弐
妙な夢を見た。妙というか、思い出すもおぞましい夢。だけど思い出すと、気持ち悪さよりも高揚感がわき上がってくる。
いや、高揚感なんてものじゃない。正直に言おう。体が……火照るのだ。
あたしは変になってしまったのだろうか。あんなおぞましくも……淫らな夢を見るなんて。たくさんのうねうねする……あんな……ものに弄ばれ、
ああ、駄目。思い出すだけでゾクゾクしてくる。太ももに、背中に、首筋に鳥肌が立ってくる。だからその夜、あたしから求めてしまった。
彼に抱かれながら、すごく乱れた。きっと彼もいつもと違うあたしに、ひどく興奮していたはずだ。だっていつもより大きく、固く……あたしの中で……暴れたから。
でも……終わったあと、どこか物足りないと思うあたしがいた。そして夢でまた、あたしはあの方に会うのだ。
☆
「ここになります」
そう言って、
珈琲店から徒歩三分の場所に、麻奈の住むアパートがあった。二階建てアパートの二〇三号室。そこが
ここには三人で歩いて来た。高範は美沙緖を心配していたが、彼女はなんの危なげもなく歩いてみせた。ブラウンのローファーの前で、白杖を軽快に地面を突きながら、常人と変わらぬ速度で歩いてみせたのだ。
惣介の方はさすがに歩きながらルービックキューブをいじることはなかった。しかし、彼が美沙緖の手を引くということもなかった。一応、彼女の横に並んで歩いていたが、彼が美沙緖を気にしている様子は見られなかった。
高範は気遣いのないその様子に何故か苛立ちを覚えた。しかし美沙緖たちの方を見ていると、ついつい目が彼女の胸へと行ってしまう。そして視線をそらすと惣介と目が合ってしまい、悪戯を見咎められたような気分になり、またそらすのだ。
結局、苛立ちは収まることなく、ここまで来てしまった。
「開けますね」
そう言って高範は、鍵を鍵穴に入れ左へと回す。すぐに開けて玄関に入ると、慣れた様子で照明のスイッチを入れた。
玄関を入ってすぐに小型キッチン。右手にドアが二つあり、バスとトイレが別になっているようだ。床は全体を通してフローリングになっており、奥は六畳ほどの広さの洋間が見えた。窓のカーテンは閉まっていてうす暗い。
高範が奥へと進みカーテンを開けた。美沙緖と惣介はキッチンスペースに立っている。
「見せてもらってもいい、かな?」
惣介の言葉に、高範は少し時間をおいてから頷いた。入れ替わるように、高範はキッチンスペースへと入っていく。そして惣介とすれ違う時、カツンという音が聞こえた。音のした方向を見ると、キッチン側の床にルービックキューブが落ちていた。
高範は思わずしゃがんでそれを手に取る。その刹那――キンッという甲高い金属音が高範の耳に響いた。
「?」
不思議に思いながらも、高範は手に取ったルービックキューブに目が行く。それはまだ揃っていない、バラバラの状態だった。しかし、バラバラながらもなんらかの法則性を感じさせる
どんな――と言われても分からない。だが、常人には決して理解できないながらも法則性を感じる
それを見ていると何故か不安になりながらも、高範は目を離せない。何故か惣介の服の組み合わせを思い浮かべた。
それでハッとしたように目を離し、後ろを振り返り惣介の方を向く。
「落としましたよ」
ルービックキューブを手に取り振り向くまで七秒ほどだろうか。振り向いた先、思いのほか近くに惣介は立っていた。
惣介は、高範の差し出したルービックキューブを受け取る。その時に差し出した惣介の手が、一瞬、霞んだような気がして高範は目を
「ああ、ありがとう」
惣介が言う。その姿に変なところはない。ルービックキューブを受け取ったあと、彼は部屋の中を歩き回った。
部屋の中にはベッドにローテーブル。背の低い本棚などがあり、六畳の部屋は決して広くはない。
部屋は汚くはないが、本棚から溢れた本が床に置いてあったりして女性の部屋というよりは研究室の一部のようだ。
高範はシーツがしわくちゃになったままのベッドを見て、思わず美沙緖の方を振り向いた。
麻奈が失踪する前の晩のことを思い出したのだ。あの晩、麻奈はやけに積極的だった。いつもなら高範からなし崩し的に行為に持ち込むのに、その時は部屋に入るなり彼女の方からキスをしてきたのだ。
そしていつも以上に乱れる麻奈に、高範も興奮したのを覚えている。
美沙緖に乱れたシーツが見えないことは分かっていても、高範には気恥ずかしかった。恐らく自分にしか分からないであろう情事の痕跡。近くに美沙緖がいることで、思わず麻奈の残像に美沙緖の顔を重ねてしまう。それは高範の心の奥にあるものを刺激した。
美沙緖が高範の方を向いた。高範が思わず目をそらす。本当は見えているのではないかという思いが、高範の心に浮かぶ。だが、美沙緖はそのまま周りを見回すように顔を動かした。
「彼氏サン、ありがとう」
その言葉に、高範は視線を惣介に移した。
「もういいんですか?」
惣介が部屋に入って、五分くらいだろうか。もっと時間をかけて調べられると思っていた高範は拍子抜けした。惣介は少し歩き回っただけなのだ。クローゼットや引き出しを開けることもなく、床にあった本を調べることすらしていない。
「さすがに彼女サンの部屋を目の前で長々と
先ほどまでの劣情を惣介には見抜かれたような気がして、思わず睨み付けたくなる。しかし寸でのところで高範は堪えた。
「そうそう。一つ教えて欲しいんだケド、彼女サンって最近、古い和綴じの本を持ってなかった?」
そんな高範の心中など知らぬふうに、惣介が訊いてくる。
「そう言えば、研究室から持って帰ったとか言って読んでましたが」
一週間ほど前だろうか。この部屋に来た時、麻奈が古い本を読んでいたのを思い出した。
「それが何か?」
「いや。ちょっと聞きたかったダケ」
そう言って惣介は洋間を出る。そしてそれ以上は興味がないといった様子で、そのまま外へと出てしまった。高範はそれを半ば憮然として見つめる。
「今日は本当にありがとうございました。助かりましたわ」
美沙緖の声に表情を戻した。彼女は真っ直ぐにこちらへ顔を向けて、微笑んでいた。
「いいえ。お役に立てたならこちらも嬉しいです。なにか分かったら教えてください」
「はい。では、わたしたちはこれで失礼させていただきますわ」
そう言って美沙緖は器用に靴を履き、部屋を出て行った。中には高範だけが残っている。
静かになった部屋に、スマートフォンのアラームが響いた。リマインダーの通知だ。高範はスマートフォンを取り出す。
画面には【十六時より会議。一時間前通知】の文字があった。
「え?」
高範は画面に表示される時刻を見る。画面の数字は【15:00】になっていた。美沙緖たちと珈琲店で会ったのは十四時過ぎ。そこからこの部屋に来るまで、珈琲店で話していたのを含めても二十分はかかっていない。そして思ったより早く、美沙緖たちは引き上げてくれた。
高範の感覚ではまだ一四時半を過ぎたくらいだった。
「そんなに経ってたのか」
高範は慌てて麻奈の部屋を出て行った。
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