ひとつ部屋に崎と二人きり

第35話 恋愛モンスター

「お母さんのことびっくりしたでしょ? あれで三十二歳なのよ、やんなっちゃう」


 崎の言う『やんなっちゃう』の意味がイマイチ分からなかったが、いろんなことを複合的しての『やんなっちゃう』なのだろうという理解で良さそうだ。


「マジか!? どう見たって二十歳代半ば……いや、実際僕なんか君のお姉さんだとばかり思っていたから、二十代前半くらいにしか見えなかったぞ。あれで経産婦? ないない!」


 崎の母親が三十二歳ってことにも驚いたが、僕はこの理解し難い現実を受け入れたくない衝撃から、頭を何度も何度も振って現実逃避を図った。

 

 ありえない! それはない! なにかの間違いに決まってる!

 更に耳をふさいで不都合な真実を否定するのに必死だった。


「全然似てないでしょ、私とあの人? 私はどちらかっていうとお父さん似だから……」


「それじゃあ、お父さんもハンサムなんだな」


「なにそれ、お世辞を言ったつもり?」


 崎がたまに見せるはふくれ面はなんとも可愛い。


 流行りの髪形とメイク、ファッションで着飾れば、十分芸能界に打って出るだけの器量は持ち合わせていると思うのだが、本人にはその自覚無しって事らしい。


「お世辞だなんて、ないない。お母さんにも雰囲気似てるとこあるし、僕から見たら君の方が……」


 その後に、奇麗だよと言いかけたが、言葉を飲み込んだ。


 あれっ、なんでだ? 本音でそう思ったのに、言葉が出ない。


「それより何よ、さっきの何気ない発言! 今更、年の離れた弟や妹ができようものなら近所歩けないじゃない! 冗談も休み休みに言いなさいよね、ほんと。恥ずかしいったらありゃしない。あの人の頭の中、覗けるものなら覗いてみたいわ、まったく!」


「ははははは……」


 それに関しては僕と崎の意見は珍しく一致したようだ。


「我が家の家系は代々早婚の家系みたいで、私のお母さんも十七歳で私を生んだのよね」


 しかし感情を発散させると、いつもの無愛想で強気と冷静さがまぜこぜになった厄介な性格の崎に戻っていた。


「おばあちゃんも確か十六歳であの人を生んだって聞いてるわ。だからまだ五十歳前のはずよ。私もこの歳で子供を産めば晴れて四十代の曾祖母さんの誕生ってとこね。ま、さすがにそれは無いか……」

 

 だが…………。


 それを力強く否定できない無力な人間。それが伊勢万代という脆く儚い存在であることを認識させてくれる。


「ウチの家系は代々女が強い傾向にあるみたい。それに比べ、男どもだらしないことといったら……。精気を全部女に吸い取られたかのように、揃いも揃って老け顔で、腑抜けで、弱腰で、すこし同情するわ。もちろん一番身近な血縁者である私の父親も含めてね」


 こわ~! あの化け物……いや失礼。


 “無双マミー”こと崎ママを見たら直後だから、あながちその話、冗談とも言えないなと心底思えてきた。


 まてよ……。


 もしかしたら、いやもしかしなくても、崎だってその血筋に連なっているのだから当然、家系的にも、遺伝的にも何らかの見えざる意思や摂理、ルールに支配されている可能性も十分考えられる。


 だとしたら宮崎という女の子――たしか御年十五歳――も若くして結婚もしくは出産……ってことも、無きにしも非ずとはならならないか?


 幸いにというか、崎の恋愛対象はあくまで出雲神内というイケメン完璧超人であるわけで、僕はあくまでも刺し身のツマ、金魚のフン、抱き合わせ商品の抱かれる方であって……。


 一瞬、脳裏に赤ん坊を抱えた崎に微笑む僕の姿が浮かんでしまった。

 無い、無い。

 それだけは決して無い!

 あってはならないことだ。


 気のせいだとは思うが、心なしか崎の僕を見つめる視線が、肉食動物系のそれに感じられてならない。


 考えたくはないがそのお相手に僕が……。


 なんて……いやいやそれは、まずもってありえない。


 取りあえず彼女の出方を慎重にうかがう必要がありそうだ。


 幸い、今のとこは弓矢の矢の先は……(というよりボーガンの矢といった方が的確か)は、出雲神内の方に照準を合わせているようなので、ひとまず安心といったところか。


 だが、いつその矢先がこちらに向けられるか知れたもんじゃない。


 考えを少し飛躍させすぎたか?


「でも、お母さんはいつもあんな感じで頭も軽いけど、尻も軽いからホント伊勢くんも気を付けてね」


「しかし、強烈な個性のお母さんで……」


「女性はいくつになっても……。仮に毎朝ランドセル背負って学校に通ってる小学生でも、高校生でも、OLでも、おばさん、おばあさん、み~んな、み~んな、全員が全員“恋愛モンスター”なんだから、少しでも気を抜いたらダメよ」


 更に崎のありがたい忠告は続く。


「全ての女性があの人みたいだとは言わないけれど、隙さえあれば目を付けた男につばを付けようと、あの手この手で接近してモノにしようと企んでいる生き物なんだからね。気を許したらもうその瞬間、相手の陣地に誘い込まれてると思っていいわね」


 もしかして、それ僕に対して言ってる?


「所詮、男なんて恋愛の素人。お母さんが今でも十分オンナとして通用することは、今あなたが自分自身で証明したようなものだから異論は無いと思う。現役感バリバリのお母さん相手に、あんたが素手で立ち向かうなんて百年早いわ。玉砕間違いなしだわ」


「それには激しく同意するよ」


 崎の忠告にはやけに説得力があった。


 でも一応、崎母の都さんは人妻で、君という子供までいる立派な大人なんですよね?




 思わぬ妖艶な横やりが入りつつも、ようやく障害を乗り越えて二階にある崎の部屋にたどり着くことができて、なぜかほっとしてる自分がいた。


 崎の部屋は二階の西側に面した部分にあって、午後の陽射しがカーテン越しに感じられ、否が応にもあの日の光景が一瞬フラッシュバックしてきた。


 そう、あの日の光景とは崎と初めて声を交わした、というよりも衝撃的な出会いをした、ゴールデンウィーク明けの放課後の教室での一件というか惨劇の事である。


 十代の少女に対しては少し気の毒ではあるが、つくづく西陽の似合う少女である。


 六畳間の和室の畳は陽に焼けて、窓は厚手のカーテンで覆われている。


 室内にはベッドと勉強机が置いてあるだけ。


 ぬいぐるみの類の女の子らしいアイテムは何ひとつ無く、アイドルのポスターの一枚貼ってあるでは無しのシンプル極まりない。


 というよりかは『女の子の部屋ってこうじゃないでしょう?』とツッコミたくなるほどに、彩りと華やかさとは無縁の部屋だった。


 もっとガーリッシュな感じで、今まで嗅いだことも無いような、なほのかに甘~い香りが漂う部屋を想像していた自分が虚しく感じられる。


 今後は、女の子に過度の期待を持つことは避けようと強く誓った。


 崎のそんな殺風景な部屋の中でも、唯一とでも言っていい、目を引くものがひとつだけあった。

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