錮宮迅という封術師 2

 

「錮宮さんの所にいきなさい」


 祖母は静かな声で告げた。一ノ谷には聞き覚えのない名字だった。


「こみやさん? お婆ちゃんの知り合いの人?」

「先代の方とはありましたが、今代の方とはまだ面識はありません。錮宮さんの家は商売をされているのだけれど、昔からこのあたり一帯で、異変を起こすようになった人が駆け込む所ですよ」

「え、待って、それってあたしみたいな人が、他にもいるってこと!?」


 ぱりん。床の間の一輪挿しが派手に割れた。

 みっちり詰まっていた小花のドライフラワーが畳に散らばる。

 思わず身を乗り出した一ノ谷が、両手で口元を覆った。


「ご、ごめ、んな、さ――」

「落ち着きなさい」


 凛とした声が響き、狼狽えていた一ノ谷の動きが止まった。

 祖母は澄ました顔で、片手を添えた湯飲みを傾ける。この状況を目にしても茶をしばく強心臓は、少しばかり空恐ろしい。今起こったのは、どう見ても異常現象だだろうに。

 祖母はいつもそうだ。一ノ谷は物心つくような時分から、彼女が慌てふためく様など一度も見たことはない。

 そんな泰然自若としている祖母を前にしているうちに、一ノ谷も自ずと己の気持ちが凪いでいくのがわかった。

 祖母はただ黙々と甘納豆を食している。


「そう気にしなくてもよいのですよ。形あるもの、いつかは壊れるものですから」

「……でも、あの一輪挿しって、大切な物だったんじゃないの。すごく高価そうだったし」

「いいえ? お爺さんが勝手に買ってきた物でやむなく使っていただけです。ちょうどほしいと思っていた一輪挿しがあったの。これで買い換えるいい口実になったというものです」


 ほくほくと相好を崩す祖母は、新しい物を好む人だ。

 何くれと骨董品を購入してくる祖父とは、とことん趣味が合わないと時折不満を漏らしている。気を遣っている風でもない、紛れもない本心であろう。

 それから気軽な調子で伝えられた錮宮宅の場所は、わりあいすぐ近くだった。一ノ谷は取るものとりあえず、そこに赴くことに決める。

 かくして最後に玄関で、靴箱の上に飾られていた瀬戸物の小物入れを割り砕き、項垂れた一ノ谷が家を出ていった。

 それを見送った祖母は、郷愁を滲ませた声で呟く。


「もう、そんな時期がきたんですね……。はてさて、何年ぶりになりますことやら」


 どこか穏やかな空気を醸し出し、瀬戸物の欠片を片付け始めた。あらかた片付け終わった頃、再び扉が開く。帰ってきた伴侶である祖父だった。

 三和土に踏み込む前に、祖父が一塊に寄せられた元小物入れに気づき、目を見張る。


「ただいま……どうしたんだそれは。壊れたのか」

「ええ。すみません、手が滑ってしまって」

「なんじゃと、怪我はないか」

「ありませんよ。ご心配なく」

「そうか、なら新しい飾りの骨董品を買いにいかれねばならんな。ちょうど目をつけていた古伊万里こいまりがあったんじゃ! よし、今からすぐ買いに――」

「今度こそ、わたくしが選びますので結構です」

「……そ、そんな」


 盛り上がった気分を一瞬で叩き潰され、祖父は悄然と肩を落とした。



 ◇



 とある沿岸部に位置し、温暖な気候に恵まれた蓬莱町ほうらいちょう

 起伏のない平地を南北に二分する川――蓬莱川が流れており、かつて水運で栄えた町である。その川を挟むように、なまこ壁を備えた蔵や屋敷が密集し、江戸期の面影が色濃く残されている。

 古を偲ばせるその町並みを一目見ようと、全国各地から多くの人が押し寄せる人気の観光地でもある。

 二階建ての建築物ばかりのなか、北側の地区の中心に一際高い時計台が建っている。北区のどこからでも確認できるランドマークが奏でる鐘の音は一日、四回。その軽やかな音が、さらに町に趣と味わい深さを与えている。



 そんな蓬莱町の南区の外れにある祖母宅を出た一ノ谷は、車道の脇を早足で歩いていた。

 平日の午前中のせいか、あまり通行人はいない。無心で歩を進めていると、蓬莱神社へと繫がる桜並木の道に差しかかった。

 桜木の紅葉もまたいいものだ、とつい先日も感じたことをまた思う。だが歩みを止めはしない。落ち葉を踏み分け、儚い音を鳴らしながら時計台方向へと向かっていった。


 乗用車が離合できる程度の道路を進むこと十数分後。白壁、瓦屋根の建物が連なる景色へと変わり、途端に人通りが増した。

 道いくよそ行きの服装をした者たちの表情は、至って穏やかだ。彼らが熱心に見ているのは、今では日本各地からほとんど失われてしまった和風建造物の数々。実際に目にするのは初めてでも懐かしい気分になるのだと、以前よその土地から訪れた者が熱く語っていた。

 この景観を見慣れた地元の一ノ谷にとって、いまいち理解しがたい感情だった。羨望の眼差しで、贅沢ですね! といわれた言葉がやけに記憶に残っている。


 人の合間を縫い、蓬莱川沿いの道に出た。

 川の両岸に柳並木が寄り添うように生えている。

 強めの風が吹く。する止まるで戯れるように、しなやかに、たおやかに、その長い枝をそよがせた。

 それをなんとなしに眺め、なだらかな川に架かる湾曲した石橋を渡る。その下の川は、かつて多くの荷物を乗せた舟がひっきりなしに行き交っていたものだ。けれども今は、観光客用の舟渡しのみが時折流れていくのみである。

 ちょうど一艘の舟が橋の下をくぐっていく。網代傘を被った船頭が巧みに操るその舟には、楽しげな観光客たちが乗っている。柳並木を映す凪ぎの川面に、竹の棒を突き立て、波紋を広げて進んでいった。


 橋を渡りきると、先ほどまでの混雑が噓のように人通りが途絶えた。

 ここから先が北区だ。民家だけが建ち並ぶ、昔からここに住み続けている地元民宅が多くなる。

 対して渡る前の南側には格子戸の町家が並び、改修後、店舗兼自宅となっている所が目立つ。

 異国風カフェ、土産物屋などの観光客ウケを狙った店舗兼自宅ばかりで、おおむね昨今移住してきた者たちの所有物となっている。

 ここ数年ですっかり様変わりしてしまった。


 とりわけ感慨もない一ノ谷は、横道へと入っていく。

 しばらく静まり返った細道を進めば、四辻が現れた。

 高い塀に囲まれたそこには、古い街灯が一つきりで、夜はさぞかし心許ないだろう。観光地化されている川近辺には、装飾製の高い街灯が等間隔で並び、夜には一風違う景観が楽しめると大層評判だが、一歩横道に入ると寂しいものだ。


「こっちよね……」


 一ノ谷は土地勘があるため、さして迷いもせず四辻を曲がる。

 と、道のど真ん中に猫が落ちていた。

 我が物顔で道を占領しているのは、銀の地色に黒の縞模様の成猫だ。のびのびと体を伸ばし、くつろぎきっている。

 車が入るにはやや厳しい道幅だが、堂々としすぎではないだろうか。

 思いながら一ノ谷が迂回してすぎゆく。

 その背後、寝転んだままの猫が体の下からしゅるりと長い尾を出した。

 ゆれるその数は、二本。気だるそうに半眼で、遠ざかっていく細身の後ろ姿を見やった。


 しばしいくと奥まった場所に、その家はあった。

 二つの店に挟まれた、古い蔵造りの民家のようだ。

 左側に、立て看板に横文字のメニューが書かれた町家カフェ。右側には、軒下のアイアン突き出し看板が目を引く見世蔵のアンティークショップ。


 そんな異国風の両サイドと打って変わり、これでもかと和を全面に押し出す、センターの錮宮宅。


 一ノ谷がその蔵を見て、左右を見て、また蔵を見る。昼日中であれどあたりには人っ子一人いない。不安を感じて、その身体を縮こまらせた。


 なぜならその蔵は、廃墟と見紛う外観だったからだ。


 屋根の瓦はいくつか外れ、元は白かったであろう、薄汚れた漆喰壁にはヒビ、剝がれが目立つ。あまりに損傷が激しく、おどろおどろしい。幽霊屋敷さながらであった。

 両側と向かい側に並び建つ家屋の壁の白さと対比され、殊更廃れているように感じられた。二階の窓、玄関の重々しい観音扉は閉ざされている。

 その外見は、まるで来る者を拒絶しているかのようだ。


「……ここって……人、住んでるの」


 ぽつりと落とされた小声が、秋風に流されていく。

 恐る恐る近づくと重々しい鉄扉横に張りつけられた、小さな看板の存在に気づいた。

 掠れた小文字で『錮宮』と記されている。だが、しかと見なければ判別できやしない。

 ここで、各個人に合わせた封術物を売る商売を営んでいると聞いてきたのだが、さほどやる気はなさそうである。

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