第3話 休日の書店。

 彼女の名前は、寺田美緒。黒髪の長髪で不自然なほど自然に「天使の輪」ができている。ゆでたまごのようにつるっとした肌に、上唇の右側に小さなほくろが一つ。鼻はすらっと立ち、目はぱちりと大きい。だけど上品さや近寄りがたい印象はなく、親しみの持てる容姿をしている。

 クラスメートに話しかけられれば、笑顔で応えるし、気さくな性格らしい。

 自称・情報通の平野によると、春に転校してきたばかり。どこか遠くから来たみたいだが、場所は分からない。そのため、グループ作り以前に見知った顔さえもいなかった。クラスメートと言葉は交わすものの、一週間経っても友達を作ろうとはしていない。不思議な人だ。

 

 ある日、僕は漫画を買うために、近所にある「日本最大級」というキャッチコピーが人々を納得させるほど大きな書店に行った。久しぶりに発売される最新刊を楽しみにしながら、漫画コーナーに足を向ける。書店に来たら漫画コーナーだけ見て帰る。だから、いくら大型書店といっても迷うことはない。最短ルートのナビが脳内で開始される。

 お目当てのタイトルが売っていたから、それを持ってレジに向かった。レジの近くに芸能人の写真集コーナーがある。僕はこのコーナーが苦手だ。ずっと自分を見てくる気がするし、写っている人の強くまっすぐな視線に誘惑されているような気がして、毎回変な気持ちになる。ここ最近気づいたのだが、アイドルの写真集が大ヒットしているらしい。物好きなおじさんが何冊も買っているから売れているのだろう。僕の知っている世界とは畑違いな世界だと思い、前を通り過ぎる。

 四八四円を支払い、書店をあとにする。すると、参考書コーナーに見知った顔を発見した。ほんの数秒間見ていると、彼女が僕を見た。急いで僕は目を逸らし、足早に出口へと向かった。 

 「よお」とか「おう」とか、手を振ることはしなくても、せめて会釈ぐらいすればよかったと、僕は後悔に苛まれた。僕は童貞か。いや、童貞なのは絶対に間違いがなくて、女の子と手すら繋いだことがない。異性を前にすると自分が自分じゃなくなり、頭の中が真っ白になる。もう高校二年生だ。僕はいつまで思春期を拗らせているんだろうか。

 家までの道のりを歩きながらさっきの状況を振り返ってみる。僕を捉えた彼女の表情は「ナニミテンダコイツハ」という男の心をえぐるような、非常に殺傷能力が高いものではなかった。しかし、明らかに困っていた。僕の十六年の経験から推測するに「え、私が知っている人? えーっと……誰だっけ?」の時の顔だ。

 それもそれで僕を多少なりとも傷つけた。その傷跡に後悔が染み渡り、僕の心に広がっていく。

 なんだか喉が渇いた。周りを見渡し、喫茶店を見つける。僕は喫茶店という場所に立ち入ったことがない。とても大人な場所で、落ち着いた人だけが立ち入れる場所だと思っているからだ。それでもこの状況を打破するためには、水分しかない。意を決して、少し背伸びをしながら喫茶店に入った。

 頼んだオレンジジュースを飲みながら、さっき買った、喫茶店の雰囲気とは場違いな海賊ものの漫画を読んでいると、一人の客が店に入ってきた。

 チリンチリン。

 ドアの鈴の音で僕は現実世界に引き戻された。僕の目の前にはジュースも、後悔も、ない。そろそろ帰ろうと愛用の黒いリュックに漫画をしまい、財布を取り出しレジへ向かおうとした。

 僕の動きはそこで止まった。

 そこにはさっき書店で見かけた(というかがっつり見た)彼女がいたのだ。

 彼女と視線が合う。すぐに目を逸らした。明らかにデジャヴだ。何も見なかったかのように、焦る気持ちを悟られないように二百円を支払い、店を出た。

 一日に二回も、しかもこの短時間に出会うなんて僕の人生の中では類を見ない遭遇率だ。

 彼女が僕の顔を見た時の表情は、書店の時の顔とは違うように見えた。明らかに興味を持っている顔だ。あのときのクエスチョンマークは出ていなかった。彼女も僕と同じように二回も出会うなんて思ってもみなかっただろう。一瞬、元々大きな目をさらに大きくしたが、すぐ、「あ、また会ったね」といつもクラスメートに振りまく屈託のない笑顔を見せた。その優しさの裏にある本心があるのではないかと怖気づづき、声をかけられなかった。

 チャンスをみすみす逃してしまった悔しさもあったが、興味を持ってくれたあの表情を思い出しながら、足取り軽く帰路に就いた。


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