第17話 最後。

 寺田さんは一息ついた。

 「……女子グループが、彼女をいじめているときの表情は今でも忘れられない。

 たまに夢で見るの。あのときと全く同じ状況が。

 目の前に彼女がいて、ちょっと離れたところに女子グループがいる。彼女は頭から水を掛けられたみたいに、全身ずぶ濡れで、女子たちはそれを見て、笑っている ……いや、少し大きめのカーディガンの袖で口を抑えながら、笑いをこらえているの。

 本人たちはこらえているつもりなんだろうけど、身を寄せ合って、肩は震わせながら立っている。そして多分、毎朝、時間をかけて作っている、偽りの大きな目がなくなるくらい細めてるの。」

 寺田さんは、さらに続けた。

 「私は彼女に声をかけたいのに、声が出なくて、彼女の肩に触れたいのに、動かない。夢の中で金縛りにあうの。さっきも同じような場面があったでしょ、桃太郎が鬼に攻撃している時、手下の動物たちが少し離れたところで、笑ってる場面。

 練習のときは、いつも胸がキュっと締め付けられる。本番で上手かみてにはけてから見ていると、近くに鬼がいて、下手しもて側に桃太郎、その奥に動物たちがいる。人が違うだけで、状況がそのまま夢とリンクするの。本当に毎回、泣きそうになる」

 寺田さんの話す表情は、普段のそれとは違い、怒りや苦しみ、悲しみや後悔が入り混じっているように見え、僕からは、今、どんな気持ちなのかを計り知ることはできなかった。

 「……私、この作品を最後にしようと思ってるんだ」

 「えっ! どうして?」

 「うーん、生意気だけど、限界感じちゃった! もうお腹いっぱいだ~」

 さっきとは打って変わって、朗らかな表情になった。寺田さんの表情はコロコロ変わる。僕はそこが不安になった。

 「……辞めちゃダメだと思う……」

 「え?」

 人の人生に首を突っ込むような真似をしたくなかったけど、つい、口を出してしまった。寺田さんは不意を突かれたような顔をしている。

 僕はしっかりと寺田さんの目を見て言った。

 彼女のどこに届くか分からない。どこへ響くか分からない。

 だけど僕は、彼女のどこかへ届くと信じて。どこかに響くと信じて。

 寺田さんの目の奥の奥まで、見つめた。

 「絶対に辞めないほうがいい」

 「やだなぁ~本多くんは。そんな怖い顔して見つめないでよ。イケメンが台無しだよ」

 「今日、この劇を観て思ったんだ。寺田さんは絶対に、続けたほうがいいなって」

 「どうして?」

 「……伝わったんだ、寺田さんの心が。〝やめて!〟のあの一言で伝わった。寺田さんのことが心配で、上の空だった僕の意識を一言で持っていった、あの力。惹き込む力を出しているというか。

 言葉って気持ちを伝えるためには本当に簡単なものだと思う。でも、簡単だからこそ、心を込めないと、相手にしっかりと分かってもらえないものだとも思う。気持ちのこもってない言葉を投げかけられたとしても、相手の心には届かないし、伝わらないと思うんだ。

 僕は寺田さんの言葉に心を込めないと伝わらない強さを感じたから。だから、辞めないでほしいなって思う」

 僕は言い終わると、ふと、冷静になった。ずっと寺田さんを見つめていたことに気づき、途端に恥ずかしくなって、恥ずかしさを悟られないように、視線を舞台の方に向けた。こんなに長い時間、人の目を見て話すのは最近ではあまりなかったように思えた。

 二人を静寂が包む。換気扇の音もいつの間にか聞こえなくなっていた。

 すると横から鼻をすする音が聞こえてきた。驚いて横を見ると、寺田さんが泣いている。熱中しすぎて、気に障るようなことを言ってしまったのかもしれない。もしかしたら、余計なお世話をしてしまったのか。

 「ご、ごめん。偉そうなこと言ったよね……。今言ったことは全部忘れて」

 「ううん、全然。むしろ、ありがとうだよ」

 鼻をスンッとすすると、赤く腫らせた目をこちらに向けながら寺田さんは言った。

 「やっぱりさ、言葉の力ってあるよね。勇気づけることもできるし、かといって傷つけることもある。使うのは簡単だけど、使い方も大事だよね。

 ……私、これからも演技を続けるよ。

 言葉の重さを知った分、これからも言葉で何か届けられる気がする。役になりきったって、言葉を発するのは私。私の発した言葉で見ている人が何かを感じ取ってくれたら、嬉しい」

 ガタっと突然立ち上がったと思ったら、んん~と大きく背伸びをした。よし、いっちょやったりますか~と呟いた。

 僕は、何それ、と聞くと、あ、聞こえちゃった? 私の決意表明? と答える。

 僕はもう一度、何それ、と言って、笑った。

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