第5話 先代胤栄の活躍(後) 佐嘉再奪還
佐嘉奪還のための最大の激戦となった米目原の戦い。
それは僅か一日、龍造寺勢と大内勢の大勝利で終結したのだった。
その後、胤栄は勢いのまま少弐の本拠、勢福寺城へと到達。
城を包囲して締め上げる一方で、佐嘉にいた少弐将兵を駆逐し、その支配から民を解放していく。
ところがそこに、後援のため来ていた黒川隆尚の姿は無かった。
※ ※ ※
「終わったな」
勢福寺城の包囲を完了した翌日のこと。
陣周辺には穏やかな初秋の風がそよいでいる。しかし何故か彼の背中からは、そんな情景には似つかわしくない程の哀愁が漂っていた。
「胤栄、明日わしは筑前に引き上げるぞ」
「えっ⁉」
「後はこのまま包囲を続けておけばいい。戦後の処理も代官であるそなたの役目。わしがやるべき事はもう何もあるまい」
隆尚は背後にいた胤栄に振り向いて告げる。
彼の言う通り、冬尚が根を上げるのは時間の問題。そして佐嘉に残る少弐将兵を駆逐するのも、龍造寺勢のみで蹴りをつけられる状況になっていたのだ。
「そなたの働きは御館様にしかと報告しておく。滞りなく侵攻を進め、米目原でも大勝利を収めた。大いに喜ばれよう」
「かたじけのうござります。以後もこの胤栄、御家の栄華が末永く続く様、励むつもりでございますゆえ、宜しくお伝え下さりませ」
胤栄は慇懃に頭を下げる。
しかし彼が顔を上げてみると、隆尚の顔は俯き、渋い表情に一変していた。
「栄華が、末永くか……」
隆尚はそう小声で漏らすと、胤栄から視線を外してしまった。
何か気に障る事でも言ったのだろうか? 案じた胤栄は、首を傾げ、その表情をを窺おうとする。
すると、突然隆尚は顔を上げ、真剣な眼差しで告げた。
「最後に二人だけで話がある。少し付き合え」
※ ※ ※
二人が向かったのは人気の無い、陣の近くの木陰だった。
薄いうろこ雲が空高く広がる快晴の中、木漏れ日が穏やかに差し込み、ここが戦場である事を忘れそうな程の
この様な場を選ぶとは、おそらく戦における秘密事項なのだろう。そう胤栄は推測したものの、隆尚が口にしたのは全く別の事であった。
「そなた、大内歴代の御当主八人のうち、真っ当な最期を迎えられた方が、どれだけいるか、知っておるか?」
「真っ当……でござりますか?」
「病を得てから亡くなるまでの間、畳の上で平穏に過ごせたという意味だ。答えは一人、六代政弘公のみ。その他の方々は、病死か疑わしかったり、敗死、討死、陣没など、平穏な最期を迎えられていない」
唐突な隆尚の問い掛け。
しかも尋ねておきながら、胤栄に考えさせる間を与えようとせず、どんどん話を進めてゆく。
「そなたは先程御家の栄華と申したが、西国最強の家と言われる大内家の御当主ですらその様な具合だ。この乱世、富貴を問わず命の危険は常に身近にある」
「つまり義隆様も例外ではないと、仰りたいのですか?」
「そうだ。差し詰め今の危険と言えば、尼子や山名、村上水軍や大友といった周辺勢力。それと──」
そこまで語ると、隆尚は胤栄の耳元に近づき囁いた。
「守護代殿や家臣達だ」
「えっ?」
「噂は聞いているだろう。陶殿が不満を抱いている事くらいは」
「…………」
聞いた途端、胤栄は押し黙ってしまった。
確かに新参の彼でも、その噂は耳に入って来ている。
大内家中における不満。
その原因は、天文十年(1543)の月山富田城攻めにおける義隆の采配にあった。
この戦いで義隆は自ら大軍を率いて遠征し、尼子氏の本拠、月山富田城へ迫っていた。ところがその最中に養嗣子恒持が病に倒れ、回復するまで二か月の間、長陣を余儀なくされてしまう。
さらにこの時、城内にいた複数の尼子方国衆達に対し、外に出奔する様、内応を取り付けていたのだが、彼らが大内勢の様子を見て翻意し、城内へと戻ってしまったのだ。
これに義隆は激怒し、戦闘続行は困難と判断して総退却を決断。
陸路、海路とで山口を目指したものの、追撃を受けて、海路では養嗣子恒持が溺死し、陸路では多くの将兵を失ってしまった。
我が子のためだけに、なぜだらだらと長陣を続けないといけないのか。
国衆達の調略に失敗した程度で、なぜ退却しなければいけないのか。
こうした不満が、大内家中には充満していたのだ。
「しかし、どうしてその話をそれがしに?」
「世間は御館様の事を、文弱の徒とか貴族かぶれ等と噂している。だが、あの方ほど、人生の多くを戦場にて過ごし、配下の者達の武働きを重んじておられる当主が、他にいるのだろうか?」
「…………」
「それを身を以て知っているのは、他でもない、わしとそなただ。もし、謀反を企む者達が家中で現れたのなら、御館様に助勢し身の安全を図って欲しい」
そう言って隆尚は胤栄の肩に、ぽんと手を置く。
「頼んだぞ、肥前のこれからを担う若殿よ」
曇りのない隆尚の微笑み。
それは胤栄を思わず承知して畏まらせた。
しかし出会って僅か数日の自分に対し、その様な打ち明け話をして良いのか。幾分困惑しており、彼の表情は固いままであった。
翌日、筑前へと帰っていく黒川勢を胤栄は見送る。真実を知ったのは、その一月余り後の事だった。
「えっ、亡くなられた⁉」
山口から遣わされた使者に対面した際のこと。
胤栄は思わず言葉を失った。彼から聞かされたのは隆尚の死であった。
使者の話によると、隆尚は筑前に帰った直後、所領と被官下人を嫡男鍋寿丸(後の宗像氏貞)に譲り、鍋寿丸を奉公させたいと大内家に申し出たという。
そして、大内家からその承諾を貰い受けた後、暫くして死去したと言う事だった。
胤栄は目を閉じ、そっと空を見上げる。
あの時、すでに隆尚は己の死を悟っていたに違いない。しかし、世を去る前に心残りが一つある。直属の将として引き立ててくれた恩人、義隆に凶刃が迫ろうとしていている事だ。
そこで大内家のために懸命に働いた実績があり、代官へと引き立てもらって恩義を感じている胤栄なら、義隆の盾になってくれるのではないか。そうした期待を抱き、彼は二人きりの密談に誘った。
あの時の打ち明け話は遺言だったのだ。そこに偽りなどあるだろうか。
使者が去った後、胤栄は陣中でしみじみと思い返す。そして大内家中の動向を今まで以上に注視し、危急に備える事を誓うのだった。
時は天文十六年(1547)、八月。
西国の人々を混乱の坩堝に陥れ、勢力図を激変させた、あの一大政変を四年後に控えていた。
※ ※ ※
「はあはあ…… おのれ、龍造寺、この恨み忘れぬぞ!」
「御館様、ここから更に急峻になります。滑落にお気をつけ下さりませ」
「おい待て! 裏道があると言うからついて来たのに、どこに道があるのだ⁉ 山の中を彷徨っているだけではないか! よくも騙したな、わしは戻るぞ!」
「なりませぬ! すでに城には敵が入り込んでおりましょう。これ、皆でお止めするのだ!」
「何をする! ええい、触るでない、離せ!」
そして十月十六日、冬尚はついに根を上げ、近臣達と共に勢福寺城を裏道から脱出。筑後へと行方をくらましたのである。
一連の戦いは、戦国肥前における転機になった。
これまで少弐家滅亡の原因は、大内の大軍勢襲来によるもの。しかし今回の敵は、大内の後援を受けていたとは言え、一国衆に過ぎない龍造寺である。かつて傘下に収めていた家にすら、もはや歯が立たなくなってしまった事で、その威勢の凋落ぶりは誰の目にも明らかであった。
逆に龍造寺の名声は轟き、再び東肥前の一大国衆へと伸し上がったのである。
手に入れたのは長い家の歴史に燦然と輝く大武勲。それを土産に胤栄が佐嘉城に帰還を果たしたのは、寒風が身に染みるようになった晩秋の頃であった。
ところが──
「すまなかった」
再会を果たした家族に、胤栄がまず口にしたのは高らかな戦勝の報告では無かった。
「わしがいない間、少弐の者がこの城でのさばっていたと聞く。それに多くの家臣を失ってしまい、皆には散々辛い思いをさせてしまった事、詫びねばならぬ」
深々と頭を下げる。その顔は達成感に満ちたどころか、憔悴の色がはっきり映ったものだった。
敗戦から流浪を経て、見知らぬ家中に加わって戦に明け暮れる日々。その苦労はどれ程だったのだろうか。彼の顔色から察した胤栄の奥方は、思わず涙ぐむと静かに切り出した。
「肥前に龍造寺による新たな秩序を築く」
「え……?」
「何を縮こまっておられるのです? 勝ったのです、めでたく本懐を成し遂げられたのです。もっと胸を張りなされ」
胤栄は目を丸くしていた。
諫言を振り切って挙兵してしまったこと。
主のいない城の中、先行きの見えない不安に駆られた日々のこと。
そうした溜まりに溜まった鬱憤をぶつけてくるのかと思いきや、はからずも励まされたのだ。さらに──
「ちちうえ……」
「おお、
胤栄は六歳になる娘、於安を見て頬を緩めると、呼び寄せ膝の上に座らせる。
背は少し伸びた。しかし人前だと恥ずかしそうに笑顔を見せるのは、城を出る前と変わらぬまま。そんな姿を見て安堵した胤栄は、思わず彼女の頭を撫でていた。
また他の家族も彼の帰還を歓迎し、誰も責めようとしない。
そこでようやく胤栄は悟ったのだ。自分は赦されたのだと。
そして皆を支えられるような、家の柱にならねばと心の中で誓うのだった。
するとその団欒の中、突然一人の家臣がやって来て
「申し上げます。水ヶ江御当主鑑兼様が只今お越しになられ、是非殿にお会いしたいとの事。如何いたしましょう?」
その報告に奥方は胤栄と顔を見合わせると、ふっと笑みを零した。
「まあ、兄上ったら、すでに日が落ちているのに駆けつけて来るとは。明日にすれば良いものを」
「とは言え、せっかく参られたのだ。断る訳にも行くまい。分かった。すぐに広間に向かうと伝えてくれ」
※ ※ ※
すっかり冷え込んだ夜の広間。そこにぽつんと待つ鑑兼を思いやり、胤栄夫妻は足早にやってきた。分家当主とは言え、胤栄にとって鑑兼は奥方の兄であり年長者である。その立場に敬意を払い、胤栄は上座に腰を下ろすと
「義兄上、お待たせして申し訳ござらぬ。長きに渡りご無沙汰しておりましたが、それがし今日、ようやく帰城する事が叶い申した」
「御帰還並びに御戦勝、真におめでとうござります……」
「いやいや、これも勢福寺城攻めにおいて、水ヶ江から派遣して頂いた助勢あってこそにござる。胤栄、このとおり御礼申し上げますぞ」
「御戦勝、真におめでとうござります……」
爽やかに一礼した胤栄の顔が途端に曇る。
鑑兼の返事は所々掠れどうにも元気がない。そして平伏したまま表情を見せようとしない。次いで奥方も声を掛けるが、やはり返ってくるのは同様の生返事だけ。
続かない会話に広間は再び静まり返ってしまった。もしかして彼の身に何かあったのではと思い、胤栄は俯いたその顔を覗き込もうとする。
すると、鑑兼は咄嗟に顔を上げ、目に涙を浮かべ訴えるのだった。
「惣領……!」
「は、はい?」
「どうか、どうか、それがしを哀れに思って、この城に暫く泊めて下さりませ……!」
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