第55話 別れ際

 せっかくの厚意なのなので断るわけにもいかず、崎に勧められるままに、ドデカイ牛乳瓶に入ったミルクをコップ五杯ほど頂いて崎の家を後にした。


 調子に乗って、ガブガブ飲んだのがいけなかったのは、分かっている。

 せめて三杯くらいにしておくべきだったか。


 おかげでゲップが一生分出たような気がした。

 さすがに飲みすぎだろうか、胃がタップンタップンしてる。


 胃は丈夫な方だが、さすがに少し身に応えた。

 牛乳はしばらく飲む気がおきない。

 好物のバナナ牛乳も嫌いになりそうだ。



 外に出てみると、あたりはすっかり日も暮れ、何処の街も同じはずなのに、この片田舎の住宅街に点在する街灯の明かりは心なしか物寂しげに感じられた。


 玄関前で崎とは別れるつもりだったが 崎が「送っていくわ」と言うので「いいよ、一人で駅までくらいなら行けるし」と、断った。


「なんかあんた方向音痴っぽくて心配なのよ」


「まさか、何を根拠に? この時代スマホの地図アプリもあるし、たった今来た道を逆に辿って帰ればいいだけなんだろ」


 僕はポケットからスマホを取り出し、先日ダウンロードしたばかりの地図アプリを開く。


 あれ、スマホの地図アプリに点灯している矢印ってどこを指しているのだ? 


 ん? くるくる回ってるぞ……。


「ああ~あ、案の定」


 崎は、両腕をW字に曲げ『お前は外人か?!』とでもいたくなるような大げさジェスチャーで言葉を態度で示した。


「住宅街抜けるまでがちょっとややこしいから、やっぱ駅まで送って行くわ」


「そ、そうだな、お願いしといたほうがいいみたいだ」


 どうして、崎は僕が方向音痴だということを見抜いたんだろう? 


 自分でも薄々は自覚していたのだが、あらためて彼女に指摘されてそのことに気づかされた思いだ。


 それとも、単に僕ともう少し一緒の時間を過ごしたかっただけ……ってことは無いか?


 クネクネした住宅街を抜け、少し開けた場所に出ると、ほどなくして『Kヶ浜ハマヒルガオ海浜公園前駅』の駅舎が見えてた。


 別れ際、またもや僕の悪癖がでてしまった。


「ああ、そうそう一言いい忘れたけど、『ぽっぽ』もほどほどに……な。何事もやり過ぎは良くないし、勉強にも差し障りがあるかもしれないから」


 崎は、急に顔を真っ赤にし、頭から湯気を出すかのような勢いでまくし立ててきた。


「何それ、ここまで見送り来てくれた、女の子に対しての別れ際の挨拶がそれっ!? 死ね! 百回死ね! いや千回死ね! ボケ! カス! 唐変木! おたんこなす! 将来ハゲ決定! お前のかあさん出~ベソ! ドMの変態ゲス野郎!」


 罵詈雑言冴えまくっていますね。


 ボキャブラリーの数も増えて、いい傾向……ではないですよ、崎姐さま。


「ひとつお聞きいたします。崎お嬢様は『ぽっぽ』一度に何度でもイケるくちですか?」


「万代! あんたねえ、天下の往来でよくもそんな破廉恥な語句を臆面もなく言えるわねえ、この恥知らず!」


 君と、ついでに君のお母さんにそれを言う資格は無いと思うんですが……。


「そのための『ぽっぽ』じゃないのかよ? 『ぽっぽ』は一応二人だけの隠語みたいなもんでしょ」


「うるさい! うんこ垂れ!」


 小学生ですか?


「泥棒猫!」


 猫も哀れな……、猫に罪はありません。


「実質敗訴!」


 全面敗訴よりましだと思いますが?


「干物亭主!」 


 新語でしょうか? それとも『ヒモの亭主』?


「どこのかの馬の骨!」


 僕のことですね。


「フンコロガシ!」


 子孫を残すため、懸命に働く立派な昆虫です。


「イタリアの種馬!」


 意味わかって言っています?


「イワンのばか!」


 純朴で好感の持てる好青年です。


「親の仇!」


 さっきお会いしたがかりですね。


「生きる屍!」


 ゾンビでしょうか?


「お前はすでに死んでいる!」


 前と被っていますが?


「くそビッチ!」


 一応男ですが。


「あんたの事なんてちっとも気にして無いんだからね!」


 おや、ツンデレ娘の照れ隠しですか? 嫌いじゃないですが。


「私以外全て消滅!」


 救いがないです。


「女っ垂らし!」


 むしろ理想です。


「金玉に毛も生えてない癖に!」


 隅々までよ~く、見ていましたもんね。


「嫌い! 嫌い! 嫌い!」


 逆に、好き! 好き! 好き! にしか聞こえません。


「もう二度とあんたの顔なんか見たくない!」


 綺麗な大人の女性に言われてみたいです。


「アバズレ!」


 だから僕は男ですって。


「ハア、ハア、ハア……」


 そろそろネタア切れか、崎の息も上がってきたようだ。


「じゃあな、送ってくれてありがとな。また明日」


「おととい来やがれ!」


 ――明日は普通に授業受けていいですか?


 崎はまだ何か言いたげだったが、さすがにこの辺で切り上げないと、家に着くのが真夜中になってしまいそうだ。

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