第02話「伯爵令嬢と毒舌ちびメイド」

「ちびエルフメイドの平凡な早朝」

 一辺十二カロメルトのほぼ正方形に築かれた高く厚い城壁じょうへきの中に過密な都市が建設された、人口百六十万人をようする世界最大規模の巨大城塞都市『コア・エルカリナ市』。

 エルカリナ王国の首都はその東西南北にひとつずつ、出城でじろのように衛星都市えいせいとしを持っている。衛星都市といっても一つ一つが人口四十万以上をほこる、他の国ならば立派に首都として通用する大都市だ。


 コア・エルカリナの街区がいくは縦と横にそれぞれ六つずつ、合計三十六個の区域に分けられている。その中央通りは厳格げんかくに整備され、ゆがみを許さない完璧かんぺきな直線の大通りとして人と物の交通を流していた。


 そんな街の、ありふれた早朝の光景――。


号外ごうがい! 号外! 号外――!」


 十数人の号外売りの少年が張り上げる若い声が、喧噪けんそうけて早朝の街に響き渡っていた。


「快傑令嬢が昨夜現れたよ――!」

「今回の事件はなんと、ゲルト侯爵たち大物貴族の陰謀阻止いんぼうそしだぁ!」

「ゲルト侯の反乱計画を見事みごと粉砕ふんさい! 快傑令嬢はまたも華麗かれいに去っていきましたとさぁ!」

くわしいことはみんなここに書いてある! 一枚たったの百エルだ! 早く買わないと売り切れちゃうよ!」

「号外! 号外! 号外――!」


 買い物客でにぎわう市場いちばを風のように走り回る少年たち。そんな彼らが足を止めずに行きう人々と百エル硬貨こうかと新聞を交換こうかんし合う。

 すれちがうほとんどの通行人が少年たちから号外を買っていた。買わないのは、もう買ってしまった人間くらいのものだ。


 ほぼ屋台と変わらない簡素かんそな作りの店が、色とりどりの天幕を張って寄り集まる公設市場こうせついちば。その朝に胃袋いぶくろにおさまる食材がものすごい勢いであきないされる。売り子の声が空気を震わせ、様々な物品が矢継やつぎばやに硬貨と交換されていく。


 人間の欲望のように雑多ざったで、無秩序むちつじょで、膨大ぼうだい店数てんすうを数えるのも億劫おっくうになる賑やかな商売の場。


 市場が面しているのははば四十メルトのまっすぐ伸びた大通りだ。通りの先には建物がなく、なにもないその先がかすんで見える――視力しりょくが良い者ならば、数カロメルト先の城壁が見えたことだろう。

 この時刻、まだ目覚めない人々もいるというのに、王都は活気に満ちている。


「…………」


 その大通りの片隅かたすみ、乗り合い蛇列車ラミアれっしゃの待合長椅子ベンチに座る一人のメイドも、号外の新聞紙を広げていた。

 うそ真実まことかはっきりしない内容でくされた紙面。

 そんなあやしい新聞を広げた向こうに彼女の体はほとんどかくれてしまうくらいの、小柄こがらなメイドだった。


 よくよく観察すれば、深い紺色こんいろのエプロンドレス姿が小刻こきざみに震えているのがわかっただろう。事実、震えが止められないだけの理由があった。

 九割は読むにあたいしないデタラメの羅列られつ――彼女は知っている、どの部分が真実で、どこが嘘なのか正確に――を全て読み切って、メイドは紙面から目を放した。


「や……」


 明るい緑の髪がかれずに綿のようにふくらんでいる、その少女。小さく幼い顔立ちの中で切れ長の目だけが、奇妙な大人っぽさをわずかにうかがわせる。

 その元々細めの目が、今はさらに鋭く細められていた。


「やりやがってくれましたね……うちのお嬢様……」


 北の方角からけたたましいベルの音が聞こえてくる。メイドの少女――フィルフィナは顔を上げた。目を向けると、三台が連結されたほろ付きの長い車両がこちらに走ってくる。大通りの端の車線にめ込まれた軌道レールに、鋼鉄こうてつ製の頑丈かんじょうな車輪ががっちりとまり、容易よういには横転おうてんさせられない安定感を見せている。


 奇異きいなことがあるとすれば、その列車をいているのは馬ではなく、女性型巨大蛇ラミアであることだろう。

 巨大な蛇の胴体、下半身は直径ちょっけい一メルト、長さ三十メルトほどの大きさだ。その胴体は三台の列車の下に潜っており、深い紺色こんいろの制服を着た人間型の上半身が列車を先導せんどうするように前にいた。


 フィルフィナの目の前でゆっくりとラミア列車は停車ていしゃする。フィルフィナは新聞を丁寧ていねいにたたみ、買い物であふれたカゴを抱えて立ち上がった。左から右に走る馬車、自転車、ケンタウロスの荷馬車にばしゃかれないよう、片手を真上に上げて通り、片車線中央の軌道に駆け寄る。


「おはよう、もじゃ子さん」


 頭に乗っている舟形ふながた帽子ぼうしを取ってラミアが一礼し、それにこたえてフィルフィナはうやうやしく頭を下げた。


「もじゃ子ではありません……フィルフィナです。おはようございます」

「どうしたの? 今朝は不機嫌ふきげんそうだけど」

「色々ありまして。乗り換え切符、お願いします」


 フィルフィナが百エル硬貨をラミアに渡し、ラミアは代わりに一枚の切符をフィルフィナに手渡した。


「どうぞ。よかったわね、まだいてるわよ」

「失礼します」


 フィルフィナは客車きゃくしゃに通じる足かけステップんだ。乗り込んだはば三メルトほどの車内には、横二列の席が中央縦軸に二十列並べられている。かわで立つ人間もふくめれば、一両の定員は百二十人。それが三両、合計で三百六十人。


 百六十万人の人間をとどこおりなく通わせるとしたら、こんなものに頼るしかないのだろう。フィルフィナはこのラミア列車に乗るたびに人間の力強さと馬鹿馬鹿しさにあきれてしまい、今回も呆れながら席のひとつに座った。


 発車合図の鐘を車掌しゃしょうのラミアが鳴らし、数人の客が駆け込みで乗り込んでくる。全員が乗り込んだのを確認して客車が動き出した。ラミアの胴体、設置している文字通り蛇腹じゃばらになっている腹の筋肉が石畳の凹凸でこぼこを歯車のようにみ、自分と客車とを前進させるのだ。


 蛇だから蛇行だこうするだろう、という先入観を見事に裏切うらぎって、ラミア列車はほとんど左右に揺れず、まっすぐに前進した。


 フィルフィナは席に深く座り、目を閉じる。

 今日、これからやらなければならないことを思うと気が重かった。まずは、帰ってから……。


「くふふふ……」


 その細い笑い声に、フィルフィナの耳が髪の下でかすかに動く。目が開く。

 ――来たか。

 車内は割と空いているというのに、一人の若い男がフィルフィナの右隣みぎどなりの席に座る。隣に座られただけで圧迫感を感じた。大柄な男だ。縦にも横にも。


「……なにか御用ごようですか?」


 どこかだらんとした顔つきの男。嫌らしげな笑いが口元に浮かんでいる。


「あなた、市場からわたしを尾行けていましたよね?」

「……君、エルフだろう?」


 細められていたフィルフィナの目が、見開かれた。髪の下に完全にかくれている耳が今度こそ大きく動き、とがった先端せんたんが髪の下から一瞬現れ、また隠れた。


「くふふ……やっぱりね。今、ぴくんって動いたよね」


 これだけは反射的なことだ。フィルフィナ本人に制御せいぎょできない。


亜人あじんはフードを被って正体を隠す……だから|敢

《あ》えてかぶらないことで、髪で耳だけを隠して人間に見せようとしているんだろうけれどさぁ……ボクにはわかっちゃうんだよね、詳しいから……」

「……あなたには関係ないことだと思いますが」

「ボク、エルフ好きなんだよね。特に君みたいなハイ・エルフが」


 フィルフィナの奥歯おくばが微かに鳴った。こいつ、見る目だけはある。特別な嗅覚きゅうかくでもあるのか?


「ねえ、人間嫌いのエルフがどうして街に来てるの?」

「答えたくありません」

「森の男たちがれていて、欲求不満なんだろう?」


 フィルフィナが片眼を細め、眉間みけんに深い谷が寄る。その形が危険な角度であると知らないのが男の不幸だった。


「知ってるよ……森で満たされないから街に下りてくるんだって。君もそうなんだろ?」

「……確かに、欲求不満ですね」


 フィルフィナの答えに男がひひっ、とのどを鳴らすように笑った。


「僕がそれに付き合ってあげるよ……今からでもいいかい?」


 男の手がフィルフィナの小さなひざに乗せられた。そのままねっとりとした動きで脚の付け根に迫る。


「いい宿を知ってるんだよ、乗り換えないといけないけど……」


 耳に寄せられた口がささやく。息が臭い。


「いえ、それにはおよびません」

「……え?」

「ここで結構です」


 真意をはかりかねた男が口を開け――た顔に、目にも止まらぬフィルフィナの裏拳うらけんがめり込んだ。

 直撃された鼻がつぶれ、口から悲鳴が上がる前に今度はひじが男の腹に突き刺さる。一撃で胃が破裂はれつし、開いた口からは声すらも出なかった。


 前のめりに体がかたむいた男の後頭部をつかみ、目の前にある鉄製の支柱に一切いっさい容赦ようしゃもなく男の顔面をぶつけた。

 一度、二度、三度。

 打ち付けるたびに何かがくだける音がする。わずかに血が飛ぶ。支柱がその表面にほんの少しのくぼみを作った。


「口がけますか?」

「う……が……」

「利けるようですね」


 トドメに四度目の激突を加え、その小柄な体と細腕では考えられない力で男の髪をつかんで引きずった。

 他の客は騒ぎもしない。台所に出たゴキブリが潰されたくらいの日常的な光景だったからだ。


「それでは、ごきげんよう」


 男の体を列車の外に捨てた。顔面から固い石畳いしだたみの歩道に着地した男を確認して、フィルフィナはそれ以上の興味きょうみを失った。


「もじゃ子さん、どうかした?」


 疲れた様子もなく客車を引き続ける車掌のラミアが、顔の半分を向けてくる。


痴漢ちかんです。捨てました。あと、フィルフィナです」

「殺してない?」

「たぶん」

「ならいいか。ゴメンねぇ、なかなか減らなくて」

「いいです。出たらわたしが減らしますから」


 何事もなかったかのようにフィルフィナが席に座り、何事もなかったかのように列車は進んだ。

 街並みが流れる。通りをかこむ高層アパートの屋根の色を数えながらフィルフィナは心を休めた。

 数駅をまたぎ、目的の駅でフィルフィナは天井から吊された鐘を鳴らした。『降ります』の合図にこたえて列車はまる。


「ご乗車ありがとうございました。またね、フィルちゃん」

「失礼します」


 フィルフィナは列車から降りた。ここはもう住宅区域だ。六階、七階建てのアパートが肩を寄せ合うようにして大通りに面している。


 朝の通勤時間に差し掛かる頃合ころあい。人の行き来もますます増えてくる。大通りを西に東に南に北に無数の人や自転車が流れ、それぞれの生活のために脚を交互こうごに動かしていた。


 西行きのラミア列車は程なくしてやってきた。乗り換え切符を車掌のラミアに渡してフィルフィナは乗車し、ひとつだけいている席に座る。

 と、のろのろとした足取りで一人の老婆ろうばが乗り込んでくるのが視界に入った。

 フィルフィナの判断は、素早すばやかった。


「おばあさん、席をどうぞ」

「ありがとうねぇ、優しいお嬢ちゃん」

「……あなたよりも年上ですがね」

「はい?」

「いえ、なんでもありません。おばあさん、長生きしてくださいね」


 フィルフィナは買い物カゴを腕にして吊り革をつかむ。目的地はもう少しだ。今日の痴漢は行きと帰りを合わせて二人か。少ないほうだな……。


 そうぼうっと考えていたところに、三人目が来た。

 フィルフィナの背後にぴったりと着くと、大胆だいたんにもしりわしづかみにしてくる。


「――――――――」


 その遠慮えんりょの全くないれきった触り方に、嫌悪感けんおかんが来る前にエルフのメイドは感心してしまった。


「お嬢さん」


 わずかに首を回して目を向ける。手以外は紳士しんしそのものの中年男がそこにいた。


「いいお尻をしているね。少し肉付きが薄いかな? しかし形は素晴らしい」

「……見かけない人ですね」

「この時間のこの路線を、可愛いメイドさんが乗っていると聞いてね。参上したというわけさ」


 尻を触られていなければ、一度お茶をしたいくらいの洗練せんれんされた紳士だった。が、触られた尻のかたきたなければならない。フィルフィナは大きく息をいた。


抵抗ていこうしないね。君も趣味者しゅみしゃなのかい?」

「……もう少し触っていてもいいですよ」

「私も少しは技術に自信があってね。どれ、今一歩深い領域に――」

「そういう話ではなくてですね」


 男の腕にそっとフィルフィナは手をえた。男が警戒心けいかいしんいだかないほどの自然な動作だった。

 次の瞬間、腕をつかむ全ての指に、万力まんりき匹敵ひってきする力が込められた。


「もう二度と触れなくなるからです」


 男の腕がひねり上げられる――一回転するように!


「ぎゃあああああああ!!」


 ひねられてはならない角度にひねられ、肘から鳴ってはならない音を鳴らして、男が上げてはいけない悲鳴を上げた。


「あ、腕はもう一本ありましたね」


 顔色を一切変えることなくフィルフィナはもう片方の腕もまったく同じ目にわせると今度は悲鳴は出ず、代わりに声になれきれない音がのどの奥からき出していた。


 こわれた人形のようになった両腕をぶら下げて滝のような涙を流す変態紳士の背中を、ゴミでも払うかのようにフィルフィナはくつの裏でり出す。

 男の体が乗り降り口から飛び出し、顔面で地面に弾んで視界の外に消えて行った。

 ラミア列車は、速度を減じない。


「お嬢さん、なんだかさわがしいねぇ?」

「ゴミを捨てただけです。綺麗きれいになりました」

「お嬢さんはいい子だねぇ」

「わたしはここで降ります。おばあさん、さようなら。御達者おたっしゃで」


 再び降りる合図の鐘を鳴らすと、十秒もしないうちにラミア列車が停車する。そこで降りたのはフィルフィナだけだった。


「――さて」


 自分の住んでいる世界を確認するように、小さなメイドはぐるりと頭をめぐらせた。


 息苦しそうに肩を寄せ合っていた住宅群の姿はなくなっていた。代わりに立派な塀を構え、門の向こうに緑豊かな庭を構える屋敷がいくつも立ち並び、一種の開放感さえある景色があった。

 ここは、そういう成功者たちがきょを構えることのできる区域なのだ。


 駅前の郵便局で自分の屋敷あての荷物を受け取り、フィルフィナはせま歩幅ほはばでたかたかと歩き出す。屋敷が建ち並ぶ間を足早に通り抜け、一軒の屋敷の門の前に達した。


「ただいま戻りました」


 もう隠居してもいいくらいに年かさの門番が、フィルフィナの挨拶あいさつを受けて面倒くさそうに門を開ける。愛想とか愛嬌あいきょうとかいうものを若い頃に捨ててきたような、たった一人の門番に再び頭を下げ、フィルフィナはその屋敷の中に入っていった。


 フォーチュネット伯爵家邸宅。


 その屋敷がなにかひとつ、周囲の屋敷と違う特別な意味を持っていたとすればそれは――そこがこの区域で唯一、貴族・・が住まう屋敷だったということだった。

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