第5話 黄昏たい。
それからは言葉を交わして、仲良くなった。めでたしめでたし――
とはならず、財布の一件以来、彼女とまだ話せてはいなかった。
僕は席が一番前で、彼女は一番後ろ。班になるときはもちろん一緒にはならないし、僕が教室の後ろに行く用事がそもそも無いから、必然的に会話ができなかった。
彼女は相変わらず友達を作る気がないらしい。色々な人と話をしていて、グループを作ってその人たちだけのコミュニティで完結させるような様子はない。
話しかけられたら楽しく話すようで、他のクラスメートと話している姿を見ると、とても楽しそうにしている。意外と明るい人らしい。多分、僕から声をかければ会話をしてくれるのだろうけど、僕にそんな勇気はないし、下手に近づきすぎて嫌われるのが嫌だという、これまた童貞で女子慣れしていない弊害で話しかけられなかった。
しかし、一度だけ話しかけるチャンスがあったことは確かだ。そのチャンスが生まれた場所は高校近くの河川敷。
僕は山岳部に入っていたのだが、週一回の活動のため、学校が終わるとすぐ家に帰ることが多く、ほぼ帰宅部だ。平野は逆方向だったし、他の一年生のときに友達だった奴らも逆方向だったため、下校は必ず一人だった。
学校帰りの他校の中高生と河川敷で一緒になるのだが、男女で横並びに仲睦まじく走ったり、二人乗りしてキャッキャしているカップルももちろんいる。毎日青春の風が爽やかに吹き込むのどかな風景にそぐわないほどの猛スピードで僕は自転車を漕ぎ、その風景を切り裂いてやろうと躍起になっていた。
ある日、日直の仕事と、掲示係の大きな仕事である、畳一枚くらいの大きな模造紙に時間割を書いていた。
掲示係は二人いるはずなのに、もう一人が誰か分からなかったから、結局一人で書くことになった。すでにゴールデンウィークを終えて、さらに一週間くらいたった日だというのもあって、時間割はもうみんなの頭の中には入っている。
それなのに担任は「ほんさん、時間割そろそろ書こうか」と言ってきた。みんな、時間割はすでに頭に入っているから書かなくてもいいと思いますよ!なんて言えるはずもなく、早く家に帰りたかったのに、と思いながら丁寧な字で時間割を書き上げた。
気付くと授業終了時刻から一時間経っていた。早く帰宅することを諦めて、たらたらと教室を出た。吹奏楽部の重厚で、だけど温かくなるような音。野球部の喉が擦り切れるのではないかと心配になる声出し。ダンス部の心が弾むようなポップな音楽。廊下に反響する、他の教室に残っている生徒の笑い声。僕は畑違いな場所に来てしまったのだろうかと錯覚した。
駐輪場の中から自転車に乗って学校を出る。この行為は危険だということで校則違反になっているのだが、駐輪場が無駄に広いから守っている人を見たことがない。先生もこの行為に関しては目をつむっているのだろう。
いつもの河川敷が近付いてきた。授業終了時刻にしては遅く、部活動が終わる時間にしては早い、何とも中途半端な時間だったから他校や自校の生徒は少なかった。この道はゆっくり走る道ではない。ゆっくり友達と会話しながら自転車を漕いで、さも青春映画の主人公気取りするのは自惚れだと思っていた。
ただ今日だけはゆっくり走りたい気分だった。夕暮れを背に黄昏たかった。
ぼけーっとしながら河川敷を走っていると、横から一台の自転車が追い抜いて行った。自転車を漕ぐ制服を見ると、明らかに僕の学校の制服だった。自転車はスポーツタイプの、タイヤが心配になる程細いものだった。自転車の軽さを見せつけるかのように、水を得た魚のようにすいすいと自転車を縫うように追い抜いていく。
うちの学校の女子にあんなに本格的な自転車を乗り回している子がいたのかと思っていると、フレーム部分に貼ってあるシールが目に入った。蛍光緑を基調とした自転車マークのシール。あれは僕の学年の色のシールだった。ハッとして後ろ姿を確認すると、もう遠くの方に小さくなっていたが、僕に財布を渡して列の後ろに戻っていった綺麗な黒髪の彼女の後ろ姿、そのままだった。
急いでペダルを強く踏んで追いかける…という勇気もなく、あっ、あ……という心の声か、口から漏れ出した声なのか、自分では分からない音が、確かに耳の奥でこだましていた。
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