第7話 彼女は面白い。
なんだかわからないまま、心の中に嵐が下校前に吹き荒れ、収まったと思ったらまた嵐がやって来た。次は比べ物にならないくらいでかい。
僕が今まで訪れたことがないような、きっとこれからも訪れることがないような見るからにお金持ちの、一般人は立ち入ってはいけないような門の前に、僕は立っていた。
「………」
言葉を失うほどの荘厳な佇まい。家の前にはサッカーコートくらいの広さの庭があり、門から家までまっすぐ伸びている真っ白な石畳の道。その中間地点には、輝くほど白い大きな噴水が鎮座していた。訪問者に無言の圧力をかけるような光景である。
あの子に会うからドキドキしているのか、この敷地に足を踏み入れる自分を想像してドキドキしているのか分からない。
とにかく、担任から渡されたプリントをあの子に渡さなければいけない。それが僕のミッションだ。渡したらすぐに帰る。失敗は許されない。学校からここまで自転車を漕ぎながらずっと頭の中でシミュレーションしていた、人様の家に失礼するときに使う、失礼のない言葉たちをもう一度反芻し、インターホンを押した。
「……はい」
「二年五組の本多です。先生から、頼まれたプリントを寺田美緒さんに渡しにきました」
先生から、を気持ち、強調しながら言った。ここまでシミュレーション通りだ。
「すみません、美緒は今出かけてしまって。もしよろしかったら家で待たれますか?」
家で待つ…? そんな選択肢はシミュレーションにはなかった。
「いや、あの、プリントを渡すだけなので! ポストに投函させていただいて帰りますので!」
「そう固いことおっしゃらないで。さあ、どうぞお入りください」
そう言われたらプリントをポストに入れて、さようなら、というわけにはいかなくなった。
状況を飲み込めず、ただドキドキしていると、重量感のある門が自動で開き、僕を受け入れてくれた。庭は丁寧に芝刈りがされていて、ゴミどころか落ち葉すらも落ちていない。完全に異世界である。
もしかしたらあの子は、財閥令嬢なのではないか。いや、実はどこか遠い国のお姫様で日本にはお忍びで来ているのかもしれない。
そんな妄想を膨らませていると、門の荘厳な佇まいに負けないほどの玄関の前にはとても上品そうな女性が立っていた。
「いらっしゃい。あなたが噂の本多くんね?」
「はい…あの、噂っていうのは…?」
「その話は中でしましょう。どうぞ」
家の中は平凡だった。いや、広さはもちろん平凡ではない。ただ、シャンデリアが天井からぶら下がっていたり、床一面、大理石だというわけではなかった。家の中の空気感は僕の家の中と何ら変わらなかった。外観と中身のギャップに驚き、人間のようなものだと、我ながら寒いことを考えているなと思い、それ以上は家の中を見回すのをやめた。
テーブルにあの子の母親と対面になって座った。改めて見ると、本当にきれいで美しい方だった。国民的女優と呼ばれる方々にも引けを取らないほどの美貌だった。実際に目の前にいるこの女性が、本当に実在しているのか分からなくなった。既にこの家の前に来た時から現実世界ではない気がしていた。
顔を動かさず、目だけ動かして周りを見た。家の中に高級そうな骨とう品や絵画は飾られていない。やっぱり、家の中は現実に引き込んでくれる力がある。
「美緒がね、本多くんのことよく話しているのよ。面白い子がいるって。」
「僕のことをですか?」
まさか寺田さんが家で僕のことを話しているとは思わなかった。
話を聞くとどうやら本屋でたまたま見かけた日かららしい。喫茶店で僕が漫画を食い入るように読んでいた姿を見て、かの有名な「考える人」が、漫画というものを初めて目にして、血眼になって読んでいるようだったこと。
その後、僕が寺田さんを見て驚いたときの目が、西川きよし並みに開いていたこと。
その喫茶店で忘れていった財布を次の日に渡したら、急いで中身の確認をしていた姿が可愛かったこと。
お礼を言われたとき、意外と僕の声が大きくてびっくりしたこと。
今日まで僕のことを、家で何かといじっていたらしい。でも話を聴くと、いじり方に工夫を凝らし、人の気持ちを嫌にさせないいじり方だった。
「寺田さんって、面白いんですね」
「そうね、家の中ではずっと冗談言っているのよ。どれもくだらないんだけど、時々、爆弾投げ込んでくるときもあるわ」
その話を聞くと、寺田さんの学校のときの姿からは考えられなかった。教室では誰かと一緒にいるわけではないが、だからといって浮いているわけではない。その景色になじむように、主張しないように、だけど存在感を出しながら控えめにいる人だからだ。
僕は、とても面白い人だと思った。
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