第4話 先代胤栄の活躍(中) 米田原(目達原)の戦い
「いざ、かかれ!」
「おおおおっ!」
天文十五(1546)七月、肥前入りした胤栄率いる龍造寺勢は、肥前東端付近の
少弐方の小さな拠点を次々に攻略すると、西進して神埼郡に入った。
勢いに乗る龍造寺勢、本拠の勢福寺城に迫る──
その一報を知った少弐冬尚は、城に重臣達を招集し迎撃について軍議を開いた。
「……と言う事で、我らはこの一戦地の利を活かし、
「それはここにいる皆の総意なのか、元種?」
「ははっ」
少弐家重臣の一人、江上元種が軽く平伏しながら冬尚に答える。
江上氏は長年少弐家に仕えてきた神埼郡の国衆であり、その当主である元種は少弐家中の筆頭格だった。
元種が提案した迎撃案──それは城近くにある田手の要害に籠る事だった。
田手は勢福寺城の東南に位置する地域で、そこにある今で言うところに吉野ケ里遺跡の東側が、迎撃に適した要害になっていたのである。
龍造寺、大内勢がここを突破するには、まず南北に流れる田手川を渡河しなければならない。仮に越えたとしても、今度は雑木林に覆われた傾斜のある高地で行く手を阻む事が出来た。
そして何より格好の前例があった。
十七年前、少弐勢は大内勢をこの地で迎撃。龍造寺家兼率いる赤熊武者達の奇襲により勝利を収めた、いわゆる田手畷の戦いである。
元種と他の重臣達もこれに倣うべき考えており、互いの意思を事前に確認し合っていたのであった。
だが、対する冬尚は気乗りのしない表情のまま溜息をつくと、やがてぽつりと漏らした。
「面白くない」
「えっ……?」
元種は思わず素っ頓狂な声を上げていた。
面白いかどうかなど気にしている場合か。敵は間もなく押し寄せてくるのだ。
そう批判を口にしたくなるところであったが、その衝動を彼はぐっと飲み込んで堪える。
しかし目の前の冬尚は、元種の葛藤など知る筈もなく呑気に持論を続ける。
「昨年、佐嘉において龍造寺を蹴散らした我らが、なぜ要害に籠らねばならんのだ? これでは勝ったとしても、少弐は龍造寺に臆したと世間に笑われるだけではないか」
「御館様、敵は大将が胤栄と言うだけで、将兵の多くが大内勢にござる。昨年の一戦と同様に考えるのはいささか危険かと」
「そなたは慎重よのう、元種。これは好機ではないか。撃って出ようかと思わんのか?」
「ええっ⁉」
撃って出る? 冗談じゃない。
少弐は大内相手に過去何度も苦杯を飲まされ、滅亡と再興を繰り返してきた。
相手の精強さは一族家臣、傘下の国衆に至るまで身に染みている。出撃すると知れば、味方のどれだけの者が馳せ参じてくれるか、見通しが立った上で言っているのだろうか。
結局のところ、少弐領国の者達にとって最良の選択肢は、各々城などの要害に籠る事だろう。
だが、勝ち方に拘る冬尚の頭には、そうした過去の経緯がすっかり抜け落ちていた。
「よいか、田手に籠ると見せかけておいて、奴らがのんびりやって来た所を急襲するのだ。野戦で撃ち破る事こそ肝要。そうすれば我らの武功を傘下の者達は大いに讃えるだろう」
「しかし、そんな急襲に適した地がこの辺りにござりましょうか?」
「何を申す、
元種はもう驚かなかった。
米目原は現在自衛隊の駐屯地として利用されており、「原」と付く地名のとおり、雑草が生い茂る平地である。
上手く不意を突けたら良い。しかし勘付かれていたら、その後待っているのは泥沼の白兵戦だ。大内の精鋭相手に、なぜわざわざその様な危険を冒す必要があるのか。
おおよそ理解出来ない元種に対し、冬尚はその場にいた者達に得意気に同意を求める。
「どうじゃ? そなた達もそう思わぬか?」
すると──
「これこそ正に慧眼の至り!」
「御味方の大勝利、間違いなしにございます!」
「野戦となれば、是非それがしに先陣をお命じ下さりませ!」
と、田手迎撃に同意していたはずの重臣達が、次々に冬尚に同意してゆく。
後ろから鉄砲を撃たれた元種は唖然茫然。そのうち一人をキッと睨みつけるが、咄嗟に視線を逸らされてしまう。
もはやその場には、馬場頼周の様に御家のために奔走する忠臣はおらず、家兼の様に敵の虚を突くのに長けた戦術家もいなかった。
残っているのは主の顔色を窺うイエスマンばかり。その忖度にまみれた同意に、冬尚は満足気に頷くと声を張り上げた。
「よし、ではすぐに陣触れだ! よいな、元種」
「…………」
「よいな!」
些か苛立ちの籠った冬尚の声が元種の耳に響く。
対して元種は渋い表情を見せていたが、彼もやはり少弐家中という縦組織の一員。もうどうにでもなれと思いつつも、ついに平伏するのだった。
※ ※ ※
「何っ! 敵の威力偵察(※1)か⁉」
「いえ、その数、数千と見受けられます。おそらく本腰入れて我らを叩きに出張って来たものかと」
少弐勢が出撃してきたとの一報を胤栄が知ったのは、西海道肥前路を進軍している最中であった。場所は田手の手前、彼は馬を止めて斥候から話を聞くものの、首を傾げるしかなかった。
勢福寺城や田手から、どうやって少弐勢を誘き出して叩くか。そこがこの戦の要点だと彼は考えていた。
ところが少弐勢は出撃してきた。餌の無い釣り針に魚が食いついてきたのだ。これは何かの策なのだろうか?
暫く自問するが答えは出ない。そして敵勢は目前。迷っている暇は無かった。
「よし、ではここで迎え撃つ。まず陣を構える。先行する者達には進軍を止め我らに合流する様に。後続が追いつき皆が揃い次第、左右両翼に展開すると触れて参れ」
胤栄は複数の早馬にそう命じ走らせる。
八月五日、こうして米目原の戦いの火蓋は切って落とされた。
「少弐の弱兵、何するものぞ! 我に続け!」
両軍矢合わせの後、龍造寺先陣の将兵が一気呵成に敵勢へ斬り込んでゆく。
対し少弐勢は、江上、宗、馬場等、中核を担う国衆達が迎え撃つ。
やがて米目原のあちこちで白兵戦が展開され、両勢は一進一退を繰り返していった。
後援の大内勢が到着したのはその最中だった。
率いていた黒川隆尚は龍造寺の陣前で軍を止めると、数人の家臣と共に中にやってくる。胤栄はそれを頭を下げて出迎えた。
「黒川様、参陣かたじけのうござる」
「うむ、戦況は?」
隆尚は挨拶も程々にして龍造寺家臣から戦況をを聞くと、続いて陣の最前へと赴く。乱戦になっている敵味方の動きを己の目で確かめるためである。
そこでそのまま彼はじっと眺めたが、やがて胤栄に向き合うとはっきりと告げた。
「胤栄、我らの軍勢は動かさぬぞ」
「えっ?」
「これはそなたの戦だ。そなたの手で片を付けて参れ」
思い掛けない隆尚の宣言。突き放され唖然とした胤栄はすぐに噛みついた。
「これはしたり! 黒川様は我らの後援が御役目と伺っております! それを放棄なさるとは、いかなる──」
「敵左翼の側面」
隆尚は胤栄の苦言を遮りそこまで告げると、采配(指揮具の一つ)で敵左翼を指す。
「そなた、後詰をまだ残しているだろう? その中から足腰の逞しい者達を百ほど募り、あそこへ斬り込ませてみるがいい」
「左翼の側面……?」
「やってみれば分かる」
胤栄は左翼を凝視するが、特に変わったようには見受けられない。
しかし自分の父親くらい年の離れ、場数を多く踏んだ隆尚が直々に助言しているのだ。胤栄は疑心暗鬼だったが、助言のとおり後詰の者達に出撃を命じる。
すると──
「何と……!」
胤栄は目を丸くするしかなかった。
膠着していた戦況はたちどころに一変。敵左翼がまず崩れ、動揺が敵中央に広がり、やがて敵勢全体が押し込まれ始めたのだ。
わずか百ばかりの兵を投入しただけで、これだけ戦況が変わってしまうとは──
胤栄は思わず隆尚の顔を覗き込むが、彼はさも当然の様に表情を変えようとしない。
そこに早馬がやってきた。
「報告! 敵の重臣、宗本盛、討ち取りました!」
吉報に陣中がどよめく。
本盛は冬尚が幼少の頃から仕えた重臣で、少弐方中心戦力の一人であった。
もはや少弐の敗色は濃厚。そこでようやく隆尚は笑みを見せて、胤栄に向き合った。
「さあ、仕上げだ。肥前の新たな統治者が誰なのか、知らしめてやろうではないか!」
ついに隆尚は采配を振るい、自軍を戦地に突入させた。
それを見て胤栄も好機を逃すまいと、自ら手勢を率い敵中に斬り込んで行く。
対して少弐勢は態勢を立て直そうと足掻くが、もはや覆す事は出来なかった。
健気に立ちはだかった小隊は次々に突破される。その一方で生き残った将兵は、田手を放棄し、勢福寺城へ方々の体で逃げ帰っていった。
佐嘉奪還の最大の激戦となった米目原の戦い。
それは僅か一日、龍造寺勢と大内勢の大勝利で終結したのだった。
※1 敵情を掴むため、部隊を出して、実際に交戦してみる事
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