錮宮迅という封術師 4

 

 照魔鏡にのっぺらぼうが映っている。

 それを迅がぼんやりと眺めていた。夕刻、寝起きにご対面した己が面は、今日も実に平たい。


「これぞ、汝の真実の姿なり」

「……ああ、そう」


 ようやく依頼人が去った後、なかなか寝つけなかったせいで、数時間程度しか寝ていない。どうしたって動きが鈍かった。

 本来の顔が映し出されていたならば、さぞかしうみ疲れた顔であったろう。映らないほうがかえってよかったかも、と思った矢先、映し出された。

 案の定、腫れぼったい瞼で疲れた表情だった。

 これが記念すべき初映しであったというのに。嫌がらせか。この照魔鏡、結構いい性格をしている。


「これぞ、汝の偽りの姿なり」

「へえ。気を遣っていただいて、どうも」


 得意げに告げた照魔鏡はそれっきり沈黙してしまった。迅は緩慢な動作で歯を磨き始めた。

 寝入りばなに叩き起こしてくれた一ノ谷は、昼近くまで居座ってくれた。その間、眠かったのは迅のみならず、蔵神もでやや動きが鈍かった。

 迅の背後でぬりかべが、微動だにしなかったのはいつものことだ。これといって何かするわけでもなく、ただ背後に立つだけの変わった妖怪なのだ。

 瀬戸物たちと油絵は、呑気に寝ていた。実は一ノ谷の念力により、転がされた湯飲みも寝ていたのだった。どいつもこいつも図太い神経をしている。

 先代たちと、長年付き合ってきた先住民たちは、昼間の来客に慣れているのだろう。


 冷たい水で顔を洗っていると徐々に頭がすっきりしてくる。すると背後からの妙な音に気づいた。

 しょき、しょき。人声と風呂場から何かがこすれる音がしている。タオル片手に、がらっと勢いよく扉を開ける。

 法師姿の小僧が、洗い場でざるに入れた小豆をといでいた。「しょき、しょき」とたまに音を口ずさみ、この上なく愉しそうに。

 妖怪――小豆洗あずきあらいである。


「しょき、しょき、小豆とぎましょか。それとも――」


 キロリと動いたどんぐりまなこが、腕を組んで見下ろす迅を映す。


「人取って喰いましょか」

「お前、またうちの小豆使ったな」


 動じない迅の視線の先、小豆の空袋が浴槽の縁に置かれていた。それは先日、仕事用に購入したばかりの物だ。これで不法侵入の小豆洗いによる余計な小豆洗いは、三回目になる。

 小豆洗いは基本的に、近くに流れる蓬莱川を住みかとしているが、小豆を購入すれば、すぐさま風呂場に現れて勝手にといでしまう。少々困った妖怪である。

 毎回注意しても小豆洗いは一向に悪びれない。今もその手は淀みなく動き、風呂場にとぎ音が反響している。

 しょきしょき。小豆洗いが慣れた仕草で、軽快にとぐ。そして――。


「なぜ小豆を洗うのか。そこに小豆があるからだ」


 まるでこの世の真理を説くかのごとく、厳かに告げた。

 迅が盛大にため息を吐く。


「仕事で使うから、洗う必要もねえんだよ。といでもいいが、せめて半分程度にしてくれ」

「たんとお食べになればよろしい」

「そんなに小豆ばっかり食いたくねえ」

「これだから近頃の若者は……。まったく贅沢がすぎますな。小豆は栄養の宝庫なんですぞ」

「そうかよ。俺としては、小豆より米といでくれるほうが断然助かる」

「なんと、赤飯をご所望か。わかり申した、拙僧にお任せくだされ」

「……まあ、嫌いじゃないが」


 小豆洗いとは、いまいち会話が噛み合わない。

 嫌なやつではないため、嫌いではないが、何分なにぶん自分勝手すぎて辟易することもある。

 今回、思いつきでいってみただけだったが、聞き入れてくれるらしい。しかしあまり期待しないほうがいいだろう。相手は悪戯好きの妖怪なのだから。



 蔵の一階の床は、艶を失い色褪せている。

 歩くたび、ギシギシと耳障りな音を鳴らし、不安を抱いても仕方のない廃屋一歩手前といった様相だ。けれども蔵内は、塵一つなく清潔を保たれている。そんな古びた住まいにもかかわらず、不思議と居心地はいい。


 それは、蔵神が御座おわすおかげだ。


 い草の円座にちんまりと鎮座する蔵神を、迅は囲炉裏越しにさりげなく眺める。広げられた新聞でその顔は見えない。時々「なるほど」「ふむふむ」と呟きながら夢中で活字を追っている。

 蔵神は、常に世の動向に注目している。

 つくづく変わっている。世俗に興味を持つ神など今までお目にかかったことはない。かつて接してきた神々は泰然とし、随分浮世離れしていたものだ。

 それだけではない。今日も夕方、ぼこぼこと何かの音を鳴らし、起床を促してもくれた。部屋から追い立てられ、食事の支度を済ませて戻ると、掃除は終わっていたのだった。

 神は清潔を好むものだ。いわずと知れたことである。

 だがしかし、自ら掃除するなぞ、異様だろう。大いに助かっているけれども。

 勤勉、働き者。こんな神様もいるものなんだな、と迅は改めて思う。


 掃除と新聞を隅から隅まで読むのを日課としており、妙に人間くさい。時折、人間と同居しているのではないかと錯覚しそうになる。

 なれど人間相手の時のように緊張を強いられることはなく、対人関係をうまく築けない己にとって、ありがたかった。

 神は噓をつかない。取り繕うことも、誤魔化すこともしない。あるがまま、そこにる。

 迅の天眼は、人外には通用しない。

 それが何よりも安心できた。視られるほうも嫌であろうが、視たくもないモノを強制的に視せられるほうも嫌なものだ。

 迅は、魂の色、能力が視えるのみならず、対峙する者の心の声まで聞こえる異能を持っている。普段、その力は抑えて、聞こえないようにしている。

 だがふと気がゆるむと漏れ聞こてしまう場合もある。過去、さんざん不快な思いをしてきた。たとえば――。


 ――しゃきん。

 付喪神――裁ちばさみが大きな音を立てた。木枠の上で、鋭き刃先を天井へと向け、小気味よく音を鳴らす。

 ――ゴトゴト。

 ほぼ同時に付喪神――組紐用丸台が底を上下させ、音を響かせる。合わせて垂れ下がる八個の組み玉が当たり、騒がしい音を立てた。

 それらの音で、手が止まっていた迅が我に返った。


「わりぃ。ちょっと気が抜けてた」


 一斉に相棒たちの動きが止まる。

 組紐作成中についよそ事を考え、手元がおろそかになっていたようだ。『集中しろ』と諌められてしまった。

 組紐を作る道具は皆一様に、永い時を経て付喪神と成っている。

 錮宮家に代々伝わるモノたちである彼らとは、幼い頃からの長い付き合いで、滞りなく意思の疎通を行える。


 さまざまなモノを封じる力と天眼を有する一族、錮宮家。その異能は、脈々と受け継がれてきた血によるものだ。

 それぞれ封じる力を込めやすい物が異なっており、迅が一番力を流しやすいのは紐である。一本一本の紐に力を込め、組み上げる組紐を作ることが多い。


 迅が手にした八本の絹糸を交差させ、組み上げていく。

 絹糸に触れるたび、封術を仕掛ける。一ノ谷の念力を抑え、閉じ込め、封じ込めるために。指先から力を流し続ける。

 ――コトンコトン。

 規則的に組玉が当たる音は、どこか愉しげだ。

 向かいの蔵神が忍び笑いを漏らし、新聞をめくる。


「もう組紐を作るのか。先の女人が買いにくるかも、まだわからんだろうに」

「……来ますよ。必ず」

「ほう、いやに自信がありそうだ。タダで封術物を貸し出す者は今までいなかったな。あれを持ち逃げされるかもしれない」

「大丈夫です。あれは一週間で切れるようにしてありますから」


 蔵神が両の眼を細め、ニタリと嗤った。

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