参
夢を見るのはきっと、この本のせいだ。だって、夢の内容が……そっくりなのだもの。おぞましくも淫らな……あの夢と。
研究室でみかけた本。研究室の誰も――教授すらも知らないと言っていた本。こんな内容だと分かっていれば、持って帰らなかったのに。でも、ひどく気になったのだ。変な事を言うが、本に呼ばれた気がしたのだ。でも、あたしが持って帰ったことは、誰にも見られていないはず。
ああ、でも、もし誰かに見られてて、内容を聞かれたら、なんて答えればいいの。駄目。そう考えるだけで……体が熱くなる。
会いたい。会ってたくさん触れてほしい。抱きしめてほしい。いくつもの、あの逞しい……で。あたしを狂わせてほしい。夢で味わったあの
会いたい。愛おしい、あのお方に。
☆
「アイツ、
「構いませんわ。顔から意識をそらすために、わざとこんな格好しているんですもの」
誇るように、美沙緖は胸を突き出してみせた。ハイウエストのスカートとサスペンダーで強調された胸。ニットを押し上げる優美な曲線は、たとえ強調されなくとも十分な主張をするだろう。
「うっかり目を合わされると面倒なことになりますから」
「合わすっても、美佐緒サンずっと目を閉じてるからなぁ」
「あら。こっちがうっかり開くことだってありますのよ?」
足を止めて美沙緖は惣介の方を見る。そして意地の悪い笑みを浮かべてみせた。
「その笑い方で、こっち見るのやめて。開ける気満々の笑い方じゃん」
惣介も思わず足を止める。黄色を基調にした派手目のスニーカーが、更に距離を取ろうと後ずさる。
「冗談ですわよ。それよりも、あの部屋にありませんでしたわね。本」
二人は再び歩き出した。
「隠されてなければ……ね。三十分ちょっとしか時間も稼げなかったし、アイツの目の前じゃ、あと片付けに困る様な派手な探し方はできないし」
「名探偵なら、見ただけでわかりませんの?」
「そういえば珈琲店でも言ってたケド、なにその〝名探偵〟って?」
惣介が足を速めて美佐緒の横に並ぶ。
「通行手形みたいなものですわ。そう言っておけば〝人捜し〟に部外者が居ても、とりあえず誤魔化せますもの」
「ホントは〝本探し〟だけどね」
「いずれにせよ、あの本を普通の人が読んだら、隠すような知恵が回るほど正気を保ってはいられませんことよ」
「『
『綾目語り』――心霊学者、
公開されたのが昭和初期ということもあり、出版社での配本分は発禁処分となった。
「そう。内容の過激さから泰加子の妄想って揶揄されたのですわ。でも綾目という巫女が語った場所は実在しましたし、綾目と契っていた神こそが――
惣介の言葉に美沙緖が答える。
当時、『綾目語り』で語られたことの真の意味に気づく人間はいなかった。神との契りの過激さばかりに目が行き、その前のいかにしてその神と出会ったのかに注目する者はいなかったのだ。
綾目が神と出会うきっかけとなった儀式には。
「さらに、口寄せした泰加子は行方不明。本を読んで発狂した人間もいるっておまけつきですわ」
「
「『知り合いに頼まれて送った資料のなかに紛れてた。てへぺろ』って言ってましたわよ」
「なにが〝てへぺろ〟だよ、あの〝
「その意見には同意いたしますわ。けどあの人に細かい気遣いを求めるだけ無駄というものです」
悪態をつく惣介とは対照的に、美沙緖の声は落ち着いていた。よほど慣れているのか、あるいはすでに諦めているのか。
ふと、美沙緖が惣介の袖を引っ張った。惣介の足が止まる。
「? なに?」
惣介が言った瞬間、彼の横に空から鳥の糞が落ちてきた。そのまま歩いていたら、鳥の糞は惣介の頭に落ちていただろう。
「鳥の糞が落ちましてよ」
「……ああ。落ちるのが見えたんだ。ありがとう」
足元を見て惣介が言う。
美沙緖の目は実像を写さない。開こうが閉じようが見えてはいないのだ。だが同時に彼女には目の前にあるものが見えている。
彼女が常に見ているのは、目の前にある空間の三秒後の可能性なのだ。未来ではなく〝可能性〟。だから幾通りも見えるし、内容によっては干渉して変えることも可能だ。
先ほどの鳥の糞のように。
「どういたしまして」二人は再び歩き出す。「それよりも、本を持ったまま麻奈って
「そりゃ、
「ですわね」
「ここで回収したかったなぁ」
「ですわね」
「〝教授〟の話だとけっこうな山奥だったよね。そこ」
「ですわね」
「レンタカー、借りないと無理だよなぁ」
「ですわね」
「経費って結社で落ち……ないよね、やっぱ」
「無理……ですわね」
惣介と美沙緖はお互いに顔を見合わせ、どちらからともなくため息をついた。
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