第02話「伯爵令嬢と毒舌ちびメイド」
「ちびエルフメイドの平凡な早朝」
一辺十二カロメルトのほぼ正方形に築かれた高く厚い
エルカリナ王国の首都はその東西南北にひとつずつ、
コア・エルカリナの
そんな街の、ありふれた早朝の光景――。
「
十数人の号外売りの少年が張り上げる若い声が、
「快傑令嬢が昨夜現れたよ――!」
「今回の事件はなんと、ゲルト侯爵たち大物貴族の
「ゲルト侯の反乱計画を
「
「号外! 号外! 号外――!」
買い物客で
すれ
ほぼ屋台と変わらない
人間の欲望のように
市場が面しているのは
この時刻、まだ目覚めない人々もいるというのに、王都は活気に満ちている。
「…………」
その大通りの
そんな
よくよく観察すれば、深い
九割は読むに
「や……」
明るい緑の髪が
その元々細めの目が、今はさらに鋭く細められていた。
「やりやがってくれましたね……うちのお嬢様……」
北の方角からけたたましい
巨大な蛇の胴体、下半身は
フィルフィナの目の前でゆっくりとラミア列車は
「おはよう、もじゃ子さん」
頭に乗っている
「もじゃ子ではありません……フィルフィナです。おはようございます」
「どうしたの? 今朝は
「色々ありまして。乗り換え切符、お願いします」
フィルフィナが百エル硬貨をラミアに渡し、ラミアは代わりに一枚の切符をフィルフィナに手渡した。
「どうぞ。よかったわね、まだ
「失礼します」
フィルフィナは
百六十万人の人間を
発車合図の鐘を
蛇だから
フィルフィナは席に深く座り、目を閉じる。
今日、これからやらなければならないことを思うと気が重かった。まずは、帰ってから……。
「くふふふ……」
その細い笑い声に、フィルフィナの耳が髪の下で
――来たか。
車内は割と空いているというのに、一人の若い男がフィルフィナの
「……なにか
どこかだらんとした顔つきの男。嫌らしげな笑いが口元に浮かんでいる。
「あなた、市場からわたしを
「……君、エルフだろう?」
細められていたフィルフィナの目が、見開かれた。髪の下に完全に
「くふふ……やっぱりね。今、ぴくんって動いたよね」
これだけは反射的なことだ。フィルフィナ本人に
「
《あ》えて
「……あなたには関係ないことだと思いますが」
「ボク、エルフ好きなんだよね。特に君みたいなハイ・エルフが」
フィルフィナの
「ねえ、人間嫌いのエルフがどうして街に来てるの?」
「答えたくありません」
「森の男たちが
フィルフィナが片眼を細め、
「知ってるよ……森で満たされないから街に下りてくるんだって。君もそうなんだろ?」
「……確かに、欲求不満ですね」
フィルフィナの答えに男がひひっ、と
「僕がそれに付き合ってあげるよ……今からでもいいかい?」
男の手がフィルフィナの小さな
「いい宿を知ってるんだよ、乗り換えないといけないけど……」
耳に寄せられた口がささやく。息が臭い。
「いえ、それには
「……え?」
「ここで結構です」
真意を
直撃された鼻が
前のめりに体が
一度、二度、三度。
打ち付ける
「口が
「う……が……」
「利けるようですね」
トドメに四度目の激突を加え、その小柄な体と細腕では考えられない力で男の髪をつかんで引きずった。
他の客は騒ぎもしない。台所に出たゴキブリが潰されたくらいの日常的な光景だったからだ。
「それでは、ごきげんよう」
男の体を列車の外に捨てた。顔面から固い
「もじゃ子さん、どうかした?」
疲れた様子もなく客車を引き続ける車掌のラミアが、顔の半分を向けてくる。
「
「殺してない?」
「たぶん」
「ならいいか。ゴメンねぇ、なかなか減らなくて」
「いいです。出たらわたしが減らしますから」
何事もなかったかのようにフィルフィナが席に座り、何事もなかったかのように列車は進んだ。
街並みが流れる。通りを
数駅をまたぎ、目的の駅でフィルフィナは天井から吊された鐘を鳴らした。『降ります』の合図に
「ご乗車ありがとうございました。またね、フィルちゃん」
「失礼します」
フィルフィナは列車から降りた。ここはもう住宅区域だ。六階、七階建てのアパートが肩を寄せ合うようにして大通りに面している。
朝の通勤時間に差し掛かる
西行きのラミア列車は程なくしてやってきた。乗り換え切符を車掌のラミアに渡してフィルフィナは乗車し、ひとつだけ
と、のろのろとした足取りで一人の
フィルフィナの判断は、
「おばあさん、席をどうぞ」
「ありがとうねぇ、優しいお嬢ちゃん」
「……あなたよりも年上ですがね」
「はい?」
「いえ、なんでもありません。おばあさん、長生きしてくださいね」
フィルフィナは買い物カゴを腕にして吊り革をつかむ。目的地はもう少しだ。今日の痴漢は行きと帰りを合わせて二人か。少ないほうだな……。
そうぼうっと考えていたところに、三人目が来た。
フィルフィナの背後にぴったりと着くと、
「――――――――」
その
「お嬢さん」
わずかに首を回して目を向ける。手以外は
「いいお尻をしているね。少し肉付きが薄いかな? しかし形は素晴らしい」
「……見かけない人ですね」
「この時間のこの路線を、可愛いメイドさんが乗っていると聞いてね。参上したというわけさ」
尻を触られていなければ、一度お茶をしたいくらいの
「
「……もう少し触っていてもいいですよ」
「私も少しは技術に自信があってね。どれ、今一歩深い領域に――」
「そういう話ではなくてですね」
男の腕にそっとフィルフィナは手を
次の瞬間、腕をつかむ全ての指に、
「もう二度と触れなくなるからです」
男の腕がひねり上げられる――一回転するように!
「ぎゃあああああああ!!」
ひねられてはならない角度にひねられ、肘から鳴ってはならない音を鳴らして、男が上げてはいけない悲鳴を上げた。
「あ、腕はもう一本ありましたね」
顔色を一切変えることなくフィルフィナはもう片方の腕もまったく同じ目に
男の体が乗り降り口から飛び出し、顔面で地面に弾んで視界の外に消えて行った。
ラミア列車は、速度を減じない。
「お嬢さん、なんだか
「ゴミを捨てただけです。
「お嬢さんはいい子だねぇ」
「わたしはここで降ります。おばあさん、さようなら。
再び降りる合図の鐘を鳴らすと、十秒もしないうちにラミア列車が停車する。そこで降りたのはフィルフィナだけだった。
「――さて」
自分の住んでいる世界を確認するように、小さなメイドはぐるりと頭を
息苦しそうに肩を寄せ合っていた住宅群の姿はなくなっていた。代わりに立派な塀を構え、門の向こうに緑豊かな庭を構える屋敷がいくつも立ち並び、一種の開放感さえある景色があった。
ここは、そういう成功者たちが
駅前の郵便局で自分の屋敷あての荷物を受け取り、フィルフィナは
「ただいま戻りました」
もう隠居してもいいくらいに年かさの門番が、フィルフィナの
フォーチュネット伯爵家邸宅。
その屋敷がなにかひとつ、周囲の屋敷と違う特別な意味を持っていたとすればそれは――そこがこの区域で唯一、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます