妖怪の辞書に遠慮の二文字はない 2

 

 その音に肩をびくつかせた二階堂が室内を見回す。


「な、なに、今の大きな音」

「……さあ、なんでしょうね」


 お冠のぬりかべの仕業である。

 床近くに出した手のような突起で床をぶっ叩いたのだ。ぬりかべは体のどこからでも自在に短い手を出せる。

 さておき、早く依頼人を蔵から追い出せといいたいのだろう。さすがに汚れた魂持ちを長々と好きにさせすぎた。

 迅が振り返る。普段より二割増しで眼を吊り上げたぬりかべが立ち塞がり、その背後の蔵神は窺えない。

 なんにせよ急いだほうがいいだろう。

 二階堂は、愚痴の合間に親から封術師がなんたるか聞き及んでいるといっていた。ゆえに説明は最小限で済ませ、ともに戸口に向かう。


「あの、どのくらいで組紐ってできます? 明日にはできますか」

「申し訳ありませんが一週間はかかります」

「……わかりました」


 超絶不満げな二階堂が、玄関の網戸を開けた。

 そこにまたしても、人が立っていた。

 暗かったせいもあり、ぶつかりかける。


「ちょっとッ、」

「すみません、お怪我はありませんか?」

「……だ、大丈夫。気にしないで、私のほうこそごめんなさいっ」


 荒い罵声が、上ずった猫なで声に豹変した。この変わり身の速さから、容易に相手の想像がついた。

 二階堂越しに見ると、案の定、若い男性だった。細身ながらも、なかなかの男前である。

 二階堂は極めつけにその長い髪の先を弄り、上目で媚びる態度まで惜しげもなく晒す。それを受けた男性は、若干引いている。

 どうやら二階堂は、好みの異性相手だと百八十度態度を変える、最も同性に忌み嫌われるタイプでもあったようだ。

 たとえ咄嗟に出てしまう本音を完璧に封じたところで、人間関係改善は厳しいだろう。



 ◇



 白々と灯る裸電球のもと、胡座を搔いた男三人が囲炉裏を囲む。

 気まぐれな小豆洗いだが、二人目の依頼人にも付き合うらしい。

 迅の対面には、先刻入れ違いで訪れた三田村と名乗った男がいる。細身だが相当鍛え上げているであろう体躯、隙のない立ち振る舞いで、その顔つきから生真面目さ、かつストイックさが窺えた。何かしら武道でも嗜んでいそうな雰囲気である。

 そんな三田村が、強い決意を秘めた視線を寄越してきた。


「太りたいんです」

「……そうですか」


 他にどういえと。

『暴飲暴食をやめたい』なら、お任せくださいと胸を張って応えられる。だが『暴飲暴食できるようにして』の場合、他を当たってくれとしかいえない。

 封術師について、噂を聞きつけて訪れたといったわりに、勘違いしているのだろうか。


 三田村が悲壮な表情になった。そうするといやに庇護欲を誘う顔になる。二階堂が異様に意識していたのはわからないでもない。いかにも歳上の女性にモテそうである。

 内心で感心する迅を三田村が見やり、一瞬その目に嫉妬の色を乗せた。

 時折他者から向けられる目つきだ、珍しくもない。


「俺、筋肉もつきづらいんです」

「……そうですか」

「しかも太れない体質なんですっ」

「……はあ、なるほど」

「もう少し親身になってあげてもよろしいでしょう。こういう体質の方はどれだけ鍛え上げようと、貴公のような逞しい肉体にはならんのですよ」

「っ……」


 呆れた小豆洗いの横やりに、ついいつもの調子で答えてしまうところだった。己は単に筋肉がつきやすい体質なだけで、それは生まれつきであり、変えようもないものだと。


 迅には、人ならざるモノが人間と同じように鮮明に視えている。


 ゆえに人と同じように彼らと接するのは当たり前だが、視えない者にとって、そのやり取りは奇異に映るのだと理解している。

 幼少期に早々に気づき、極力徒人ただびとの前では、何も視えていないように振る舞うのが常だ。

 それが正直、嫌で仕方がない。

 けれども人間関係を円滑に行うためにはやむを得ないことだった。何よりこの地は、人ならざるモノに寛容な故郷とは勝手が違うからだ。


 迅が詫びの気持ちを視線に乗せると、それを受けた小豆洗いがにんまり嗤う。


「お気に召されませんよう」


 口許を袖で隠し、クフクフと声を漏らした。気を悪くした様子はなくて、迅が胸をなで下ろす。

 そんな間近で行われている応酬を、何一つ気づかない三田村が言葉を続ける。


「ただでさえ痩せているのに、身体を鍛えるのをどうしても止められないんです」

「ああ、鍛えたくなる欲のほうを封じてほしいんですか」

「そう、そうです!」


 我が意を得たり、とばかりに三田村が軽く身を乗り出してきた。切実な願いらしい。そっちならば、お安い御用である。


「わかりました。一応伺いたいのですが、身体を鍛えすぎて何か問題でも出ているのですか」

「あ、いえ、肉付きがよくなれば、か、彼女が、俺のことをもっと好きになってくれるかと……」

「なるほどねえ」


 小豆洗いがしたり顔で頷く。

 お前、恋ばなに食いつくタイプか。

 そういいかけたものの、迅は喉元でぐっと抑えた。

 小豆洗いが顎をさすり、ニタニタ嗤う。


「それで、お相手はどのような女人なのですかな」

「同じ会社の方で、最近付き合い始めたばかりなんですけど、花のように美しい女性でして」

「ほうほう、それで?」

「ひ、一目惚れだったんですけど。決死の覚悟で告白したら、む、向こうもそうだったらしく、すんなり受け入れてもらえたんです!」

「告白ですな。はいはい拙僧も知っておりますぞ。お付き合いする前にこなさねばならぬイベントですな。昨今の日本独特の習わしでしょう。聞くところによると、他国にはないそうで。昔の日本もそのようなものはなかったですな」


 お詳しいことで。伊達に永く存在していないようだ。しかも外来語まで流暢な発音で使いこなしている。侮れぬ妖怪である。

 というより、三田村は本当に小豆洗いの声は聞こえていないのだろうか。不思議と話が嚙み合っている。


「――彼女の見た目が超絶好みだったんですが、中身を知ってもっと好きになったんです」

「それはよおございました。人間、やはり中身ですからな」


 顔を赤らめ、彼女について語りに語る横で、小豆洗いは腕を組み、盛んに相槌を打っている。相当他人の内情を知るのが好きなようだ。

 微塵も興味のない迅が、場所を代わってくれないだろうかと思いながら、湯飲みを手に取る。

 大体、なぜのろけ話が始まってしまったのだ。

 迅の顔から生気が抜けた。幸せの絶頂期ゆえか。しかしまあ、どのみち短期間で終わるであろう。せいぜい今のうちに旬を満喫すればいい、

 そう思い直し、表情筋に活を入れ、柔和に見える顔を作るよう努めた。


 そうして適当に聞き流す間、三田村の全身を天眼で視る。

 これをすると大抵の人間は怯えるものだ。

 本能で畏怖を感じて怯むのだが、恋に浮かれた男は何も変わりない。長年怯えられてきたせいで、今更特に感じるものはないが、やりやすくはあった。


「――彼女が笑ってくれると胸があたたかくなって、幸せなんです。笑っている彼女と一緒にいるだけで、幸せ……だったんですけど……」

「けど?」


 言葉を切り、下を向いた三田村の顔に陰影が落ちる。言葉尻を繰り返した小豆洗いが横から三田村の顔を覗き込んだ。

 なにやら雲行きが怪しくなってきた。

 とうに仕事を終えていた迅が、注ぎ終わった急須を木枠に静かに置く。コトコトとほのかに急須が動き出してしまい、さりげなく再び手に取った。

 まずい。そろそろ付喪神たちが騒ぎ出しそうだ。

 内心焦り出した迅の向かいで、顔を上げた三田村の目は淀んでいた。「おやおや」と眉を跳ね上げた小豆洗いが頭を引っ込める。


「彼女、太ってる男のほうが好みみたいで……」

「はっきりとそういわれたのですか」

「……直接いわれたわけではないんですけど……。どうして急須を抱えているんですか」

「……気にしないでください。お茶のおかわりは要りますか」

「いえ結構です。彼女が視線で追うのがそんな男ばかりなんです」


 気のせい、勘違いだろう。根拠もなくいえるはずもない。憂いに沈むその姿から、恋する者特有の、本人に聞くに聞けないジレンマも伝わってくる。まったく関わりのない他人では理解しがたいけれども。

 見た目程度で態度を変えるような相手なのかと煽っても、何も意味はないだろう。面倒なことになりそうだ。


 どうしたものかと迅が思案する傍ら、小豆洗いが横を向く。その視線の先には、不動のぬりかべがいる。

 何かに気づいた小豆洗いの顔つきが一瞬にして変わった。

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