第2話 円月のころ

 さて、この小説は東肥前の国衆達を巻き込んで勃発した、龍造寺家の御家騒動を、龍造寺惣領である隆信を中心に描くものである。


 しかしその前に、水ヶ江みずがえ家出身の彼が、なぜ村中家の当主と成り得たのか。当時の佐嘉の政情や、龍造寺家の内情を交えつつ、幼少期からその経緯を振り返ってみたいと思う。



※ ※ ※ 



「何じゃと、長法師丸ちょうほうしまるが出家⁉」


 水ヶ江城にあった城館の一つ、中館なかんたち

 その居間に隆信の父、周家ちかいえと母、御方おかた、そして長法師丸(隆信幼名)の乳母の三人が集まっていた。


 驚愕の声を上げた御方を前にして、周家は平然と語る。


「まだ決まった訳ではない。候補に上っているだけだ」

「なぜ即刻断らなかったのじゃ⁉」

「そんなこと出来るか、これは殿の直々の御差配だぞ!」



 天文五年(1536)、享禄二年(1529)に生まれた長法師丸が、七歳になった時のこと。

 龍造寺分家の水ヶ江家に一つの問題が起こった。

 水ヶ江城から一里半余り(約6.3kmほど)西にある宝琳院ほうりんいん、そこの住職を務めていた周家の弟、豪覚が病に倒れたのだ。


 その容態は、回復と悪化を繰り返すばかり。

 憂いた当時の水ヶ江家当主家兼いえかねは一つの決断を下した。豪覚が亡くなった場合に備え、後継者を育成するべく、一族の誰かを彼の弟子として出家させようと。

 その候補の一人に、当時、周家夫妻の唯一の男子(※1)であった、長法師丸が入っていたのである。


 報せを周家から聞いた御方は、頬を膨らませ憤る。


「気性の荒いあの子に、住職など務まると思うか? 孫九郎(龍造寺一族、後の鑑兼あきかね)にでも、押し付けておけば良いではないか」


「宝琳院は先々代から当家の者が住職を担ってきた、縁の深い寺だ。いずれ一族の誰かが後を継がねばならぬ。豪覚より年下で元服していない長法師丸なら、弟子として育てるのに持ってこいと言う訳だ」


「それはそうだが…… だからと言って、はい分かりましたと、すんなり頷ける問題ではあるまい。我らの跡取ぎはどうなるのじゃ⁉」

「さあな、それについては、また我らで頑張ればいい、とでもお考えなのであろう」

「そんな簡単に子が成せるなどと……」


 思っているのなら無神経過ぎる。

 呆れた御方はきびすを返し、その場を去ろうとする。


「おい待て、まさか、殿に直談判しに行くのではあるまいな?」

「そうじゃが、何かまずいのか?」

「拙いに決まっておるだろう! 殿の機嫌を損ねたらどうするのだ!」



 殿こと龍造寺家兼。

 当時、八十三歳になる彼は、未だ水ヶ江家当主として現役であり、九州の大大名にまでその名が知れ渡る程の実績を持つ、一族の重鎮だった。


 弱小国衆であった龍造寺家は、長年、北九州の名門、少弐しょうに家の傘下に属していた。

 家兼はそこで頭角を現し、少弐家先代の当主、資元すけもとの重用に応え、戦功を積んでいく。

 

 特にその名を轟かせたのが田手畷たでなわての戦いや、三津山みつやま籾岳もみだけの夜襲。当時、西国一の威勢を誇っていた大内氏の軍勢を、二度にわたり撃ち破ったのである。

 結果、水ヶ江家の威勢は、次第に上昇し、村中本家を超えて、少弐家中で並ぶ家がいない程、強大なものになった。

  

 そして家兼は、他の龍造寺二家──村中本家や与賀よか家に対しても、大きな影響力を及ぼしてゆく。

 その政策の一つに三家間の通婚があった。家の当主や次期当主に、他家の当主の娘を嫁がせ、家同士の繋がりを強固にするのである。

 

 周家と御方の結婚もその一つ。

 ゆくゆくは水ヶ江家の当主となる周家と、村中本家の先代当主、胤和たねかずの娘である御方。

 二人の行く末は、家兼の胸三寸で決まる。周家は、彼の心証が悪化するのを恐れていたのだ。


 周家は慌てて御方を追い、その袖を掴むとなだめて座らせる。

 そして隆信の乳母に向き合った。


「そこで、そなたに尋ねたい。武士に必要な素質の中で、長法師丸が他の子より抜きん出ていると、思われる点はどこだ?」

「抜きん出ている……? 若君と言えば、やはりその体格とか力自慢になりましょうが、それがどうかなされたのですか?」


「その長所をな、何らかの形で殿に披露するのだ。そうすれば心証が変わり、武士として、手元に置いて育てたいと思うのだが、どうだ?」


「ははあ、成程。ならば体格や力自慢では、拙うございます。すでに殿も御存じかと」

「そうだ。だから困っておる。他に何かこう、意外性のある物だと良いのだが」


「では、軍記物をそらんじては、如何でございましょう?」

「軍記物……?」 

「はい。ここ最近は平家物語を、侍女に命じて、夜な夜な読み聞かせておりまする。これに若君は大変興味を持たれ、詳細を尋ねられたり、諳んじたりしておられるとか」

「おお、それだ!」



※ ※ ※ 



 それから数日後──

 東館ひがしんたちに暮らす家兼が、周家と御方達が住む中館に、ふらりとやって来た。

 家臣から、彼の姿を見たと報告を受けた周家は、慌てて皆に知らせると、佇まいを直して家兼を出迎えた。


「これはこれは殿、夜半にも関わらず、ようこそお越し下さいました」

「何、夜風にあたっておったら、急にひ孫の顔が見たくなってな。長法師丸は元気にしておるか?」

「はい!」


 居間に長法師丸の元気な声が響く。

 加えて巨躯であり、鋭い眼光を持っていた彼は、その年に似合わない存在感が備わっていた。 

 家兼はその様子を見て、うんうんと顔を綻ばせて頷いている。

 頃合いだと思い、周家は、読み聞かせの話を切り出した。



「……と言う訳で、長法師丸は好んだあまり、平家物語の所々を諳んじるまでになったの事。是非殿もお聞きになって下さりませ」

「ほう、それは興味深い。長法師丸、どこの部分が好きなのじゃ?」

「はい! 特に壇ノ浦の場面が好きで、覚えてしまいました!」


 そう言って長法師丸は、壇ノ浦の戦のくだりを暗唱し始めた。


「さる程に九郎大夫判官義経、周防の地におしわたって……」


 周家と御方は、注意深くその様子を見守る。

 事前に長法師丸には出家の話を伝えておいた。そなたの将来が掛かっている。武士として、戦場で活躍したいのであれば、すらすらと出来るまで覚えよと。


「白旗につけ、と御託宣ありけるを、なお疑いをなして……」


 だが、まだ七歳の子なのだ。見知らぬ物事、理解出来ない概念が、多数文章の中に散らばっている。それらを呑み込んで暗唱し続けるのは、一筋縄ではいかないだろう。


「梶原申しけるは、今日の先陣をば景時にたび候へ……」

 

 だから段落を四つ五つほど出来れば、充分殿も認めてくれるはず。

 周家は内心そう思っていた。


 ところが、長法師丸の口は一向に止まらなかった。

 互いに譲らず、刀に手を掛けて対立した、義経と梶原景時の先陣争い。

 極楽浄土へお連れすると、涙を抑えて語った二位殿と、幼い安徳天皇の入水。

 さらに、敵方の武勇優れた三人の武者と組み、入水を遂げた能登守教経の最期。

 そして──


「潮に引かれ、風に従って、いづくをさすともなく、揺られ行くこそ悲しけれ」


 幾つかの段落どころか、壇ノ浦の戦の下りを、彼は最後まで暗唱しきってしまったのだった。



 居間は静まり返っていた。

 長法師丸の頭は、物語と軍略を貪欲に求めている。

 そして、真綿が水を吸い込むかの様に、それを吸収する能力がある事を、証明してみせたのである。


 思わず破顔した家兼は、膝を叩かずにはいられなかった。


「何と言う事じゃ! これ程の長さを滔々とうとうと諳んじるなど、大人でもそうそう出来ん。天晴じゃ長法師丸!」

「ありがとうござります、大爺様!」

「そうか、そなたにこの様な才があったとは…… これは、活かさない訳にはいくまい!」


 目を丸くしていた周家と御方は、家兼のその言葉で我に返った。

 そして互いに視線を交わすと、顔を僅かに綻ばせる。

 長法師丸は、作中の武者の様に自分も戦場に立ち、活躍する事を望んでいる──

 それを訴えるのに充分過ぎる出来栄え。家兼も考え直してくれるかもしれない。

 

 だが、そこで家兼は夫妻に向き合うと、晴れ晴れとした表情で、二人の期待を粉砕するのだった。

 

「一子出家すれば必ず仏乗(※2)を悟り,九族天に生ず(※3)」

『え……?』


「二人とも、わしのはらは決まったぞ。この子の記憶力は唯一無二。間違いなく、家を繫栄に導く、高僧となるであろう!」



※ ※ ※ 



 時は移り、天文十四年(1545)四月。

 長法師丸が出家して円月と号し、宝琳院の住職を務め始めてから、八年の歳月が流れていた。


 出家した後は、僧として住職としての務めを果たす傍ら、漢籍や仏典などの書物を熟読し教養を身に付けていった。

 十二、三歳頃になると品格も備わり、才能を顕して、頭脳明晰、力量抜群と評されたという。



 その一方で、彼が怪力の持ち主だった事を示す、逸話が残っている。


 円月が十五歳の時、寺の僧が付近の住人達と喧嘩して、寺に逃げ帰って来た。

傷や痣を体中に負いながらも、彼は慌てて門を閉ざし中で震えていたと言う。


 やがて追いかけて来た住人、六、七人の怒声と、押し破ろうとしてぶつかる音が、門の外で響く。その様子を聞きつけてやって来たのが、円月だった。

 そして──


「ぬおおおおおっ!」


 震えたまま見ていた寺の僧は、目を疑った。

 押さえつけた門の扉が外れ、住人達の上に覆いかぶさっていたのだ。


 扉の下敷きになった住人達は、何とか脱出するも、目の前に立ちはだかっていたのは青年円月ただ一人。

 まさか、この者一人だけで扉を倒したのか──

 恐れをなした住人達は逃げ出していく。その一部始終はたちまち近隣で噂になっていったという。



 しかし、こうした彼の能力を活かす場は限られていた。

 かつて自分に仕えていた小姓や、同年代の家臣の子達は、次々と元服し大人の仲間入りを果たしていく。


 対して、自分は寺に取り残されたまま。

 それは水ヶ江家が、少弐冬尚と馬場頼周による粛清に遭って、働き盛りの一族を多数失っても変わる事は無かった。



「おお、ここに居られたか」

「ん……何だ源舜か、今瞑想しておる最中だ。急用でなければ後にいたせ」

「瞑想? 気分良さそうに寝そべっている方が、言う台詞でござるか?」

「気分など良い訳があるか」


 春の麗らかさに包まれた、宝琳院の一室。

 そこにいた円月は、やってきた源舜の前に一通の書状を投げ渡した。

 源舜とは、円月の兄弟弟子で、龍造寺家に従う佐嘉川副かわぞえの地侍、太田家出身の者である。


 書状には、家兼が水ヶ江城に返り咲き、小城に軍勢を送った末、粛清を企てた張本人、馬場頼周を討ち取った事が記してあった。


 源舜が読み終え顔を上げると、それを見て円月も上体を起こす。

 そして不貞腐れた声で呟いた。


「これ程の大戦なのに、わしは馳せ参じる事も許されず、寺の中で悶々としておらねばならん。それが悔しくてならん」

「そう申されますな。ここの住職を務めるのも立派な御働き。円月様にしか出来ぬ事でございましょう」


「ふん、大爺様はわしを買って出家させたと思っていたが、本心は邪魔だったのであろう。義教よしのりと同じようにな」

「義教?」


 義教とは、幕府六代将軍だった足利義教の事である。

 三代将軍義満の子であったが、後継者候補から外れた彼は、一時仏門に入れられていた時期があったのだ。


 その目的は後継者争いの抑止。

 僧となれば妻は持てず、子を成す事も出来ない。その生は一代限り。

 だが、寺で身に付けた仏法や教養は、家の経営において大いに活きる事になる。

 円月は、自分もこの道理の上で住職にさせられた、と思っていたのだ。



 一方、彼の境遇とは逆に、佐嘉の政局は目まぐるしく変化していった。

 翌天文十五年(1546)、今度は村中本家の胤栄たねみつが、佐嘉郡の西隣、小城おぎ郡の西千葉家と手を組んで、少弐打倒の兵を挙げる。


 だが、その決断は結果的に誤っていた。

 一月、胤栄率いる村中龍造寺勢は、佐嘉に出撃してきた少弐勢と合戦。

 敗れて退路を断たれ、筑前への逃亡を余儀なくされてしまったのだ。





※1 周家と御方の男子には、長信(慶法師丸)もいるが、この時はまだ生まれていない

※2 この世に生きる、全ての者を成仏させる仏の教え

※3 九族(自分を中心に、先祖・子孫の各4代を含めた9代の親族。高祖父母・曽祖父母・祖父母・父母・自分・子・孫・曽孫・玄孫)が天に生まれ変わる事が出来る、という仏教の教え

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