「みなさま、それではごきげんよう!」

「なんなんだいったい……んんっ!?」


 リロットによって地下室いっぱいにばらまかれ、足元に落ちた一枚の書類をアイガスは拾い、シャンデリアの明かりにかすようにしてそれを見た。

 紙面に描かれているのは、王都の北西部の地図だ。

 王城と今自分たちがいる、貴族の屋敷が密集する住宅区域が記された地図と、付随ふずいするように細かく書き込まれた文字と数字の羅列られつ、それが意味することを読み取った瞬間――アイガスの目の色が、またたく間にしてきびしいものに変わった。


「こ……これは! 王都の各所に、放火する場所と時間がしるされている地図だ!」

「なんだって!?」

「こっちもだ!」


 部屋中に散らばった紙を拾い、内容に目を走らせた騎士たちが次々に声を上げる。


「これには、王族の方々を暗殺するための計画がっている! 来月、五月二日の舞踏会ぶとうかいの夜、王城の

門のかんぬきをはずしておく手はずが!」

「じゃあこの書類たちが、みんな!?」

「全体像は全部を読んでみなくてはわからないが、とにかくとんでもない陰謀いんぼうのようだな!」


 リュズナーの視線がリロットから外され、代わりにそれを浴びて侯爵の顔が引きつる――周囲にいる手下はそばひかえている老執事ろうしつじが一人で、後は全て階上だ。


「ゲルト侯爵! あなたの身柄みがら拘束こうそくさせていただく!」

「そ……そんな、そんな書類は全てでっち上げだ!」

「あなたの金庫から出てきて、あなたが中身を確認した書類が偽物にせものだというのは、ずいぶん苦しいいいわけですな!」


 リュズナー以外の警備騎士の視線もゲルト候に集中した。その全部が敵を見る目だった。


「た……たかが警備騎士団ごときに私を拘束できるものか! 私はゲルト侯爵だぞ! 私に無体むたいをするとどうなるか、わかっていっているのだろうな!」

「――では、警備騎士団団長の権限けんげんであれば、拘束できるのだな?」


 今まで聞こえなかった、威厳いげんのある声が室内に響いた。

 その場の全員が振り向いた先に、階段のすぐ近く、顎髭あごひげたくわえた初老しょろう偉丈夫いじょうふが、金モールにいろどられたコートを着てそこに立っている。

 引きつりきっていたはずのゲルト候の顔が更にゆがめられて、顔がねじれるのではないかというほどの表情を見せた。


「ラ……ラ、ランバルト公爵! な、何故あなたが、こんな所に……!」

「警備騎士団の団長が現場を視察しさつする――なにか、不自然であることかな? しかし、たまには現場に出張でばってみるものだな。実に面白いことにめぐり会う。たとえば――」


 公爵が床に落ちていた一枚の紙を拾い上げ、表面についたホコリを払ってから、その内容を読んだ。


「――陰謀いんぼうが成功したあかつきの、依頼主いらいぬしからおくられる報償ほうしょうの額が、いったいどれくらいなのかを知ることができたり、な!」

「ぐっ……!」


 ランバルト公が重いブーツの靴音くつおとを響かせて歩を進め、ゲルト侯がうめきを上げて退しりぞく――が、侯爵に逃げ場などなかった。


「階上はすでに私の直属の部隊で制圧させてもらった。貴公の私兵は全て投降とうこうした。――ゲルト侯、観念かんねんしてその身になわを受けるがいい!」

「うぬぅっ!!」


 公の目配めくばせに応え、騎士たちがゲルトを後ろ手にさせてその手首に縄をかける。声にならないほどの細く長い息をらし、ゲルトはその場にくずれ落ちた。


 あまりに急転直下の展開に、あわたただしく騎士たちが動く。

 そんな中――そのうずの中のはしでひとり、さびしく取り残されたように立っていたリロットが、おずおずとした口調で申し出た。


「あのぅ――そろそろ、帰ってもよろしいですか?」

「い、いいわけないだろう!」


 その呼びかけに、自分たちがここに来た目的を思い出したリュズナーが上ずった声を上げる。


「ですが、私、今回は悪いことはしていません」

「そういわれれば確かに……って、今までの行いがあるだろうが! そ、そこに大人しく直れ! 今、縄をかけてやる!」

「えええ……マジかよ……」


 配下の警備騎士たちがうんざりとした顔を見せながら、心底怠しんそこだるそうに体を動かす。士気などもう、微塵みじんも残っていなかった。


国家転覆こっかてんぷく未然みぜんに防いだ功労者こうろうしゃ捕縛ほばくしないといけないのか……」

「なんだよそれ……つかまえてもやられてもはじだな……」

「俺、この仕事やだ……もうめる……」


 部下たちがそろって見せるどろに沈んだ目に、リュズナーの口元が戦慄わなないた。


「よ、弱音をくな! ……リロット! ここからどうやって地上に逃げるつもりだ! お前は今、我々に追い詰められているのだぞ!」

「あ……確かに、そうですね」


 やる気があるとは思えなかったが、それでもまだ出口とリロットとの間には、数十人の騎士たちがいる。それらを蹴散けちらさねば、この地下室から去ることは不可能だろう。


「大人しく投降とうこうすればそんなに無体むたいはしないと約束してやる! 手加減てかげんしてやろう!」

「――心配していただいて、まことにありがとうございます」


 袋小路ふくろこうじに追い詰められているはずのリロットが、にっこりと笑う気配がした。少なくとも、その場の全員が彼女の笑みをはだで感じた。


「ですが、みなさんは紳士しんしでいらっしゃいますから、私がお願いすれば道をけてくださいますかと」

「そんなはずがあるか! お前は――」

「そろそろ門限もんげんの時間がせまっておりますので、失礼させていただきます」


 声のに笑う気配をせたリロットが背筋を伸ばして片足を引く。両のすそをつかんでスカートを広げると、風をはらんだスカートが美しいラインふくらんだ。


「――みなさま、それではごきげんよう!」


 完璧かんぺき作法さほう通りの美しいカーテシーに騎士たちが思わずうっとりとした瞬間――スカートの中から、音を立てて落ちるいくつかの黒い球体があった。

 リロットの赤いハイヒールをいた足元から転がったそれを、騎士たちの視線が追う。


「ばっ……!?」


 球体の表面にめ込まれた短いなわのようなものが、不吉な音を上げ赤く燃えて火花を発している。それが数個――ゴロゴロと階段の方――というより、騎士たちの足元に向かって転がっていった。


「ばっ、ば、ばばば、爆裂弾ばくれつだんだぁ――――!?」


 一人の悲鳴がまたたく間に、室内の全てに恐慌きょうこうを呼んだ。


「下がれ! 退けぇ! 邪魔するなぁっ!」

「押すな! 押すなって!」


 それを拾おうとするものはいない。あわてふためいた騎士たちが転ぶように左右に分かれた。

 その騎士たちの隙間すきまを、薄桃色うすももいろの残像をいてリロットが風のように走る。

 もう爆発寸前の爆裂弾を蹴散らすように走る彼女に、手をばす者はいなかった。そのまま風のように階段を駆け上がっていく姿を見送る以外の何もできなかった。


 獲物えものに去られ、残された騎士たちの目の前で、爆裂弾の燃え続ける導火線どうかせん無慈悲むじひに燃えきようとし――。


「わぁぁぁ――――!!」


 ぶすん。


「…………わ?」


 爆裂弾――らしかったものが、わずかに黒い煙をいた――一つも、残らず。


「ふ、不発……?」

「た、ただの煙玉けむりだまだったんだ! 快傑令嬢は人を殺さない!」

「せめてリロットと呼べ! 追え! 門とへいを固めさせろ!」

「――おろか者どもが!」


 声に確かなしんが入った一喝いっかつに、警備騎士たちが震えて止まる。

 ただ一人、煙玉に動じなかったランバルト公が、その眉間みけんに深い谷をきざみ目をり上げていた。


「この屋敷にも一本、尖塔せんとうがあるだろうが! そこだ! リロットは空から逃げる!」

「奴が空を飛んでるぞー!」


 階段の上がった先から声が張り上げられる。ゲルト侯を拘束している数人を残し、警備騎士たちが階段を駆け上がった。

 廊下ろうかを駆け抜けて玄関げんかんから外に飛び出した騎士たちが、一斉に目を夜空に向ける。


「く……!」


 はるか高い天空に、白いかさを手にして影をにじませる人の形があった。

 もう、顔すらうかがえない高空をそれはゆっくりと飛んでいる。影法師シルエットの形からして、それが誰であるかはうたがいようもなかった。


「追いかけろ!」

「ですが、奴は空を飛んでいるんですよ!?」

「地面を走ればいいだろうが! 見失うまで追え! いや、見失っても追え!」

「ひぃぃぃ!」


 リュズナーが自ら駆け出し、無謀むぼうな上官に付き合う以外の選択肢せんたくしを失ったあわれな騎士たちも、泣きながらそれに続いた。


「……あの隊長も長くはなさそうだな」


 全てを見届け、ひとつ大きな息をいてから、ランバルト公は玄関を出た。

 ゲルト侯の私兵たちはランバルト公が率いてきた兵によって武装解除ぶそうかいじょを受けて一カ所に集められ、ゲルト侯本人はすで護送用ごそうようの馬車に放り込まれている。リロットのために引っ張ってきた馬車に、屋敷の主人が入れられる――なんと皮肉ひにくなことか。


 これで、予定通り・・・・一件落着だ。

 もうこれ以上なにも考えたくなかったランバルト公は、玄関前にめさせている自分の馬車に乗り込もうと、馬車の足かけに足を乗せた。


「すぐ出発しろ」


 御者ぎょしゃがうなずいたのを確かめ、ランバルト公は馬車のとびらを開い――て、その目をいっぱいに見開かせた。


「…………いや、少し待て」

「は?」


 馬の口につながっている手綱たづなを打ち下ろそうとした御者が、気合いを抜かれた声を上げた。


「私は疲れた。しばらく休憩きゅうけいする。十分ほど待休んでいていいぞ」

「はあ」


 怪訝けげんそうに振り向いた御者を無視し、ランバルト公は馬車内に自分の体を押し込むようにし、そそくさと扉を閉めた。


「……何故ここにいる?」

「えっ?」


 馬車の中には、いるはずがない先客がいた。


が終われば、ここでお話があるという風にうかがっていたのですが」


 先客――薄桃色うすももいろのドレスに身を包んだ少女が首をかしげる。心底驚しんそこおどいたというように。


「……いや、確かにそういったが……」


 先ほど、夜の天空高くに消えたはずの少女、快傑令嬢リロットがそこにいた。

 今夜、初めてリロットを目撃する公爵はあらためて目をこらし、その顔を観察する。

 ……確かに娘だ。ただ、印象が頭に刻まれない。見ているそばから忘れていくような、強烈な不安に似た感触を覚える。


「空を飛んでいったのは、あれは?」

「風船です」

「風船か……」


 公は思わず笑ってしまった。リュズナーたちは風に流される風船を追って一晩走り回るのだ。


「……しかし、ここで落ち合うということがわなだとは思わなかったか? そなたをつかまえるための」

「警備騎士団の団長様がおっしゃることですから、疑いもいたしませんでしたが……罠なのですか?」

「いや…………ははは……」


 素直すぎる。こんな娘に自分たちの部下はかき回されていたのか。あきれを通り越して笑ってしまった。


「……まあ、いい。今夜はご苦労だった。ゲルト侯の反乱計画書を手に入れることができた……あの計画書から他の協力者もいもづる式に検挙けんきょできる。これから二十四時間は寝る間もないだろうな」

「ゲルト侯がそんなものを持っていると知っていたら、どうして警備騎士団として正式に押収しなかったのですか? 正規せいきの手続きを踏めば……」

「押収する準備をした段階で情報がれて、感づいたゲルト侯にそれを焼き捨てられたら元も子もなくなる。情報は漏れるものだ。侯の息がかかった者など、いくらでもいる。今回のカラクリを知っているのは、私が本当に信頼する数人だけだ」


 そこまでしなければならない穴だらけの自分の組織を内心、公は自嘲じちょうした。


「警備騎士団は、くだんの書類を守るためにゲルト侯邸宅に入るのだ。ゲルト侯も、まさか快傑令嬢と警備騎士団の頭目が結託けったくしているとは思わないだろうからな」

「……協力するのは、この一件だけです。前の事件の際、協力してもらえないかと閣下の密使みっしげられた時は驚きました」

「それこそ罠だと思わなかったのか?」

「王都が焼かれるかも知れないという陰謀いんぼうがあるのなら、協力しないわけにはいきませんから……私も、この王都に住まう者ですもの」

「ふむ、まあ、確かに……。ともあれ、今夜の働きには感謝する。これをおさめてくれ」


 公がふところから小さな袋を取り出した。公爵の手の中でそれはじゃらりと重い音を立てて、形を崩して見せた。


「今夜の謝礼だ。少ないが」

「結構です」


 公が差し出そうとしたそれを、リロットは手で制した。


「……そんなものを受け取るわけには参りません。私はお金のためにやっているのではないのです。部下のみなさんをそれでねぎらってあげてください。私、警備騎士のみなさんに本当にご迷惑をおかけして……」

「そうか。ならばそうさせてもらおう。あと、一つだけ忠告ちゅうこくさせてくれないか」

「なんでしょう?」

「他人を信用するものではないよ」


 少女が息を飲む気配がした。


「私がその気なら、そなたはここで捕縛ほばくされている。そなたの正体がどういう立場の者かは知らぬが、身の破滅はめつなのは確かなのではないか?」

「……何故ここで私を捕まえないのですか?」

「そなたは役に立つからだ」


 警備騎士団団長という立場でランバルト公はいい切った。


「そなたは人をあやめない、善良ぜんりょうな人間を傷つけない、部下が少々怪我けがをするのは仕方ないがな……。……結果として、王都の悪を退治たいじしてくれている。様々なしがらみから警備騎士団が介入かいにゅうできないことにも手が出せる。これを排除はいじょする理由があるかね?」

「いいのですか? 警備騎士さんたちの評判が……」

「メンツなど、犬に食わせてやればいい」


 真顔で断言した公爵に、少女が微笑ほほえんだ気配があった。


「そんなものは、我々が我慢がまんすればいいだけの話だ。……今回のように表だって協力するというのは不可能だが、今までのような活動ならば私は大歓迎だいかんげいだ」

「……我々は、とはいえないわけですね。ですが……」

「ですが?」

「私、おそらくこれで引退することになると思います」

「引退だと?」


 ランバルト公は、その先の言葉を失った。


「……色々不都合がありまして。もう快傑令嬢を続けていられないのです」

「それは……」

「最後の最後に大きな事件を未然みぜんに防げて、本当によかったと思っています。みなさまにも大変ご迷惑をおかけしました」

「……そ……そうか」

「――旦那様だんなさま?」


 外からのノックに、公爵が音の方を向いた。


「そろそろ出発してよろしいでしょうか?」

「ああ、少し待て、今――」


 視線を戻し――た先には、少女の姿はなかった。からの座席があるだけだった。

 あったはずの可憐かれんな花が、少し目を離したすきに消えていた――そんなうすら寒さを覚えて、公は思わず肩を震わせた。


「…………いや、いい、出発してくれ」

「かしこまりました」


 がたん、と一つ揺れて馬車が動き出す。その揺れを背中と尻で受け、公爵は深々と息をいて目を閉じた。


「そうか、快傑令嬢は引退するのか。…………だったら、最後に捕まえておけばよかったかな…………」

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