「快傑令嬢、参上させていただきます!」
柱時計の
石造りの地下室の四方を反響する重い音が静まるまで、まるで数分はかかったもののようにその場の全員には思えた。
最後の音が消えてなくなるまで、誰も彼もが息をするのも忘れ、全ての神経をささくれさせて、待った。
何かが起こる、そのはずだった。
「…………」
……何もない。
何かが起こるはずなのだが、何も起ころうという気配もない。
自分が動けば、その起こるはずのことを止めてしまうのではないかという奇妙な予感に
「は……は……」
そんな、破りがたい
「……ははっ、はははは! はははは、はははははは!!」
「……なんだ、来る、来るといいながら、ついには来なかったではないか! 必ず予告通りに現れると聞いていたから、
緊張していた分を取り戻すかのようにはしゃぐそんな声を聞きながら、警備騎士たちは
「ふふふ……しかしこれで、私があの快傑令嬢とやらの
「
「は?」
リュズナーの進言に、機嫌がよかったゲルト候の顔が一瞬にして
「以前にありました。金庫の中身が事前に抜き取られていたことが」
「馬鹿な。これは特別製の金庫だぞ。気づかれずにこれを開けられるわけが」
「その特別製の金庫から
「……よし、そこまでいうのなら」
こめかみに
「この金庫は十個の鍵を、特定の順番で差し込まないと開かないのだ」
「くそ
アイガスが口の中で
「……書類もちゃんとあったぞ!」
「中身はちゃんと入っていますか?」
「中身だと? ちゃんとあるではないか」
百枚はあるのではないかという厚さの封筒を
「いえ、以前にその中身がすり替えられていたんです。白紙の紙の
「はっ……」
顔色を変えた侯爵は、あわてて中身を取り出した。中から取り出されたのは、
「……いや、本物だ! 抜けた
――その瞬間だった。
明らかに『風』として吹き込んできた
バリン! バリバリバリン!!
「なっ、なんだ!?」
四方の壁に掛けられていた無数のランプが突然に割れる。最初は出口の階段近くのそれが
「どうした!?」「
まるで円を
バリン、バリン、バリンバリンバリン――心を追い詰める調子で
「何も、何も見えない!」「いてっ!」「下手に動くな!!」
「だ、誰か明かりをつけろ!
混乱する声が
気が
「な……なんだったんだ、今のは!」
頭皮の全てに
あり得ない異変の発生に警備騎士たちも列を
それも十秒と続かない混乱であったことを、
「うっ!?」
シュッ! と空気を
「なんだ!?」
ゲルド候の腕の中、
「うわ!!」
ゲルト候が書類を抱きかかえようとするよりも早く、書類に巻き付いたムチは、糸を引いた魚を釣り上げるのに似た
地下室の中を、ムチに巻き付かれた書類が飛ぶ。
「き、貴様、何をするか!?」
他の警備騎士と出で立ちは同じだが、明らかに気配が
「――感謝します!」
ゲルド候の
他の警備騎士と同じ白い
かなりの細身、そして
「誰だ、あいつ――」
明らかに見覚えがない背格好をした
そんなざわめきも楽しげなものとして聞くように、この場でただ一人余裕を持っているその細身の警備騎士が、
「その金庫をどう開けようか
「お前、誰だ!」
小隊長にして
どこか
「ふふ――」
突然、小柄な警備騎士の姿に水平に走る無数の線が走り、人の
「奴は、予告通りに現れなかった――その認識は今、この場で速やかに
人の輪郭を失いつつある姿が、声と共に大きく
刀身に絡みついたマントをリュズナーが振り払い
「それではみなさま、大変長らくお待たせいたしました!」
美しい
美しい
小さな作りの顔は大人びてはいない。愛らしい、という表現が似つかわしい大きな目。アイスブルーに彩られた瞳がきらきらと輝き、なにより印象に残るのは、その目を
「くっ……!」
もう何度現場でお目に掛かったかわからない少女の姿を必死に見ようと、頭の奥に走った痛みに顔をしかめながらアイガスは目をこらした。
よほど集中して少女の顔を見ていないと、その顔立ちが脳に染みこまない――覚えたと思った先から、記憶から顔の印象が
「私のことをご存じない方もいらっしゃるようなので、ここで改めてご
翼を広げるようにスカートの裾を持ち上げ――うやうやしく膝を曲げて身をかがめ、少女――快傑令嬢と呼ばれた彼女は、その場の全員に対して見事なカーテシーを
「快傑令嬢リロットはただいま、みなさまの前に参上させていただきました!」
明るいソプラノの声でそう歌った快傑令嬢――リロットと名乗った少女が、レンズの向こうのいたずらげな
「よくも現れたな! いつもいつも――快傑令嬢などと自分で名乗りおって!
「まだちょっぴり恥ずかしいです――しかし、もう
リュズナーが左腕を上げる。整列していた騎士たちがざっと広がった。壁を背にする少女――リロットを扇の形に
少女にとっては逃げる
「ここで
「私は一人として、
「――消された
「それは――本当にごめんなさい!」
「許すものか! かかれ! 今夜こそこの娘を
リロットを囲んだ五人の警備騎士たちが一歩、じりり、と間合いを詰めた。
それでも
「俺も行きます!」
「おい、やめろ」
隣の若い長身の若い騎士が
「あんなご令嬢に合法的に抱きつけるなんて
「危ないぞ、あのムチは」
「ムチを振るったとしても打てるのは一人です! 誰かが
「そんな簡単にことがすんだら、とっくに
「一斉にかかれ!」
若い騎士を
群がるようにして向かってくる騎士たちを前に、リロットは
「ひぃっ!?」
少女に飛びつこうとした六人の全員がそれぞれに悲鳴を上げる。ムチの先端が
「ぎゃっ!」「ぐぇっ!」「ああんっ!」「げふっ!」「ひゃうんっ!」「ごぁっ!」
ムチの一撃は
ズシャア、と音を立てて騎士たちが床に転がり、振り抜かれたムチの先端が生きている六匹の蛇のように
「ちくしょう! まただ! だから止めたのに!」
床に倒れて
「これでまた二人が目覚めちまった! そのうち変な店に出入りするようになって身を持ち
王都警備騎士団、特に王都の全区域において事件が起こった際、真っ先に急行する
「いい加減、そのムチで俺たちを
「言いがかりです! このムチにはそんな効果はありません!」
「俺たちが、小娘にムチで打たれたら目覚めてしまう変態の集まりだっていいたいのか! 許せん!」
「そんなことはどうでもいい!」
リュズナーが
「一人の小娘に何を手間取っているんだ!
転がって
リロットもそれに応え、刀身が納まったレイピアの
そんなものは、少女は帯びても差してもいなかったはずだ。今まで影も形もなかったものが、いつの間にかそんな所に――。
「何人来ようと私は負けません! 一度にかかって来られなさい!」
「望み通りにしてやる! 行け!」
三人の騎士が呼吸を合わせ、一度に突きかかった。
それに応じてリロットが動いたのは――またもや、前!
冷たく
「いてっ!」「あだっ!」「ひでっ!」
三人の騎士の手から三本の剣が叩き落とされ、加えられた腕の打撃に悲鳴を上げて騎士たちは倒れた。
一呼吸のうちに少女から六つの電光の
ぶん、と少女はレイピアで空を
「つ……強えな、相変わらず!」
アイガスは
「は、はは、早く書類を取り返すのだ!」
ようやく割り込む
「その書類は、絶対に外に
「そうですか。では、お返しします」
「は?」
素直すぎる返答に一同が
「私の目的は、この書類を息苦しい箱の中から出してあげること――」
――そうだ。確かに、予告状にはそう書かれていた。
『書類をいただく』とは書いていなかったはずだ。
書類を持った少女の手が、勢いよく上げられる――それを見たゲルト侯爵の、金属同士をこすり合わせたような悲鳴が地下室に響き渡った。
「目的は達しました――これは、そっくりそのままお返しいたします!」
その手が広げられ、高い天井に届くほどに放り投げられた数十枚の紙が、
心が割れているかと思える
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