暮らす日々を笑顔で見守られているのならそれはきっと途轍もなくいい人生に違いない

英 金瓶

赤いきつねと緑のたぬき

 今年もあと、十数時間で幕を降ろす。


明日からの新たな一年に、皆思い思いの希望を抱いて、今年最後の大晦日きょうという日を過ごすのだろうが、今年の僕はそうはいかない。


なぜなら僕は、これから婚約者のお父様に御挨拶に伺うからだ。


なんでよりによって大晦日きょうなのか……。


それはこっちが聞きたいセリフだ。


大晦日きょうという日が、心の傷として深く残りませんように……。


僕はそのことを願って電車に揺られる。


午前10時19分横浜発の湘南新宿ラインで池袋まで行き、そこから東武東上線に乗り換えて、目指すは埼玉県の小江戸川越。


そこが僕の婚約者、小麦こむぎちゃんの生まれ育った実家がある街だ。


小麦ちゃんは電車に揺られながら、緊張している僕を覗き込んではと含み笑いを繰り返している。


僕が緊張していて気付いていないとでも思っているのだろうか。


「あのさあのさ、小麦ちゃん。さっきから覗き込んではくすくす笑うのやめてくんない?」


僕がそう言うと彼女は「だって、緊張してる寿也としやくん見るの初めてだから可笑しくって……。」


そう言って彼女はまた、くすくすと笑い始める。


ま、いっか。


この緊張が小麦ちゃんの笑顔に変換されるなら……。


僕がそう開き直って笑顔を見せると、彼女は言った。


「大丈夫だよ!寿也くん。私のおとうさんはすっごく優しい人だから!ね!」


そうは言っても、こんな時は緊張するものだ。


なにせ僕は、彼女のお父様のことをなに一つ知らないのだから。


そうだ。なにも知らずに伺うというのも、それはそれで失礼にあたる。


そう思った僕は、小手先ではあるが着くまでの間、お父様のことを聞いてみた。


すると彼女は少し考え、つり革の揺れに身を任せながら話し始めてくれた。


「ん――、私のおとうさんはね、クリスマスプレゼントなの。」


……はい?……。


のっけからの奇怪なセリフに、僕はLOVOTを思い浮かべた。


「え?それはあれかな?お父様を35~6万で買ったってことかな?」


「違うよ!失礼だな!ひとの親つかまえて。」


いや小麦ちゃん。今のセリフからだと、みんなそう思うって。


僕が心でそう突っ込んでると、小麦ちゃんは再び話し始めた。


「私とおとうさんってね、血の繋がりがないの。」


ん?いまこの、サラッと大事なこと言った?


「でね、私が幼稚園……いや、小学生の時かな?そのくらいの頃サンタさんにね、お願いしたの。プレゼントは“おとうさん”がいいです!って。そしたらね、クリスマスの日におとうさんが現れたの。『はじめまして。こむぎちゃん。』って。私その時『すっごーい!サンタまじかっ!やってくれるな‼』って思ったよ。」


小麦ちゃんらしく可愛いエピソードを、彼女は僕に話してくれた。


そうして話をしているうちに、電車は川越に着いた。


僕たちはそこからタクシーで実家へと向かった。


車で走ること10分弱。


国道16号線を渡った先に、小麦ちゃんの実家はあった。


彼女は着くなり鞄から合鍵を取り出し、ガラガラガラッと引き戸を開いて

「ただいまー!」と元気な声で実家へと入っていった。


緊張する僕を放置して……。


すると奥から「おかえりっ‼」と、これまた彼女に負けず劣らずの、元気な男性の声が響いてきた。


お父様だ!


僕の緊張は、そこから一気にMAXまで高まった。


すると「あれ?ひとりか?」と中からお父様の声が聞こえてきて、同時に彼女の「あれ?」という声も聞こえてきた。


僕は緊張のあまり、出遅れてしまっていた。


慌てた彼女が「なにやってんの寿也くん。入って、入って。」と顔を出してくれなかったら、僕はそのまま逃げ帰っていたかもしれない。


それぐらい僕は、しくった!と、その時思った。


そうして彼女の手引きによって招かれた僕は、頭を下げながら玄関に足を踏み入れた。


「おとうさん、紹介するね。濱岡寿也はまおかとしやさんです。」


「え?……はまおか?……としや?……。」


ちらっとお父様の声が聞こえた気がしたが、緊張していた僕はそのままの勢いで自己紹介に踏み切ってしまった。


「はじめまして!濱岡寿也と申します!現在小麦さんと、親しくお付き合いさせていただいております!」


そうして顔を上げた僕の目に飛び込んできたのは、まさに鳩が豆鉄砲食らったような顔で僕を凝視する小麦ちゃんのお父様。


そしてそんなお父様の顔を見た瞬間、僕も同じく、鳩が豆鉄砲食らったような顔になってしまった。


「え?え?!……なに?!なに?‼なんなの?!」


僕とお父様。フリーズした二人の顔を交互に見返して、訳も分からず立ち尽くす小麦ちゃん。


彼女のお父様は、僕の生き別れた父さんだった。



そのあとしばらく玄関先で固まっていた僕と父さんに、「いつまでもここに居るのもなんだからさ。」と、彼女は僕を居間へと招待してくれた。


通された居間のテーブルには、豪勢な食材の並んだうたげの準備。


そこからは父さんの歓喜と歓迎がと感じられた。


僕はその奥のお仏壇に居たお母様にお線香をあげ、父さんの向かいに腰を下ろした。


こうして父さんと面と向かって座るのって、どれくらいぶりだろう。


僕はなぜか、呑気にそんなことを考えていた。


二人ともなにを話せばいいかが分からずに、沈黙ばかりが悪戯に満ちていると、小麦ちゃんが「どうぞ。」と静かな声でお茶を入れてきてくれた。


僕は軽く会釈して、そのお茶で喉を潤した。


すると彼女は「随分奮発してくれたんだね。」とテーブルの上の食材を見て、そっと話した。


その問いかけに父さんは「ん?……あぁ……。」と一言だけ彼女に返した。


「このままだとさ、折角のお肉が美味しくなくなっちゃうからさ、一回下げるね。」


彼女は僕たち二人の様子を見てそう言うと、食材を下げてからまた、僕らを二人きりにしてくれた。


僕とお父様。二人の間になにがあったのかは理解できていないのだろうけど、小麦ちゃんは空気を察して気を利かせてくれたんだ。


僕はいつまでも彼女に不安な思いをさせたくないと思い、意を決して口を開こうとした。


するとそれより一歩先に、父さんが両手をついて僕に頭を下げてきた。


え?……。


「寿也には、本当に申し訳なく思っている……。」


え?!……。


あまりにも突飛な展開に、頭がついていけない僕。


「これからは、生涯かけて償わせてほしい。」


えぇっ?‼……。


なのにこちらの状況などお構いなしに、話し続けるお父様。


「だからお願いだ!どうか娘を、小麦を幸せにしてやってくれ‼」


いや!それ先に言う?!


すると、僕らの様子を案じていた小麦ちゃんが涙を流しながら入ってきて、父さんの横で頭を下げた。


「寿也さんごめんなさい!父が何をしたのかわからないけど、私も娘として一緒に謝ります!だからどうか、父を許してあげてください‼」


え?なに?なんなの?この展開……。


なんだか僕だけ取り残された気分。


呆然として二人を眺めていると、父さんは顔を上げて彼女を止めた。


「やめろ小麦!お前が頭を下げる事じゃないんだよ!」


すると彼女も負けじと返す。


「やめないよ!やめるわけにはいかないよ!だって私、おとうさんの娘なんだから‼」


僕は彼女のそのセリフに、思わずもらい泣きしてしまいそうになった。


いや、いまはそんなこと言ってる場合じゃないんだ。


「あの、あの、ちょっといいですか?……。」


僕はそう言って、なんとか二人の波に乗ろうとする。


「あの。お二人はなんで、僕に頭を下げているんですか?」


「なんでってそれは……。」


父さんはそう言ってきょとんとしながら僕を見つめた。


「僕が思うに、父さんは僕が、父さんのこと恨んでいると思っていますか?」


「……違うのか?」


やっぱりな……。


僕は父さんのその問いかけに、静かに首を横に振った。


「どんなに永い間離れていても、父さんは父さんなんだ。恨むなんてできるわけないでしょ。それに僕は、父さんにも母さんにも、誰かを恨んで生きる生き方なんて教わってないよ。」


僕がそう言い終えると、父さんは泣いた。


すると、今度は小麦ちゃんが豆鉄砲食らったような顔をして「え?ちょっとまって、ちょっとまって。こことここって、親子なの?……。」と聞いてきた。


それ、いま聞くかね……。


しかし彼女は沈黙した二人に空気を察し「あ、そーなんだ……。ちょっとびっくり……。」と自己消化をしてくれた。


「寿也、ごめんな。ずっと淋しい思いをさせて。」


顔をくしゃくしゃにしながらそう言う父に、僕は笑顔で首を横に振った。


「こちらこそ。元気そうでなによりです。父さん。」


僕が改めてそう言うと、父さんは俯いて声を殺して泣いていた。



僕は本当はこの時、父さんと小麦ちゃんの親子の絆に嫉妬したんだけれど、それは二人には言わないでおいた。



それから僕ら三人は、父さんが用意してくれた極上肉のすき焼きを堪能し、僕と父さんはコーラを酌み交わしながら、26年の空白を埋めるように喋りたおした。



やがて日が沈んで夜になり、日付と年が変わる頃、小腹がすいた僕らは年越しそばを食べることにした。


僕と小麦ちゃんは緑のたぬき。そして父さんは、26年ぶりの赤いきつねを選んだ。


ゴ――ン。ゴ――ン。と喜多院の鐘がおごそかに年明けを告げると、僕らはそれぞれ緑と赤のパッケージを剥がした。


出汁の香りを纏って立ち昇る湯気。


その奥からぼんやりとのついた玉子さんが姿をあらわすと、僕のテンションは一気にMAXまで上がった。


「うぉー!おへそだー!ほんとにあるーっ!」


半信半疑だった僕がそう驚くと、小麦ちゃんはドヤ顔で

「でしょ!でしょっ!でしょっ‼」

と叫んでた。


「どーよ、おとうさんのおへそ付き玉子さん!」


なぜかとても誇らしげな小麦ちゃん。


今夜の赤いきつねと緑のたぬきは、父さんが作ってくれたんだ。


「参りました!恐れ入りました!」


僕がそう言って顔を上げると、父さんは「大袈裟だよ。」と笑ってた。


その笑顔は、僕の小さい頃を見守っていた笑顔そのものだった。


僕は26年ぶりに湯気の向こうから、その笑顔に見守られた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

暮らす日々を笑顔で見守られているのならそれはきっと途轍もなくいい人生に違いない 英 金瓶 @hanabusakinpei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ