第12話 電車に乗り、そして、歩く。
翌朝六時三〇分。冬の朝ほど暗くはないが、それでもやや薄暗い。僕は布団から起き上がった。今日の体調は良くもなく、悪くもなく。普段とは何ら変わらない日常的な朝だった。
スマホを手に取り、電源を入れる。めざまし時計を持っているから、スマホのアラーム機能を使ったことがない。めざまし時計も、次の日が重要な日以外あまり使わないから、どれくらいの音量で、どのような音が鳴るのかすら、すぐに思い出せない。
スマホが手の中で震える。連絡が入っていた。
「おはよ! もう起きてる? 遅れたら、ただじゃおかないからな~」
送信時間は六時二分。女子は朝が早い、と聞いたことがある。朝はたくさんのことをやらなければいけないらしい。相応の時間がかかるのだろう。男は歯を磨いて顔を洗えて、着替えればすぐに外へ出れる。女子は大変だと
「おはよう。今起きた。」
僕はいつもの調子で返信する。変に浮ついていると思われたくなかったからだ。返信はすぐにきた。
「本多くんはいつも通りだね! じゃあ八時に駅ね! あとで!」
まだ六時四〇分だ。駅までは三十五分で着く。七時を少し過ぎて家を出ても間に合うのだが、七時に家を出たくなった。
女の子を外で、たとえ一分でも待たせてしまうと、失礼だ。待ち合わせ場所に来るまでに支度に準備がかかっているのに、さらに待たせてしまうのは申し訳ない。支度に時間がかからない男が先に待っているべきだろう。
準備は前日に済ませてあるから、あと二十分あれば、家を出られる。PASMOにチャージしなければいけないし、途中で何があるか分からない。そのような言い訳を自分の中で作り、決して寺田さんと出かけることへの期待に胸を膨らませているわけではないと、自分に嘘をつく。
駅までは自転車で向かう。駅の周りにはたくさんの駐輪場がある。休日はどこも満車でとめられないのだが、平日で時間もまだ早いため、どの駐輪場もまだまだ空きはあった。
百円で八時間駐輪できる駐輪場にとめる。一番長くとめられる駐輪場がここだったから、少々駅から遠いのだが、高校生の体力と財布事情を考えればここしかない。
腕時計に目をやると、まだ七時半だった。三十分で駅についてしまったのだ。自己新記録を叩き出していた。いつもより二割増しのスピードで漕ぎ、信号にも引っかからなかったおかげである。PASMOにチャージするのもそこまで時間はかからないし、朝の七時半だから書店はもちろん開いていない。
開いているのはカフェチェーン店くらい。店内ではスーツ姿の人たちが多い。私服姿の若造がゆっくりできそうな空気感でもない。時間をつぶせそうにない。困ったが、とりあえずチャージをしてから考えようと思った。
チャージする機能がついた券売機がある場所へ向かう。徐々にではあるが、人出も多くなってきた。平日の、朝の日常が動き出している。自分も今、その日常というシステムの中の一員になれていることが、少し嬉しくなった。
券売機のある場所へ着くと、見慣れた後ろ姿が目に入った。
「あれ、寺田さん?」
「お、本多くん。早いね」
「寺田さんこそ」
「いや~…… 昨日偉そうに言ってたけど、私、PASMOにチャージし忘れてて……」
寺田さんは申し訳なさそうに、照れながら話した。その姿がものすごく愛くるしかった。僕の左胸が心地よく締め付けられる。
「僕もチャージしてなかったから。事前に教えてくれてありがとう」
素直に礼を言うと、寺田さんは驚いたように目を見開いた。なにか変なことを言ったのかと不安になると、
「本多くん、ちゃんとお礼を言えるんだね……」
としみじみと言われた。寺田さんから見た僕は一体、何歳児、なのか。
「あ、ごめんごめん! 本多くんもチャージしていいよ」
「う、うん」
寺田さんと僕は待ち合わせ時間よりも一五分も早く電車に乗った。
電車に乗るのは久しぶりだった。最寄りの駅前は決して大きくはないが、中心街に行かずともある程度の物は駅前でそろえることができるため、わざわざ電車に乗って買い物へ行くということはあまりなかった。
車内に吊るされている週刊誌の広告は、乗客の目を引くために政界のスキャンダルを太字で目立つようにしてある。公共の場所で、日本のスキャンダラスな一面を垣間見た気がして、何となく落ち着かなくなる。外の流れる景色を見ながら、気持ちを落ち着かせた。空は快晴だった。
目的地を知らない僕は、寺田さんにただついていくしかなかった。乗り換えを二回して降り立った駅は、デパートや商業施設がなく、眼前にはロータリーと数台のタクシーが停まっている、のどかな風景が広がっていた。
僕はてっきり大きなショッピングモールに連れていかれ、買い物に無理やり付き合い、荷物を持たされるのかと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
「よし、行くよ。あともう少し歩くからね」
寺田さんはスタスタと歩いていく。僕は置いて行かれないように必死に後を追う。
十分ほど歩くと、「はい、これ」と言って僕に一枚の紙を渡した。
「なにこれ?」
「演劇のチケット! 一緒に見ようと思って。この劇、すごく面白いって噂なんだよ?」
手にしたチケットをよく見てみると、『桃太郎 外伝』というなんとも言えないタイトルが中心に横たわっていた。時々、小説や映画で見る、タイトルからつまらなさが分かる作品が存在するが、これは明らかにそれに当てはまる気がした。
「つまらなそうって思った?」
寺田さんは、映したものをすべて吸い込んでしまいそうな瞳に、僕を映して言った。
「つまらなくないからね。絶対に。保証するよ」
寺田さんは真面目な顔をして言った。僕に有無を言わせないようにはっきりと言った。根拠はどこにあるのか分からない自信に、僕は圧倒され、「う、うん」とだけ言った。
寺田さんはニコっと笑って、「よろしい」と満足げな表情になり、再び僕の前を歩き出した。
五分ほど歩き、寺田さんは立ち止まった。
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