第21話 大切なもの
パレットに戻ると、アーノンとマルちゃんは何やら興味深い話をしていた。私はあえて気づかれないよう2人のテーブル席からは死角の位置にある席に座り、アイスティーを頼む。私が戻りやすいタイミングになるまで、2人の会話に耳を澄ますことに。
「……えぇ? どういう意味でやんすか?」
「ずっと不思議だったのであります。アーノンは、どうしてクララさんのためにそこまで頑張れるのでありますか?」
「どうしてって……。それが【操獣】においてのルールなのでやんすよ」
アーノンの言葉は今の私の心に深く突き刺さる。改造スキルである【操獣】を、私はやはり使いたくない。しかし、それは同時にアーノンを解雇するということでもある。私から願って『仲間』の関係になったのに、私からその関係を壊してしまうのは躊躇われるし、それはアーノンから見れば裏切りに見えてしまうのではないか。そう思うと心が苦しくなる。
「ルール、ですか。それでは、アーノンの命を失う代わりにクララさんを助けられるという状況が来たら、そのときはどうしますか?」
「……ワチキはそれでもクララ嬢を助けると思うでやんす。照れ臭いでやんすけど、ワチキとクララ嬢にはそれだけの信頼関係がすでにあるのでやんす」
数秒黙ってから、アーノンはそう返した。
「運命共同体と言うんでやんすかね。まだ数日の付き合いでやんすけど、ソロバトルタワーでここまで苦楽を共にしているからこそ、クララ嬢が喜べばワチキも嬉しいのでやんす」
「素敵な絆ですね。でも、じゃあ、例えば別の人とも【操獣】のルールが適用されるとして、クララさんとその別の人が同時に窮地に陥っていたら? どちらも助けることは不可能になるのであります」
「【操獣】は複数のプレイヤーから受けることはシステム上ありえないのでやんす。マルちゃんの話で言う【操獣】は最早【操獣】とは言えないのでやんすよ」
私はアーノンの言葉を聞いて頭を抱える。マルが期待していた回答は絶対にそれじゃない。アーノンの答えは合理的で言っていることもその通りなのだが、その答えではマルが満足することはなさそうだ。
「私には、どうしても奉仕の感情が理解できないのであります。なんで他人のためにそこまで躍起になれるのでありますか? なんで身内を不幸にしてまで他人を幸せにするのですか?」
明言こそしなかったが、恐らくその不幸になった身内とはマル自身のことだ。とすると、これはマルの両親のことを言っているのだろうな。
「マル、聞くのでやんすよ。何を優先するべきかの基準というのは人によって違うのでやんす。家族との時間が大切な人もいれば、ひとりで好きなことをする時間が大切な人もいる。それと同じでやんす」
「じゃあ、私より他人を幸せにする方が大切だってことですか!?」
マルちゃんはテーブルを強く叩いて立ち上がる。無意識だったのだろう。バンッと大きな音がして、マルちゃんはその自分が出した音に身震いした。
そしてこれではっきりとした。これがマルちゃんの本命の悩みだ。詳しくはわからないが、マルちゃんは愛されたいんだ。失踪した両親に、変わらない愛を求めている。
「そうは言ってないのでやんす。自分のやりたいことを突き詰めた結果、他人を助けていてマルちゃんを傷つけてしまった。そう考えることもできるでやんしょ?」
「そもそも奉仕が自分のしたかったことだって言うのですか……?」
「世界の人口は70億人を超えるでやんす。そんな人がいても不思議じゃないのでやんす」
「……そっか、そんなに人口はいるのでありましたね。私ひとりよりも世界。よく考えたら天秤に乗せる時点で馬鹿馬鹿しい話でありましたね」
ここで私の席にアイスティーが運ばれてくる。ストローを差して、吸い上げながら2人の話を最後まで見守る。
「マルちゃんはどうなんでやんすか?」
「私? ですか?」
「身内だとか他人とか、そんなの関係なしに誰かを守りたいと感じたことはあるはずでやんすよ」
アーノンは優しい口調で語りかける。マルは手元にあるミルクティーを静かに眺めてアーノンの言葉に耳を傾けていた。
「ママ、パパ……。私は、家族がみんな揃って何気ない毎日を送れるのならそれでいいのであります」
「そのために、2人を助けたいと思った。だからワチキ達に接触したんでやんしょ?」
マルちゃんはそのまま頷く。
「であればきっと奉仕の気持ちも理解できるでやんすよ。マルちゃんの大切なものを守りたいという思い。そのベクトルが少し変わったのが奉仕なのでやんすから。奉仕をする人はマルちゃんを守りたいんじゃない。マルちゃんを含めたその全てを守りたいはずでやんすからね」
「私を含めた……全て」
「そうだよ!」
私は2人の席まで移動すると、マルちゃんの肩に優しく触れた。私の存在に気づいたマルちゃんは驚きながらも嬉しそうに笑っている。
「他人を守りたいって思えるってことは、きっとその人には余裕があって、今が充実してるってことじゃない? そして、その今を満たしているのは他でもない、マルちゃんなんだよ」
「私が……?」
まだ心に迷いが残っているマルちゃん。私は布団たたきで埃を取り出すように、マルちゃんの背中を叩いてその悩みを吐かせる。
「まだ出会って間もないし、マルちゃんのこと全てはわかってあげられないけど、少なくともここにはあなたの味方が2人いる! ママとパパがいなくて寂しいかも知れないけどさ、そのときはまたこうやって話しよ?」
「クララさん……」
寂しいのなら、それを埋める存在がいるだけで大分気持ちは軽くなるはずだ。私は会計をさっと済ます。そしてすぐにマルちゃんの手を引いて店を出た。
「ど、どこに行くのでありますか!?」
「ちょっと付き合ってよ。丁度息抜きしたい気分だったし、嫌なことは全部忘れて遊ぼ?」
「わかったのであります! 嬉しいです!」
敬礼をしてニコッとするマルちゃん。それを見た私も口角を緩ませ、セントラル・シティの街の中を散策し始めた。
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