ――元々病弱だった母親がリルルを産んだほぼ直後にくなり、乳母うばの乳で育てられたリルル。その乳母が連れてきた自分の子がニコルだった。以後、リルルとニコルはまさに兄妹きょうだいそのものとして育ち、乳母が役目をかれてからも共に遊ぶ仲となった。


 そんな二人が、成長するに連れてかれ合う仲となったのは、必然といってもいい。

 伯爵令嬢と平民の少年という身分差など関係なく、二人はおもい、したい合い、この時までを生きてきたのだ。


 二年前、騎士見習いの修行としてニコルが王都を離れ、ゴーダム公領におもむくまで、二人はずっと一緒だった。

 それから――今まで、一度も会えていない。

 会えないという事実は、思慕しぼを加速させる。いたい、と想う。それがせめて、文という形で二人をつなぐ。


「ニコル……早く帰ってきて……ああ、逢いたい……逢ってニコルの声を聞きたい、顔を見たい、手に触れたい……そのくちびるに……」

「……いい加減にそろそろ、現実に目を向けてくださいませんか?」


 言葉として口にしないといけないのか、やれやれ――とフィルフィナは肩を落とし、視線を前にえた。


「お嬢様はこれから、ニコル様ではない、別の方との婚約こんやくに向かわれるのですよ」

「なんでそれを思い出させるのぉ――――っ!!」

「顔を塗った後なんですから泣き出さないでください」

「嫌ぁっ! いやいや、いやあ! ニコル以外の男性と結婚なんてしたくないいいっ!」

「そうはいっても、旦那様だんなさまが決めたことですから」

「まだ社交界のお披露目ひろめもしてないのに、どうして婚約の方が先になるのっ!」

「そうはいっても、旦那様が決めたことですから」


 問題の根幹は、リルルの父だった。

 フォーチュネット伯爵家当主、ログト・ヴィン・フォーチュネット――今年で、五十六歳。

「魚貴族」と揶揄やゆしか感じられないあだ名をつけられた伯爵だ。


 貴族の格式としては零落れいらくしきったフォーチュネット家を建て直すため、かつて失った領地をなんとしても買い戻そうと必死になっている。そのための手段として、有力貴族の後援こうえんを得るために、リルルをとつがせて姻戚関係いんせきかんけいを結ぼうとしているのだった。


 その工作のために、ログトが貴族の社交界にばらまいている金はかなりのものだ。事業と工作のために駆けずり回っているログトはほとんどこの屋敷に帰らない。娘ひとりしかすんでいないこの屋敷には、メイドも一人でりる――ここは、そういう家だった。


「で、お嬢様。今回のお相手の写真は見たのですか?」

「見てないわ! 資料のふうも開けてないもの!」」

「……………………えっ?」


 フィルフィナは引いた。ドン引きした。


「……………………まさかこれから、どこの誰ともわからない方との婚約式に向かうおつもりですか?」


 正確には、婚約式の第一段階目の「面会式」だ。婚約者として、男女が初めて顔を合わせる場である。

 しかし、その面会式が行われるということはもう、婚約が成立したといってもいい。貴族界においては、面会式を行うという時点で婚約は成立したと見なされるも同然なのだ。


「お父様の工作で引っかかるような方だもの。下手をしたらお父様と同じおとしとか……冗談じゃないわ!! いや! いやいやいや! 私の貞操ていそうはニコルにささげると心に決めているの――!」

ずかしいことを大声でわめかないでください……」


 立ちくしながらなげくリルルを、フィルフィナは器用に着替えさせていく。シルクの下着の上にきついコルセットを装着そうちゃくさせ、さっさとドレスを着付けさせていった。


「今日、相手と会った時点――いえ、会おうとした時点で、その方とお嬢様が結婚することは決定したんです。それが貴族社会というものでしょう」

「わかっています! わかってるけれど、いやなものはいやなの! 私はニコルと結婚したいの!」

「旦那様が認めるわけないでしょう」

「ああ! 私が別の方と結婚なんかしたらニコルが悲しむわ! あの幼い頃、一緒に砂遊びをしながら交わした約束を二人で大事にしているもの!」

「それは、まあ……」


 幼なじみが交わした、十歳にもまだ届かないころの約束。普通の人間なら、そんなものは一笑いっしょうに付してしまうものだ。

 が、フィルフィナは知っている。そんな他愛のない約束でさえ、一生の宝物のように胸にしまっているのがニコルという少年であるということを。


「ニコルが私以外のどこの馬の骨とも知れない女性と結婚するなんていうのもいや! そんなのえられない!」

「…………つまり、あれですか? 自分は他の殿方とのがたと結婚するが、ニコル様には独り身をつらぬいて、自分ひとりをおもい続けてほしいと?」

「ダメかしら……」

「ダメに決まってるだろ」

「うわぁぁぁぁぁぁ――――ん!」


 涙と共に心が折れたリルルはうなだれた。うなだれているうちに運んでしまおうとフィルフィナは思う。


「さ、早く出かけますよ。表に馬車を待たせています。旦那様とは現地で落ち合います……とっとと支度したくを終わらせてください」

「…………ニコルの写真も持っていっていい?」

「置いていけ」



   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 リルルとフィルフィナを乗せた馬車は屋敷の門を出て、大通りを西に向かって走った。

 二頭立ての豪奢ごうしゃな借り馬車は二人を乗せるには明らかに大きすぎたが、今からおもむく場所を考えるとこれでも格式がりないくらいだった。


 二カロメルトと走らないうちに、「河」に差し掛かる。北から南に流れて王都を東西に分断する大河。街をうるお貴重きちょうな取水源であり、物資を運搬うんぱんするための運河としての役割も果たす。いつ見ても、視界の中に北に南に行き来する十数せきの船が視界に入った。

 河を境にして、基本的に東は平民以下の居住区きょじゅうく、西はそれ以上の階層の居住区、商業地、歓楽街かんらくがい、王城が存在する。


 そんな川幅かわはば四百メルトという大河にけられた大鉄橋を馬車は行く。川底に強固な支柱が埋め込まれた鋼鉄こうてつ製のり橋は王都の東西をつなぐ大動脈だ。


 橋のはばは各街区の大通りに匹敵ひってきする、四十メルトというかなりの広い規格きかくだ。道には複線の鉄軌レールさえかれていて、リルルたちが乗る馬車は対向して走ってくるラミア列車と二度もすれちがった。


 そんな、膨大ぼうだいな交通量を東に西に流す橋を渡る馬車の中で、フィルフィナはなぐさめになるのかどうかもわからない適当な文言もんごんを口にしていた。


「大丈夫ですよ、ニコル様がどこの馬の骨とも知らない女性と結婚することはないですから。安心してください」

「……ずいぶん自信ありげにいうのね? 根拠こんきょは?」

「ニコル様はわたしと結婚するからです」

「ああ、なるほど……」


 つぶやいてリルルは前を見る。

 脳に情報がみこむのに少し、時間をようした。


「ええぇぇぇぇぇぇぇぇええ!?」

「反応が遅いですね」

「どういうことなの!」

「どうって……わたしも普通にニコル様のことが好きということです」


 今、この馬車が渡っている長大な橋の解説でもするようにフィルフィナは淡々たんたんといった。


「聞いてないいいい!」

「今初めていいましたから。気づきませんでした? 昔からわたし、ニコル様のことをねらってたんですよ。ニコル様、いいですよね……永遠の少年、若草のにおいに似た青い性の香り……わたしの全部で包んであげたくなりますね……」


 最後にはときめく少女になってしまったフィルフィナに、リルルは泣きべそをかくだけだった。


「全然気づかなかったわ! そんな……私からニコルをうばうなんてやめて! それだけはお願い! なんでもするから! 肩でも腰でも脚でももむから!」

「お嬢様のものでなくなるんですから、構いやしないでしょう。ニコル様はわたしが幸せにしますから、お嬢様もとっととお幸せになってください」

「私から自由がなくなってしまう――! 好きな所も行けなくなるし、好きなものも食べられなくなるし、好きなニコルとも恋せなくなるし、快傑令嬢も続けられないし――!」

「ああ、やっぱり引退する必要性は感じてたんですか」

「フィルと二人暮らしだからできていたことでしょ! それに結婚したら『快傑夫人』になっちゃう!」

「『快傑令嬢』の時点で微妙びみょうですからね」

「びええええ――ん!」


 リルルの泣き声を宙に残し、馬車は非情に進む。橋を渡りきり、立派なコンクリート製の大型店舗てんぽが建ち並ぶ商業地域に入ると、目的地の王城まではあと十数分の距離だ。

 馬車が行き着く先――王城の庭園では、運命が待ち構えていた。



   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 王城の玄関口げんかんぐち、城門への通りをはさむようにもうけられた大庭園、血より紅い薔薇バラの花々にいろどられた『朱紅あか回廊かいろう』。

 面会式の会場、薔薇の香りを乗せて通り抜ける風が心地いい東屋あずまやで、その『運命』は、貴公子の姿をしてそこに立っていた。


「お初にお目にかかります、フローレシアお嬢さん。エルズナー侯爵家長子ちょうし、バリス・ヴィン・エルズナーと申します。――以後、よろしくお見知りおきのほどを」

「――――」


 肩にかかる明るい栗色の髪、ひたいにも長くかかったそれが、片眼を半分隠すようにしている。すらっとした長身――リルルよりも頭ひとつ以上は高い。

 どこか彫刻ちょうこくめいたりの深い顔立ちが印象深く、白地に金のモールでかざられた貴族服がよく似合う。


 気品、という言葉が二本足で立っているような青年――美青年だった。


 挨拶あいさつどころか会釈えしゃくすることも忘れて、リルルもフィルフィナも開けてびっくりした秘密箱の中身に、丸くなった目と口を開けてその場に立ちくすしかなかった。

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