錮宮迅という封術師 3

 

 古びた蔵の中は、大層薄暗かった。

 内装総板張りの二十畳ほどの室内は、かなり広い。けれども、低い天井のせいで圧迫感があった。このあたりは、かつて手広く商いを営んでいた豪商が建てた蔵が多く、ここもそのうちの一つだったのであろう。

 ほぼ部屋の中央に囲炉裏がある。

 窓は見当たらず、開け放たれた玄関口からの自然光だけでは、部屋の隅まで照らせない。天井から下がる二つの裸電球はついておらず、片隅に置かれた行灯のみが灯されている。おそらく奥の暗がりから先は、水回りになっているのだろう。


 さも昔の一般住居といった様相である。


 天井の片隅から縄梯子が下りていることから二階もあるようだ。それにしても、家の中に縄梯子とは珍しい。

 全体的に暗さは感じる。けれども陰湿な印象は受けない。どこかあたたかみを感じるのは少しばかり不思議だった。

 それは囲炉裏のおかげなのか。だがそこに、火は入っていない。だは実際、室内はあたたかく、季節ゆえの物理的な肌寒さも、不気味な外観から受けた胸のうちの薄気味悪さをも払拭されていた。



 一ノ谷は内心首を傾げつつ、囲炉裏を挟んだ対面の男を見やる。

 やや背を丸め、胡座を掻いて座っているのは、この家の者――錮宮だ。

 意を決して叩いた扉から、のっそり出てきたのがこの男だった。自分と変わらない年頃で、二十代半ばであろう。しなやかな筋肉で覆われた体躯、彫りの深い顔立ち。やや長めの前髪がかかる、その瞳は片方の色が薄いのだと、出迎えられた時に気づいた。

 随分見映えのする容姿である。だがいかんせん、途轍もなく眠そうだ。今にも瞼が閉じてしまいそうで、頭も若干ふらついている。

 今は昼時で、人様の家を訪問してもなんら問題のない時刻。とはいえアポなし訪問は、よろしくなかったのかもしれない。


 一ノ谷が居心地悪そうに身動ぎし、視線を落とす。やや盛り上がった部分の灰が、かすかに動いたような気がした。

 背後から外光が差し、己の身体で影が落ちている。ゆえにあまりよく見えていない。たぶん気のせいだろう。


「申し訳ありません。夜型体質なもので、朝は……苦手でして……」

「あ、いえ。こちらも突然お邪魔して申し訳ありませんでした」


 くぐもった声で錮宮は、何事かを呟いた。

 聞き取れなかったが、おそらく気にするならしき旨をいったのだろう。

 一度深く息をついた錮宮が、双眸を完全に開いた。するといきなり空気が変わる。

 そして、真っ向から見据えられた。一ノ谷は息を呑み、総毛立つ。


「では、貴女に起こった異変を聞かせてください」

「は、はい」


 先ほどまでの間延びした声ではない、芯の通った声。一変した、目つき、声、雰囲気。

 もちろんそれらにも驚いたが、それだけではなかった。

 見られているようで、見られていない。

 視線が交わるようで、交わらない。


 何か別のモノを視ている。


 そう強く感じた一ノ谷は、ひどく居心地の悪さを覚えた。

 異常な緊張感を強いられ、所々つっかえながらも、昨日起こった出来事をつまびらかに語り続けた。



 迅の対面の一ノ谷は背負う外光で逆光となって、細かい表情までは窺い知れない。

 まあ、さほど己と歳は変わらないだろうな、とわりとどうでもいいことを思いつつ、迅はあくびを嚙み殺した。

 迅の天眼は、人の本性――魂の色も視える。

 その能力は、目覚めた異能すら視て判断することが可能だ。彼女の身に起こった事の詳細を、一から十まで聞かずとも、すでに異能の判別は見極め終わっていた。

 けれども話を最後まで聞いてやることも大事なのだ、と親に再三諭されてきていた。

 よって相槌は欠かさない。長年、やや歳の離れた弟妹の難解な物いいに辛抱強く付き合ってきた賜物でもある。いかにも真剣に耳を傾けている姿勢に見えるが実際のところ、頭は半分寝ていた。


 ともあれ、正面で必死に言葉を選びながら話す一ノ谷は、かなり危険な異能が開花したわりに、冷静そうだ。

 過去、否応なしに目覚めてしまった己の異能のせいで、恐慌状態に陥る者も少なくなかったと先代から聞き及んでいる。

 ここにいくよう勧めた祖母なる御仁が、以前目覚めた者だったのだろう。すぐに相談できる相手が身近にいた彼女は幸運だったに違いない。

 つらつら考え事に気を取られているうちに、話の内容は壊れた物の羅列へと移っていた。

 一ノ谷は次第に身を乗り出してくる。


「――それで、ついには電化製品まで壊れてしまったんです。つい先日、買ったばかりの炊飯器だったのに! あっ」


 ごろんと迅の前の木枠から、湯飲みが倒れて床に落ちた。そのまま床を元気に転がっていく。なお中身は飲み干した後だったゆえ、被害はない。

 焦った一ノ谷が両手で口許を覆う。迅が湯飲みの行方を視線で追うと、コロコロ転がった先で、ぬりかべに当たって止まった。

 一ノ谷の目には、彼女が訪れる前からずっと佇んでいたぬりかべは視えてはいない。ゆえに急に何もない所で、湯飲みが静止したように見えただろう。

 普段不遜な態度のぬりかべが、しっしっと短い手を振った。気にするなといってそうだ。

 それに応えず、迅が一ノ谷に向き直る。下手に相手をすると、一ノ谷に不審に思われてしまうからだ。


「大丈夫ですよ。ここは貴女の力はさして利かない家ですから」


 どうして、と呟く一ノ谷に詳細を説明する気はない。


「では、貴女の現状を説明しましょう」


 爽やかな笑顔を浮かべ、強引に話をそらした。


 それはむろん、蔵神が支配する場だからだ。


 いかに強力な異能力者であろうと、蔵神の神域内で、その力を振りかざせはしない。力の差は歴然。神力の強い神を前にして、人間の枠内で強い程度の異能など、稚児にも劣る。

 現在、行灯の明かりで新聞を読み耽り、我関せずの態度を貫いている蔵神をわざわざ紹介してやる義理もない。『人ならざるモノ』を視えない、存在を信じてもいない人間に、説明するために費やす時間、労力なぞ無駄でしかない。

 もう就寝時間はとっくにすぎている。迅は速やかに仕事を終わらせて眠りたかった。


「貴女の能力は俗にいう超能力の『念力』の一種ですね」

「超能力って……」

「この町では昔から貴女のように突然、潜在能力が目覚めてしまう者が多いんです」

「それって、あたしが元から持ってた力ってこと? あたしが? そんなの、噓でしょ。だって……でも……」


 俯いてしまった一ノ谷を、迅はただ見ている。

 噓だの、信じられないだの。そういって簡単に切り捨てられはしないだろう。超能力という荒唐無稽な異能でなければ、説明がつかない不可解な現象の散々を、嫌になるほど目の当たりにしてきたのだろうから。


 しばらくして顔を上げた一ノ谷の前には、半目の迅がいた。凄まじく眠そうにしている。迅が誤魔化すように咳払いした。この男、人の一大事であろうと、至極どうでもよさそうである。所詮は他人事ゆえか。

 鼻白んだ様子の一ノ谷に、素知らぬ顔の迅が組紐を差し出す。それは地味な灰色ながら、光沢のある絹糸でロープ状に編まれた丸打ち組紐だ。


「これをどうぞお持ちください。とりあえず貴女専用の組紐を編み上げるまで、これを身につけておけば異能が発動しません。ですが――」

「えっ! そんな物、作れるんですかっ!」


 腰を浮かし、驚愕の叫び声があがったと同時、油絵が壁とぶつかる。再び湯飲みも転がって、裁縫箱の引き出しまでも飛び出した。のそっと前足を伸ばした蔵神が、静かに引き出しを押し戻す。

 慌てふためいた一ノ谷が、迅の手から組紐を引ったくるようにつかみ取る。

 そして輪に手を通した直後、ピタリとすべての音がやんだ。

 一ノ谷が目を見張り、ほどけるように笑顔になった。

 だが――。


「それは念力だけでなく貴女の秀でた能力、強い感情、欲望、その他諸々まで封じます」

「え」

「貴女専用に作った物ではありませんので、無差別に封じるように作ってあるんです。そこのところご了承ください。体に害はないので、ご心配なく。封術は組紐の輪に身体の一部を通さなければ発動しませんので、必ず通すようにしてください。首に掛けていてもいいですよ」

「……どれくらいの期間で、あたし専用の物を作っていただけるのですか。あ、あとお値段は?」


 提示した金額はそれなりの額になる。一ノ谷の顔が曇った。

 特殊な物だ、相場など知る由もないだろう。高いのか安いのかの判断すらもできまい。これでも封術師の中では良心的な価格設定だ。なかには法外な値を要求する者もいるのだ。

 一応、現封術師随一の力を持つという自負もある。ビタ一文負ける気はない。

 が、実際に効果を目にしても彼女にとっては、組紐はただの紐でしかないだろう。即決はできまい。

 それに注意事項もある。


「俺が作る組紐の効果は永遠じゃない、紐が切れたらその効果は切れます」

「……えっ、そ、そうなんですか……」

「はい。ですので、その組紐をお貸しします。効果を見極めてから、買うかどうかを判断されてもいい」

「はい! じゃあ、そうします」

「わかりました。では一週間後にまたお越しください。ただ――」


 いったん言葉を切った迅のまとう空気が変わる。

 濃い陰影が落ちる顔のなか、二色の瞳が淡く炎が宿った。そんな風に見えた一ノ谷が、またも目を見張って凍りつく。


「一度発現してしまった異能力は、なかったことにはできない。貴女はその力と向き合わなければならない」


 一ノ谷がすがるように手首ごと組紐を握りしめた。瞬時に気配をゆるめた迅が瞬く。途端に威圧が霧散し、一ノ谷が大きく息をついた。

 仕事モードは疲れる。眠気が強い今は長続きしない。


「己の力をコントロールできるようになることです。今のままでは、日常生活もままならないでしょう」

「そんな、組紐で抑えられるんじゃないんですか」

「所詮紐ですからね。外れることもあれば、切れもします。その時どうしますか」


 なんで、どうして、あたしだけが。

 そんな文句をいいたいのだろう。声に出さずとも表情が語っている。

 一ノ谷は感情の起伏が激しい性質のようだ。

 爆発的に膨れ上がる激情に合わせ、まだ制御しきれていない念力が無意識に発動し、手当たり次第、周囲の器物を破壊してしまう。

 彼女は今、己の感情を制御しようと必死に努めている様子だ。実際、短期間でよくできているほうだろう。己の意志で制御できるようになるまで、そう時間はかかるまい。おそらく。


 封術師である迅にできるのは、封じることだけだ。


 一ノ谷が異能を使いこなせるための鍛錬に付き合う気も義理もない。しかしだからといって、じゃあ頑張って、と突き放すのは、あまりに非人道的であろう。

 世の中うまくできているもので、異能者を集めて指導する専用の機関――異能力者養成機関がある。

 迅は存在を知っている程度で、詳細は知らない。先代から厄介な異能覚醒者にはそこを紹介するようにと言付かっている。

 連絡先を渡された時は、いい所があるものだと感心した。故郷の島にも異能者は多いが、そんな気の利く機関は存在しない。それぞれの一族で面倒をみるものだ。

 島にしか興味がなかった迅は、本土の常識に疎い。いまだこの蔵周辺の地図さえも曖昧だった。

 さておき、そこに駆け込むか否かは、彼女の判断に任せるべきだろう。


「ここに相談にいかれるといいですよ」


 預かっている名刺を手渡した。

 まだ心に折り合いをつけられない様ではあるものの、受け取った名刺を丁寧にハンドバッグへと入れている。その持ち手についた御守りがゆれる。獅子を模した鈴がチリチリと音を立てた。

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