妖怪の辞書に遠慮の二文字はない 3


「こちらのお望みの物を作ってあげるとよろしいでしょう」


 先ほどまでの親身な様子とはまるで違う、突き放すようないい方だった。迅が内心戸惑う。

 だが正直、いい加減帰ってほしいと思っていたのもあった。渡りに船だ。


「……一週間後に、またきていただけますか」

「あ、はい。よろしくお願いいたします」


 頭を下げ、立ち上がった三田村に続き、玄関へと向かう。途中、迅だけが振り返る。蔵神を背後に隠すぬりかべが、虫でも払うように手を振った。早く追い出せといっているのだろう。

 まさか、蔵神に何かあったのか。

 三田村の魂は綺麗なほうだ。蔵に入る際も、すんなり敷居を跨げたというのもあり、問題ないと思い込んでいた。

 迅は追い立てる勢いで三田村を送り出し、玄関扉を閉めた。

 小豆洗いが己で茶を注いだ湯飲みを両手で持ち、迅を見やる。


「玄関口から離れて、こちらへ」

「……ああ」


 静かないい草だった。

 理由はわからなくとも大人しく従う。蔵神の様子が気にはなるものの、仁王立ちするぬりかべに阻まれて見えない。

 迅が元の位置に座った途端、バタンッと扉が開く音が響いた。音の発生源は、二階だ。おそらく頑として開かなった二箇所の観音扉だろう。次いで玄関扉も全開になった。

 自動で扉類が開く程度は、さして驚かない。蔵神ならばその場を一歩も動かずとも、扉を開閉させることなど朝飯前だろう。実家の屋敷神もそうだった。


 過去の出来事が脳を過るなか、風が吹く。


 一気に冷たい強風が蔵内を駆け巡り、玄関の靴、サンダルが外へとふっ飛んだ。傘立ての中で、傘お化けが飛び跳ねて喜んでいる。

 轟々と台風並みの風が吹き荒れるなか、部屋の片隅に置かれた裁縫箱、壁の油絵、台所の瀬戸物たちは一切動いていない。裸電球、自在鉤もゆれず、囲炉裏の灰も舞い散ることはない。


 なぜなら蔵神が護っているからだ。


 が、迅と小豆洗いの髪と服は激しくなびいている。急激な温度変化に鳥肌を立てた迅が腕をさすり、小豆洗いは平然と茶をすすった。

 唐突に風がやみ、迅と小豆洗いの髪と服が収まる。

 ほんの数秒で蔵内の空気の入れ替えが終わった。迅が目にかかる前髪を払う。

 迅は魂の汚れ具合は視えても、その臭いまでは感じ取れない。おそらく二階堂から放たれていたであろう悪臭が蔵内に残存していて、それを消すために行われたのだろう。


 蔵神がついた深いため息が、静かな室内に落ちる。

 それが合図だったかのように、ぬりかべが滑るように動き、壁と同化するように消えていった。重そうな巨体だというのに、ぬりかべは音を立てたことは一度としてない。

 迅がそれを見届け、ふと小豆洗いがいたほうを見やれば、そこにはもういなかった。木枠に空の湯飲みだけが残されている。突然消えるのはいつものことだった。

 そんなことより、蔵神である。

 見れば心なしか毛並みが荒れて、輝きも幾分鈍い。慌てた迅が腰を浮かす。


「蔵神様、大丈夫ですか」

「……塩をもらえるか」


 覇気のない声からは、いつも凛と響く涼やかさも失われていた。穢れを受けてしまったようだ。清めの塩がいる。

 小鉢では量が足りないかもしれない。思いながら台所へと駆け込むと、いくつもの飯碗が飛んできて、素早く身をかわした。他の瀬戸物たちもガチャガチャ鳴り、先を競って、宙を飛び交う。

『ワレに塩を盛れ!』『いやワレに特盛で!』『いやいやワレにこそ!』と売り込んでいるのである。

 一番乗りをひっつかみ、どさっと塩を山盛り入れて居間に戻る。蔵神が若干体ごと引いた。


「そこまでは要らん」

「食べられるだけ、どうぞ」


 やや強引に手渡した。

 塩の嵩が減るたび、まばゆさを取り戻していき、尾もゆったりゆれ始めた。コップに入れてきた水も前へと置いた。

 なお蔵神は人から供えられた物しか口にしない。

 顔と同じ大きさの飯碗から顔を上げた蔵神が、深々と息をつく。


「ああまで汚れきった魂は久方ぶりだった。ひどいものだな。どうすればあそこまで汚れるというのか」

「申し訳ありませんでした」

「……お前が謝ることではない」

「いえ、もっと早く済ませるべきでした」


 蔵神は項垂れる迅から視線を外し、玄関を見やる。


「つい耐えきらず荒ぶってしまった。外に飛んだ靴を取りにいってくるといい」

「……はい」


 迅が玄関へと向かう。その肩を落とした背中を、蔵神が静謐な眼で追っていた。



 それから迅は、いつも通りにぎやかな妖怪たちに囲まれながら、二階堂用の組紐を途中まで作り上げた。急を有する物でもない。ゆっくり作ればいいだろう。

 実際、強い異能力を封じるよりも人の欲、衝動を封じる組紐を作るほうが時間を要する。

 ふと気がつくと蔵内から音が消えていた。皆眠りについたようだ。いつの間にか夜は明けていたらしい。

 ――しゃきん。裁ちばさみが音を鳴らす。


「俺たちも寝るか」


 裁縫箱の引き出しが静かに開く。中から磨き用の布を取り出した。



 寝支度を整えた迅は、一度外に出ようと玄関へと向かう。

 寝る直前に朝日を浴びるのはいかなものと思うが、閉め切られた空間に長時間いると息が詰まった。


 あくびを嚙み殺し、やや慎重に玄関扉を開ければ、冷えた外気に包まれる。すっかり昇った太陽に照らされた町は、もうとっくに目覚めていた。スーツ姿の人々が早足にすぎていく。

 迅は封術師という一般から外れた職業柄、スーツにはとんと縁がない。歪みなく絞められたネクタイを眺め、息苦しそうだな、とぼんやり思った。

 ぐるりと見渡すと、まだ両側の店は開いていなかった。

 アンティークショップの玄関脇に置かれた木ベンチの上で猫が丸くなっていた。

 一見普通のキジ柄の猫に見えるが、尾を二本持つ、妖怪――猫又である。

 よく道のど真ん中で寝転んでいる姿を見かけるが、朝はそこにいる場合が多い。とはいえアンティークショップで飼われてるわけでなく、野良らしい。

 ちろっと片眼を開けた猫又と目が合う。

 おはよう、と声を出さずに口を動かすと、二本の尾の先を曲げてあいさつを返してくれた。至って愛想のいい妖怪だ。

 迅がうっすら口許に笑みを浮かべ、玄関扉を閉めかけた時、通りを歩いてくる女性と視線が合った。

 どこか思い詰めた様子の若い女性のすがるような目を見て、迅は就寝時間の遅れを悟ったのだった。

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