第54話 出雲くんに捧ぐ

「ところで、宮は誕生日いつだ?」


「ええ? 普通に二月二十九日だけど」


「二月二十九日ねえ……へっ? それ全然普通じゃないでしょ! うるう年生まれなの?」


「だからお母さんも年取らないのかなあ? そんな訳ないか。ああ、私のお母さんも偶然にも私と同じ誕生日。つまり二月二十九日生まれなの」


 でか! さっき無双マミーが「歳を取らないのよ」とか「追い越される」とか言っていたのはこのことか。


 一応、裏付けがあっての発言だった訳だ。


「僕は三月一日生まれだ。偶然にも君の誕生日の一日後って事になるな」


「へえ、なんか奇妙な偶然ね」


 僕の立場から言わせてもらえれば、不気味なとか奇々怪々な、とかのほうがしっくりくるんだが……。


「なら、一日だけ年上の姐さんっことで、崎姐さんとお呼びするのはどうでしょう?」


「なんか任侠っぽいっていうか、浮世離れしていて居心地が悪い感じ」


「じゃあ……オナちゃん」


「あんたまた喧嘩売るつもり?!」


「ウソウソ。冗談!冗談だって!」


「それはそうと、あれのこと……」


「アレって?」

 崎は何やら急にモジモジしだした。


「アレといったら、アレのことに決まってるじゃない?!」


「もしかして、オナニーのことか?」


 崎の頬が少しピンク色に染まった事を見逃さなかった。

 おしっこでも漏らしそうに足のかかとを浮かせたりして気恥ずかしそうに振る舞う。


「オナ……ニッ……っていうのはちょっと抵抗がある。何かもっと可愛らしいく、女の子っぽい言い方ないものかしら?」


「そんな事、どうでもいいじゃないか? 通常日常会話で頻出する言葉じゃなだろうし」


「そうはいかないわよ。あなたにあんな場面を覗き見られてから気になってしょうがないのヨ! 女の子の口からオナ……なんて言えるわけ無いでしょう!」


「はて? その口から何度も聞いているような気がしないでもないんですが……?」


「聞き間違えよ、それは! それでなきゃ、あなたの記憶違い!」


 この期に及んで往生際が悪い子だ。


「例えば?」


「例えば……? んん……『天国まっしぐら』とか?」


「なんじゃそりゃ」


「じゃあ、『出雲君に捧ぐ』とか?」


「出雲限定かい!」


「『愛の逃避行』はロマンチックだと思う」


 どこにそんなロマンチック要素ある?


「昼ドラのタイトルみただな」


「『リラクゼーション・ホット・タイム』なら?」


「長いな」


「 略して『リラホッタ』では?」


「可愛くまとめたつもりだろうけど元からの乖離が激しいな」


「『フィンガー・スリスリ・ホット・スポット』なら?」


「前より長くなってるし」


「…………」


「早くもネタ切れか?」


「『セルフ・サティスファイ』はどう?」


「これも長いな」


「略して『S・F』ってのも……? 多分ダメよね」


 ようやく分かってきたらしいが、まだまだ崎の迷走は続く。


「『欲望のボルケーノ』は自信作」


「当初の目的、可愛いはどこ行った?」


「『セレブ・サティスファイ』なら?」


 くぅ……。なんというネーミングセンスの欠如。

 僕の詩的センスににも負けず劣らずってとこで、あいこだな。


「セレブを頭に付ける理由がない。いったんサティスファイから離れよう」


「『お豆クリクリ』ってどうよ?」


 期せずして、“栗と栗鼠派”であることが判明。


「あまりに直球勝負過ぎませんか。人前で口に出すのもはばかられます」


「『アイラブ・Pちゃん』、ならカワイイと思う」


 Pはプッ〇ーとP(ピー)音のダブルミーニングってとこがキモか?


「御姐さん、本を沢山読んでる割に言葉の選択は不得なのかな?」


「うるさいわね、この……」


「ええ、ええ『甲斐性なし』の『豚野郎』ですから」


 崎は唇を噛みしめ、芯から不本意で悔しそうな面持ちでこちらを睨んできた。


 さすがに、僕もいたたまれなくなって助言をしてやる。


「自分でシテル時にどんな感覚になる? ほら、女の子のそれは僕ら男には分からない世界だから」


「その時は、何て言えばいいんだろう……ふわっ、として……。躰全体に電撃がはしって、天に昇るようなピクンピクンと脈打つような時もあれば……。反対に地の奥底に落下していくような時もあって……、気を失うくらい気持ち良くって。イク瞬間は躰がこのまま壊れてもいいて思えるくらいに昂ぶって、それでいて全身がぽっぽするっていうか……」


 本気で、あの時の感覚を想像しているらしい。

 それは、それでこっちもドキドキしてきたぞ。


「じゃあ『ぽっぽ』でいいんじゃね?」


「『ぽっぽ』ねえ……、それいいかも知んない。うんうん、それカワイイかも」


 かわいいかどうかは別にして、やっと落ち着きどころが見つかったようでやれやれだ。


 躰はお互い大人と変わらないくらいに成長した姿にはなったとはいえ、心はまだまだ子供のまま。

 いや、子供に毛の生えたようなものか?


 そうんなどうでもいいやり取りをしているうち、気づくとあっという間に時間が過ぎていた。


 この部屋で起こった珍妙な出来事は、将来トラウマになること確定だろう。

 

 互いが互いの心の奥底にしまい込んで、できれば一生封印してしまいたいのが僕の……そして崎の共通認識ができあがっていることを望む。


 可能であるなら、何らかの超常現象にでもすり替えたい。


 窓の外で、車のクラクションの鳴る音が聞こえた。


 どちらから言い出すでもなく、僕は身だしなみを整え、崎は部屋着らしきトレーナーとジャージのズボンに着替えて部屋を出る。


 その後二人はそ~と、気配を消して崎の部屋のある二階から一階まで降りた。


 崎は天下無双マミーこと宮都さんの書斎であるらしい部屋ドアに耳を当てて、中の気配を窺った。


「どうやらお母さんはご就寝あそばされたご様子だわ。明日は朝早くから大学で講義があると言ってたから」


 鬼の居ぬ間になんとやら……だろうか。


「あんた夕飯はいらないって言ってたけど、せっかくだから何か飲み物だけでも飲んでいって」


 そう言って崎は一階の一番奥にあるキッチンへ僕を案内した。


 お世辞にも綺麗なキッチンとは言い難いが、それでも十分整頓された清潔感のある空間に少し好感が持てた。


 ここで家族三人が(今は主に二人か?)が食事を取っているのか。


 そんな風景を想像してみるが、映像が頭の中で上手く整合しないのはなぜだろう。


 この家族が三人で食卓を囲んでいるイメージが一向に湧いてこない。


 崎はシンク脇にある、こぢんまりとしたこの家のキッチンにはやや不釣り合いに大きな冷蔵庫の扉を開けた。


 そして異様に大きな冷蔵庫がある理由がすぐに判明する。


 冷蔵庫の扉面には二段にもわたって白い液体の入った瓶がぎっしりと並べられていた。 


 この国ではあまり見なれないが、欧米ではよく見かけるタイプの、巨大と言っても差し支えないような大きさのガラス瓶。


 扉面に入りからなかったのか、正面奥の方にも何本かその姿を確認できる。


 締めて十本以上はある、見慣れぬガラス瓶の数々。


「一体これらは……」


 僕の疑問に崎は即座に答えてくれた。


「これは言わば我が家の影の主食って言うか。いや、最近はむしろこっちが本来の主食なのかもと思えてきたくらい」


「で、その中身はいったい……?」


「ああ、これは牛乳。ミルクとも言うわね」


「そ……それ全部が牛乳?」


「まだこれで全部じゃないわ。野菜室にもあと何本か入ってるし、一週間後にはまた送られてくるはず」


「送られてくるって?」


「これらの牛乳は、週に一度おばあちゃんの実家から……、ああ母方のおばあちゃんの方ね。さっき酪農家だって言ったでしょ? その実家から冷蔵の宅配便で送らってくるのよ」


 崎は、冷蔵庫から抱えるようにして、牛乳がたっぷり詰まった瓶を一本取り出す。


「幸い、牛乳に対しての耐性とでも言うのかしら? それは大丈夫みたい。ほら、牛乳を飲むとお下痢をしたり、体調を崩す人もいるでしょ。さすがに飲み過ぎは良くないことくらい知っているけど、時たまお腹がゴロゴロいって恥ずかしいことを除けば不都合は無いし、海のミルクに森のミルク、畑のミルクの大元だもの、栄養価は保証済みよね」


 想像しただけでゲップが出そうだ。


 それはさすがに、崎のおっぱいと結び付けないわけにはいかないだろう。


 牛乳を飲むとオッパイが大きくなるって、どうせ噂や憶測、あるいは都市伝説的なものだと思っていた。


 しかし、崎という実例を突きつけられてしまった後では一気にそれが真実味を帯びてきた。


 乳の秘められたパワーと言うか、潜在能力、ポテンシャルを見くびっていた自分に猛省を促したい。


 免なさい、そして牛のお乳さん。


「取り敢えず、牛乳を飲むのは少し控えたほうがいいんじゃないかと……」


「えっ、どうして? もしかして、私の躰のこと気にしてくれてるの? あっ、それとも牛乳飲むとオッパイが大きくなるって噂を信じてるとか? そんなの迷信だって! バカバカいい」


 崎は、そう言い放つと胸を両手で包むように触って、

「でも最近また大きくなったかも……」


「ええっ?!」


「さっきビキニ着けた時少し窮屈に感じたもの。ショップで試着した時はちょうど良かったはずなのに、変だわ」


 オッパイにも第二次性徴期ってあるのか!? 

ないのか!? いや、あるような感じがしてきたぞ!


「やっぱり、牛乳飲むのは控えようか? なっ?!」


「ううんんん……」


 崎はずっと胸を両手で押さえつけながら黙ったまだ。


「何なら、今度暇を見つけて、サイズの合う水着を買いに行こう。僕も付き合うよ」


 しまった。言った後で後悔しても仕方がないが、また余計なことをつぶやいてしまった。

 

 相も変わらぬ僕の悪い癖だ。


「でも、あの水着を買ったショップの店員さんは『これ以上大きなサイズはないから』って、冗談交じりに『もう大きくならないお呪言を掛けましょうね』『大きいの、大きいの、飛んでいけ―!』『成長した分は小さい人に分け与えましょうー!』って、笑って接客してくれたのを思い出したわ。ああ、あの時のショップ店員さん愉快だったなあ」


 笑えない冗談だよ、ショップの店員さん…………。

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