第3話 先代胤栄の活躍(前) 大内の客将

何卒なにとぞ、お考え直し下さりませ!」

「ならん、もう下知してしまった事だ!」


 村中本龍造寺の本拠である佐嘉城、その主である胤栄たねみつの寝室において、一人の女性が頭を下げていた。胤栄の奥方である。


 少弐の威勢は未だ健在であり、討伐の兵を挙げるのは危険である。

 そう訴える彼女に対し、胤栄は耳を傾けてはいたものの、顔を背けたままであった。


「佐嘉は我が庭だ。それに頼周を討った我らの勢いは昇龍の如し。少弐はもはや成す術があるまい」


 語る胤栄は語気を強め、自信を漲らせる。

 そして小姓達に手伝わせつつ甲冑を身に着け終えると、「よし!」と一言気合を入れ、ようやく奥方の方を向いた。


「心配するな、必ず冬尚の首を手土産に帰って参る。この肥前に龍造寺による新たな秩序を築くのだ!」


 胤栄はそう告げて、きりりと引き締まった顔から、朗らかな笑みを奥方に向けて零すと、やがて軍勢を率い城を後にしたのだった。



 隆信の先代当主、龍造寺豊前守胤栄。

 父胤久たねひさの死去により、彼が村中家当主となったのは、天文八年(1539)八月、十五歳の時のこと。

 後に水ヶ江家から家兼の孫娘(家門の娘、鑑兼の妹)を妻に迎えている。


 その六年後、天文十四年一月に、例の龍造寺粛清の事件が起こる。

 彼も少弐家への屈服を余儀なくされたが、三月、家兼に呼応して挙兵。少弐に加担した神代くましろ氏の拠点、千布ちぶ城を攻め落とし、龍造寺の威勢回復に貢献している。


 だが彼はそれだけで満足しなかった。

 翌年一月、今度は西隣の小城おぎ郡にある西千葉家と手を組むと、打倒少弐の兵を挙げたのである。


 ただその挙兵は、龍造寺三家の体制を覆すものだった。

 これまでは三家の舵取りを家兼が担い、村中本家はその下で連携を図るというもの。だが馬場頼周を討ち取って以降、高齢の家兼は病に伏せる日が多くなっていた。

 

 本来、惣領であり本家当主である、自分の方が立場が上なのだ。家兼が舵取りを担えないのならば、彼の下に甘んじる必要はない。

 そう胤栄は判断し、他の二家に相談することなく、奥方の制止も振り切り、戦に臨んだのである。

 しかし──



※ ※ ※ 



「兄上、脱落する者が後を絶ちませぬ。もう少し速度を落としてお進み下され」

「…………」

「兄上!」


 現実は残酷だった。

 胤栄の軍勢は、佐嘉郡内にやってきた少弐勢と合戦に及んだものの敗北。結果、佐嘉城に帰る事が出来なくなり、筑前へと落ち延びる羽目になってしまったのだ。


 彼の背後からは弟、家就いえなりの小声の呼びかけが聞こえて来る。しかしそれに振り返ることなく、彼は疲れた体に鞭打ち、懸命に逃げ延びようとしていた。


「兄上‼」


 痺れを切らした家就の口調が次第に強くなってゆく。

 その憤りに配慮した胤栄は、ようやく足を止めると、ふうと一息ついて振り返った。


 彼らがいたのは、山内さんないと呼ばれた肥前と筑前にまたがる山岳地帯である。

 登り坂の真っ只中にいる彼らの眼下には、佐嘉郡の南から、有明海の水平線までを収めた景色が広がっていた。


 旅を楽しんでいる者ならば、その広大さに心奪われ、思わず立ち尽くしているだろう。しかし今や彼は落武者。そして山内は少弐に味方する神代氏の勢力圏内である。

 余裕など微塵もあるはずが無く、佐嘉城はどうなったのかと、その方角を不安気に眺めるのが精一杯だった。 


 やがてふらふらの家就がようやく追いついてくる。

 それを見て、胤栄はきびすを返して告げた。


「このまま行くぞ、脱落者は放っておくしかあるまい」

「お、お待ちくだされ。しばし休息を……」


 そして家就の懇願に耳を貸すことなく、疲れ果てた体に鞭打ち、再び獣道の様な悪路と格闘しながら山を越えていったのだった。



※ ※ ※ 



 しかし胤栄一行は運に見放されていなかった。

 彼ら頼ったのは西国屈指の大大名であった大内家。その家臣で筑前守護代だった杉興運の元へと向かったのである。

 そして胤栄来訪を知った大内家は、三月、一行の入国を正式に許可し、扶持を与え客将として待遇したのだった。


 大内家と少弐家は長年仇敵の間柄である。

 室町の世に入ってから、九州探題渋川氏の後援を名目に大内家は九州に進出し、豊前と筑前に影響力を及ぼしてゆく。

 その過程で本拠の大宰府奪還を狙う、少弐家との抗争を繰り返しており、敵の敵は味方という事で胤栄は厚遇されたのだった。


 以後、彼は大内傘下の将として活動する事になる。

 ようやく手に入った心身共に落ち着ける場。提供してくれた大内のために奉公に励まねばなるまい。心機一転そう彼は気合を入れていた。


 だが、その意気をへし折る一通の書状が、佐嘉にいる旧臣からもたらされた。


 ──敗戦の後、佐嘉城に残っていた者達は少弐に降伏した


 悲報に胤栄は項垂うなだれるしかなかった。

 おそらく城では、差し押さえにやってきた少弐の者達がのさばっているはず。粛清からようやく取り戻した日常は、再び壊されてしまったのだ。領民は、妻は、娘は皆無事なのだろうか。

 

 その原因は間違いなく己の見通しの甘さだ。

 もしあの時、奥方の制止に耳を傾けていたら、与賀家や水ヶ江家と連携を図っていたら、少なくともこの最悪な結果は回避できたであろうに。

  

 しかしあれこれ悔やんでも現実は変わらない。

 今は大内家に認めてもらい、帰郷を果たせる様に懸命に励むしかないのだ。

 そう胤栄は覚悟を決め、大内勢の中に身を投じ、西筑前や東肥前に出没する少弐方との戦に明け暮れていった。



※ ※ ※ 



 だが、その日々も決して無駄なものではなかった。


(何だ、あの隊の強さは⁉)


 とある少弐方の拠点を攻めた時のこと。

 大内勢の中において抜きん出た働きぶりを見せる一隊に、胤栄は目を奪われていた。


 乱戦の中から敵勢の弱点をいち早く見出し、そこへ戦力を集中させ崩す。そして攻めに転じると遮二無二だった。奪った主導権は決して手放さない。

 迅速は相手の百の手段を封じると言うが、その言葉どおりの戦いぶりだ。おそらく率いている将は類稀たぐいまれなる戦局眼の持ち主。また、その指揮に応えられる配下の者達も、相当な場数を踏んでいるに違いない。


 彼らの旗指物には大内菱が印されている。大内一門にあのような、戦上手がいたとは──

 興味を抱いた胤栄は、共に参陣していた将の一人に、あの隊を率いているのは誰かと尋ねてみる。

 すると、その将はひどく驚いて返答するのだった。


「何と、貴殿は御存じないのか、黒川様を?」

「黒川様?」



 黒川隆尚たかなお

 元の名を宗像むなかた正氏ただうじと言い、筑前の宗像大社の大宮司を務めた人物である。

 大内家に仕え、特に軍事面においてその才を発揮。大内家当主の義隆は彼を高く評価し、大内家の本姓である多々良姓と、一門黒川氏の名跡、更に自身の「隆」の一字を与えている。


 以後、彼は義隆直属の一門格の武将として各地の戦陣に身を投じてゆく。

 天文元年から三年間続いた大友家との戦いにおいては、筑前筑後を転戦し、特に要害立花山城を調略をもって攻略するという大功を挙げた。


 また天文十年、尼子勢が毛利氏の吉田郡山城に押し寄せた際には、尼子に寝返った厳島神主の友田興藤を水軍を率いて打ち破り、厳島を占領している。



 胤栄は、遠方からその軍勢の動向を凝視していた。

 佐嘉にいては見る事の出来なかったであろう、戦場における生きた手本。それを間近に見れた事は、彼の人生において大きな財産となったのだ。



※ ※ ※ 


 

 そして翌、天文十六年(1547)早々、胤栄は山口へ向かった。義隆に面会し、少弐討伐の許可を貰うためである。

 

 義隆は天文十年(1543)に、出雲尼子氏の本拠、月山がっさん富田とだ城を攻めて手痛い一敗を喫する。

 だが一月もすると失意から立ち直り、戦後処理や尼子勢の襲来に備えて防衛体制を築くなど、以前と変わらず精力的に政務をこなしていた。

  

 好調な石見銀山からの上納銀、遣明船派遣からもたらされる莫大な利益。

 それらを以て朝廷に献金し、自身と家臣が昇進する事で高まってゆく権威。

 そして繁栄と権威を聞きつけて、京都から下向してくる公家や文化人達。


 彼の手腕により、大内領国は再び元の威勢を取り戻しつつあった。結果、兵馬を遠征へ赴かせる余裕が出来たのだろう。この頃から義隆は尼子に寝返った備後の国衆、山名氏の攻撃を本格的に始めている。

 

 その西国最強の兵馬の力添えを、ぜひ佐嘉奪還のために賜りたい。

 胤栄の訴えが功を奏したのは三月の事だった。大内家は胤栄の働きぶりを認め、彼を肥前国代官に命じ、四月には佐嘉郡内五千町、その他に千町、計六千町を恩賞として与えた。そして少弐家討伐のための軍事活動を行うと伝えてきたのである。


 破格の恩賞と言っていい。

 大内家は肥前守護職を持っていないので、代官と言う名称を使ったのだが、肥前を統治する権限を彼に認めた事に変わりはない。

 また所領についても多くは未だに少弐家の威勢の下にある。なので六千町と言う数字については、「少弐家と傘下の者達を討てば、その領地を切り取り次第与える」と言う意図を含んだものだった。


 やがて筑前に戻った胤栄に、作戦の詳細がもたらされる。 

 その陣容を見て、彼は思わず声を上げた。龍造寺後援を命じられた軍勢の大将に、あの黒川隆尚が任命されていたのだ。


「良かったですな、兄上!」

「ああ、手筈は整えた。以前と同じ轍を踏んでなるものか。必ず佐嘉をこの手で取り戻すのだ!」


 笑顔の胤栄兄弟は、互いに頷き合う。

 そして七月、彼らは大内から与えられた一軍を率い、肥前の東端へと侵攻していったのだった。


 目指すは少弐氏の本拠、勢福寺城の陥落。

 龍造寺豊前守胤栄、一世一代の逆襲が始まろうとしていた。

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