第8話 彼女の家。
「ただいま~、あれ、本多くん? どうして、いるの?」
「おじゃましてます」
「本多くんがプリント持ってきてくれたのよ?」
「え、わざわざ? 嬉しい、ありがとう!」
寺田さんは頬に手を当てて、目を細めながら喜んでいる。
僕は「ぶりっ子」というものが、元々嫌いだ。
小学生のとき、クラスに一人、典型的なぶりっ子がいた。
身長が高く、顔は小さい。目は大きく、頬はうっすらと桃色で、唇はいつも艶々していた。服装にも気を遣っていたようで、余分な肉がついていない、少しでも触れたら折れてしまいそうな、すらっと伸びた脚がより映えるようなスキニーパンツを履き、小学生には見えないような大人っぽい恰好で学校に登校してきた。
他人の容姿に対して普段から興味を持たない僕が初めて「テレビに出ている人みたい」と思うほど、その子は黙っていれば、とても可愛かった。
中学生向けの雑誌の読者モデルをやっていて、雑誌に自分が載った日には、机の上に自分が載っている雑誌と過去に自分が掲載された雑誌を何冊か広げて、友達に、この時は…… とか、この洋服は…… などと、男の僕にはもちろん、周りの女子も恐らく良く分かっていない単語を得意げに大声で話していた。
そして、頭が良くてスポーツが出来て、かつ、顔がいい男子にはミルクキャラメルのような甘い声で、今日、放課後空いてる? とか、私の家に新しいゲームがあるんだけど難しくてクリアできないから一緒にやらない? と毎日のように誘っていた(ちなみに、なぜか僕も何回か誘われたことがある)。
雷が落ちた時は、授業中でもお構いなく悲鳴を上げ、休み時間になったらお目当ての男子の席の近くに行って、「怖かったねぇ。おへそが取られちゃう~」とミルクチョコのような声で話していた。
中学では芸能活動に専念したいからと、名前の聞いたことの無い中学に進学したそうだ。今はどこで何をやっているのか、まだモデルをやっているかもしれないし、やってないかもしれない。僕にはどうでもよくて、ただ「強烈なキャラを持つ女子」というラベルを貼って、その子の人生を勝手に完結させていた。
その子はよくクラスメートに褒められたり、認められたりすると「え~、嬉しいぃ」と言いながら、頬に手を当てて、目を細めながら喜んでいた。
僕は寺田さんの喜び方を見て、一瞬だけ、ぶりっ子が脳内をよぎった。しかしすぐに、ぶりっ子に抱いていた感情とは対極に位置する感情が押し寄せてきた。ぶりっ子に対する今までの拒否反応が、すべて炭酸の泡のようにシュワシュワと弾けて、僕の内から空気中に飛んでいった。
見惚れていると、「ん? どうしたの? 私の顔に何か付いてる?」と真面目な顔をして聞かれたため、「なんでもないよ」と言いながら、目を逸らした。
寺田さんは、そのまま僕の横に座った。意外と近くて、ドキドキする。学校で女子と横並びで話をすることはないし、しかも、広い部屋に美女二人に僕一人。ここで緊張しない男などこの世にいるのだろうか。緊張しないとしたら、よほど鈍感な奴なのだろう。
寺田さんはよく話し、よく笑い、よく人の話を聴いた。話すときは目をキラキラ輝かせながら話す。話を聴くときも相手の目を真剣に見てうなずく。笑うときは大きい眼がなくなったのではないかと思うほど、細めて笑う。表情も豊かなのだが、寺田さんを見ていると、目が特に豊かだった。
気が付くと十八時を少し回っていた。僕は人の家にあまり長居すると失礼に当たると思っていたため、友達と遊ぶ時も、友達の家には入らなかったし、入ったとしてもそんなに長い時間お邪魔していたことが無かった。そのためいつも時間を気にしながら相手の家に居たため、他人の家=気分が落ち着かない場所、という印象だった。
だけど寺田さん家は、時間を気にせずに居ることができた。
「そろそろ家に帰るね」
「そうなの?」
「うん。家に帰って宿題やらないと」
「じゃあ、私の部屋でいっしょにやろうよ」
「いや、でも……」
寺田さんは僕をなかなか帰してくれない。まだまだ話し足りないのは山々なのだが、ここで帰らないといつまでも帰れなくなりそうだった。自分の話したい気持ちに針を刺し、破裂させた。
「美緒、本多君が困ってるでしょ」
「だって本多君、面白いんだもん」
僕は今まで「面白い」と言われてきたことが無かった。どっちかと言うと、いじられて笑われる役目を背負ってきた。だからきっとみんなは、いじられている自分を見て面白がっているわけで、決して自分自身そのものが面白い、というわけではないと思っていた。
自分はつまらない人間だと思って、十年以上生きてきた。そんな自分のことを面白いと言ってくれる人がいることを知った。寺田さんがお世辞で面白いと言ってくれたとしても、僕にはその一言で充分、心が温かい気持ちで満たされた。
お邪魔しました、と言って、二時間前に開けた門をふたたび開け、日常に戻った。自宅に帰る足取りは軽く、すでに暗くなっているはずの景色が気のせいか、ほんのり明るく感じた。
きっと、家々の明かりが降り注いでいるからだ。
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