第1話 没落と滅亡の狭間

 戦国時代、肥前国──今の佐賀県と長崎県を併せた地域(対馬、壱岐を除く)でのこと。

 その東部、有明海に面した佐嘉さが郡に、佐嘉城(村中城)と呼ばれた小城があった。

 

 時は天文二十年(1551)十月二十五日。

 城の中で一人の若い大男が立ち尽くしていた。

 彼の眼前に広がっていたのは、城の周囲を埋め尽くした無数の軍勢。

 その中にあって、軍勢がどこの家のものかを印した、旗指物が彩りを添えて翻っている。


 烏合の衆とは言えよくかき集めたものだ、と大男は思った。

 この城を本拠とする国衆、龍造寺家の惣領を滅ぼすべし。

 そう目論んだ者と結託し、肥前各地からやって来た国衆達の包囲勢は、詳細までは不明だが、おそらく数万に達しているだろう。


 どこか包囲が手薄な所はないものか?

 藁にもすがる思いで、大男は近臣と共に城の四方に出向いて探す。

 だが、蟻一匹通さないとは正にこのこと。城のどこから眺めても、包囲されていた光景は変わらなかった。


(何たる事だ……)


 歩みを止めた彼は、思わず俯き城壁を殴っていた。

 だが彼は城主にして惣領である。そんな事をしても、下々の者達を狼狽うろたえさせるだけ。すぐに気持ちを切り替え、気丈に振舞うべく顔を上げる。


 とそこへ大柄で壮年の女性が、侍女と共に早足に駆け寄って来た。



「隆信、これは一体……」

「見ての通りにござる。ああ、母上は二度目でござりましたな。もう見飽きたものでございましょう」

「冗談を申している場合か、如何いかがするのじゃ?」

「心配なされますな。今から遺書をしたためて参りますので」


 苛立ち交じりに隆信は返事すると、母──御方おかたと目を合わせることなく、その横を通り過ぎて行こうとする。

 しかし、彼が一瞬露わにした自虐的な笑みを、御方は見逃していなかった。


「これ待て! そなた、城を枕に討死するつもりか!」

「無論にござる。されど、死ぬのはそれがしと、その気がある者達だけで充分。母上を含め、城内の者は助命してもらえる様、あの者達に使者を遣わしましょう」


 隆信は城外にいるあの者達・・・・の所へ視線を向ける。

 そこには、同族である龍造寺家の家紋、日足ひあし紋の旗印が掲げられていた。


鑑兼あきかねめ……」


 吐き捨てる様に隆信は呟く。

 佐嘉城を包囲しているのは、肥前各地の国衆達だけでは無かった。

 龍造寺一族の中にも、隆信憎しで敵側に回った者がおり、さらに旗頭に祭り上げられたのは、龍造寺分家、水ヶ江の当主である鑑兼だったのだ。



 当時、佐嘉郡を本拠としていた龍造寺家は、本家である村中龍造寺と、分家の与賀よか龍造寺、水ヶ江みずがえ龍造寺の三家に分かれていた。


 隆信は水ヶ江家の出身である。しかし三家の惣領たる村中家当主が病死し、後継者がいないため、要請を受け惣領に就任した。

 しかしいざ治政を始めてみれば、わずか三年で城は包囲され、その身と家は滅亡に瀕する有様。彼の惣領就任については、異を唱える者達の不満が残っており、それが募った結果、この事態を招いてしまっていた。


 だが、今更後悔してももう遅い。

 隆信は諦めを抱きながらきびすを返し、館に向かおうとする。


 すると、そこへ納富のうどみ信景と福地信重、二人の重臣が、隆信の元に駆け寄ってひざまいた。


 

「申し上げます! 只今城門近くにて、敵方の小田家家臣、深町理忠まさただと申す者が、開城を勧めに参っておりまする!」

「開城? 信景、その条件は?」

「それが、主、小田政光を通じて、城を囲む諸将を説得させたゆえ、安心して開城なされよと!」


「どういう訳だ? 何も条件なしに、このまま城から落ち延びてよいと申したのか?」

「はっ、今日は敵と言えども、明日は味方となるのが侍の常。籠城に苦労されている姿は、見ていて痛ましいもの。よって主、政光に掛け合って参った、と奴は申しておりました」


「何と…… 渡りに舟とは、まさにこの事じゃ!」


 思わず声を弾ませた御方が、隆信と信景との間に割って入る。

 彼女だけではない。周囲にいた近臣や侍女達の中からも、感嘆と安堵の声が漏れていた。しかし──


「直ちに断って参れ」

「えっ……」


 絶句する信景と信重。

 対して、隆信はいぶかし気な表情を崩していなかった。

 

「ふん、その渡り舟は、おそらく三途の川行きだ。我らを安心させて城外へ誘い出し、そこを包囲して討ち取る魂胆なのであろう」


「何を申すか、そなた、こんな有り難い申し出を、無下にするのか⁉」

「侍たるもの、謀られて惨めに殺されるより、落城と共に果てた方が名誉にござる。それに母上はもう忘れられたのか? これは頼周よりちかの手口と全く同じでござろう!」



※ ※ ※ 



 龍造寺一族は、忘れ難い凄惨な事件を、五年前に味わっていた。

 少弐しょうに冬尚ふゆひさと、馬場頼周による一族粛清である。


 それまでの龍造寺は、水ヶ江家当主であり、一族の重鎮でもあった家兼いえかねの手腕により、佐嘉郡及び西隣の小城おぎ郡へ、威勢を少しずつ拡大していた。

 これを危惧したのが、当時、龍造寺家を傘下に収めていた少弐家の当主冬尚と、その重臣馬場頼周だった。


 彼らは一計を案じた。まず西肥前の諸勢力をわざと背かせて、その討伐を龍造寺に要請。その裏で諸勢力に襲撃を伝え、待ち伏せさせたのである。

 結果、龍造寺勢は各地で敗れ、多くの将兵を失ってしまう。

 そして機を逃さず、冬尚は肥前の国衆達に命じて、龍造寺三家の城を包囲させた。その数は合わせて三万にも達したという。


 窮した家兼は、開城を勧めに来た馬場頼周と交渉。

 結果、謝罪のため、一族家臣達を冬尚の元へ赴かせる事を条件に、水ヶ江城の明け渡しに応じたのだった。


 ところが、城から出てきた一族家臣達を待っていたのは悲劇だった。

 冬尚の居城、勢福寺城の近くで、少弐勢の待ち伏せに遭い、多数の者が戦死。

 ここで隆信の父であり、御方の夫でもあった周家ちかいえも落命している。

 さらに筑前へ向かおうとして別行動を取っていた、家兼の子家純、家門達も、與止日女よどひめ神社にて、襲撃を受け戦死を遂げた。


 二か月後、筑後に逃れていた家兼は、九十二歳という高齢でありながらも、旧臣達の支えを受けて挙兵。水ヶ江城に返り咲き、馬場頼周を討ち取って、一族の仇討ちを果たす事になる。

 だがこの粛清の損失は大きかった。特に水ヶ江家は、家の中軸を担っていた一族六人に加え、重臣達も失っており、その傷を未だに引きずったままだったのだ。



※ ※ ※ 



 粛清が起こった時、隆信は、龍造寺に縁のある近くの寺、宝琳院で住職を務めていた。なので城の包囲や、粛清の現場には立ち会っていない。

 その彼は、粛清の二の舞になる事を恐れていた。


 しかし、城の包囲や、家兼と共に筑後に逃れた経験を持つ御方は、隆信の危惧に異を唱える。


「あのな、落ち着け。その者の提案は善意によるものじゃ。頼周の様な、見た目から悪人面しておった奴と、同じに考えるではない」


「果たしてそうですかな? 顔は人の生き様を写すもの。そやつが頼周同様の悪人面なら、きっと腹の中でも同じことを企んでおりましょう」

「ならばそやつの顔を見てから、判断しようではないか」


 親子の間に不穏な空気が漂う。

 だが睨み合っていても仕方ないので、二人は深町の人相を確かめるべく、城門の様子が見える城壁の近くまで出向いていった。


 するとやはり城門の前には、仁王立ちしたままの深町の姿が窺えた。

 すでに剃髪していた彼の顔は、多くの皺を刻んでいながらも、輪郭がはっきりしていて、清々しさを感じさせている。

 そして老体ながらも健在であった腕や足腰の逞しさと、角ばった顎からは、威厳が十二分に伝わって来ていた。


 御方はその様子を見て指差すと、隆信に得意気に告げる。


「ほれ見よ、あの面構えを。義経に最期まで付き従った忠臣、弁慶の如しじゃ」

「確かに太刀を奪うべく人々を襲った極悪人、弁慶にそっくりにござる」

「ああ?」

 

 思わず御方は、隆信を睨みつけていた。

 そして頬を膨らませながら彼の正面に立つ。こうなると、もう他の者は視野に入らなかった。

 

「そなたはいつもいつも…… なぜひねくれた物言いしか出来んのだ!」

「仕方ありますまい。この乱世、人の表裏を見抜けない、言われた事を鵜呑みにするなど、ただの迂闊うかつにござる」

 

「迂闊と言うが、そもそもそなたが「九州を制圧して、中国四国に進出したい。五年程あれば達成できるだろう」などと、迂闊な大口を叩くから、皆が呆れて、こんな事態になったのではないか!」


「惣領であるそれがしを、皆が侮っておったから、覚悟を示したまで! それを迂闊と断じるのは、母上の言葉と言えども捨て置けませんな!」


「もっと相手の心情を考えよ! 体と声だけでも充分大きいのに、吐く言葉まで大きくしてどうするのじゃ!」

「体と声が大きい⁉ それは生んだ母上のせいではござらぬか!」


 親子喧嘩が次第に熱を帯びてゆく。

 その収まりそうにない状況に、近くにいた者達は狼狽え、城外の敵兵は嘲り笑い始めた。


 そして城門前にいる深町も、こちらに軽蔑の眼差しを向けている。

 交渉相手にこちらの内情が漏れてしまうのはまずい。

 察した信景は、いがみ合う二人の間に割って入ったが──


「あの…… 恐れながら、深町への返答は如何いたしましょう?」

「うるさい!」

「やかましい!」


 と二人に一喝され、一番小声の彼は不条理を味わうのだった。


 結局、主隆信の指示を受け、信景と信重は断りに赴くことになる。

 しかし、すぐに二人は戻ってきた。


「殿、深町は「これは断じて偽りではない。疑うのであれば、自分が人質となって城内に入る覚悟がある」と申しております」

「ほう?」

「さらにその証として、これを預かって参りました」


 報告した信景から隆信へ差し出されたのは、深町の太刀だった。

 刀は武士の魂。それを預けた彼の覚悟は、ついに隆信を動かした。


「……分かった。そこまで申すのならば奴の言葉を信じてみよう」



※ ※ ※ 



 こうして城門はついに開かれた。

 城内にいた隆信他二百余人は、城を包囲勢に明け渡し、落ち延びてゆく事になったのである。

 一行は襲撃に備え、槍の柄を短く切った物を、皆の手に掲げさせて、数万の包囲勢の中を押し通ってゆく。その心境は、まさに虎の尾を踏む心地だったと言われる。

 

 やがて佐嘉城下を抜け南の郊外へ。

 隆信はそこで歩みを止めた。向かう当てが無かったのだ。

 そしてそれを考えるだけの、時間と気持ちの余裕も無かった。

 すでに夜のとばりは下りてしまっている。さらに吹きつける木枯らしが、心細さに追い打ちを掛けていた。


 不意に一行の中に埋もれた幼女と目が合う。

 だが、彼女の顔面の青白さに気付くと隆信は思わず目を逸らした。

 あの子をこんな目に遭わせたのは自分だ。それは充分理解している。

 しかし、これから彼女を、皆を連れて、どこへ向かえば良いのだろう?


 そして、どこで御家の舵取りを誤ってしまったのだろう?

 この世に生を受けてから、今日の没落まで二十二年余り。

 失意の中彼は、その間に起きた御家と己の身に関する出来事を、思わず振り返らずにはいられなかった。

 

 


 

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