蔵は大所帯 3

 

 迅が片手に収まるほどの小振りなグラスに水を注ぐ。蔵神が嬉しそうに口をパカリと開いた。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 蔵神は必ず礼を告げる。

 実家の屋敷神はいかにも神様然としており、礼をいわれた覚えは一度もない。迅はそれが当たり前として育ったせいもあり、最初にいわれた時は耳を疑ったものだ。

 さらには掃除を日課とする変わり種の神など、視たことも聞いたことすらない。


 迅は、神が自らその身を隠そうとも見通せる目――天眼てんげんを持っている。


 その御身が全体的にうっすら光って視える。

 ゆえに幼い頃から、生まれ故郷である島にも至る所にいる神を視て、接してきていた。

 故郷の島を思い出すと気が塞ぐ。

 かすかに沈んだ気持ちを切り替えようと、蔵神に塩のおかわりの有無を訊けば、もう十分だという。

 小食、働き者、目覚ましの役割までこなす。とことんありがたい同居神である。

 感謝の気持ちを込め、次回の買い物時に、少しばかりお高めの塩を購入しようと脳内に刻んだ。

 ともあれ、そろそろ封術物を求める依頼人が訪れる頃合いだろう。

 念のため、お伺いを立てておいたほうがいいだろう。


「蔵神様、ここに依頼人は訪ねてきても……よろしいのでしょうか」


 蔵神は、己が住居に妖怪たちが自由に出入りするのを一切気にしない。

 とはいえ、人間だけは断固許すまじという気質の恐れもある。迅の初訪問時は嫌な顔一つせず床拭きの最中、雑巾片手に、にこやかに迎えてくれたけれども。


「構わん。今までもずっとそうだった。まあ、先代のもとへは、さほど依頼人はきていなかったがな」


 蔵神はやや冷えた声でこぼした後、小鉢とグラスをお盆に乗せる。

 その様を見やり、白米を口許に運ぶ迅の瞳は、二色。左が黒、右が灰。

 封じる力の強い者だけに現れる証、オッドアイである。


 この特徴を備えて生まれし錮宮の者は、この地に住むことを義務付けられる。


 かつてこの地を治めていたさる大名と錮宮家で交わされた約定であり、絶対に破ることが許されない一族の慣習である。


 この蔵は、とある県の海沿いに位置する町――蓬莱町にあり、錮宮家の所有物件となっている。

 ここには江戸期から、錮宮家の血筋のなかで、最も封じる力の強い者が住み続けている。

 迅で十代目となる。力の弱った先代の代替わりとして、ここに越してきていた。

 錮宮家の血を引く者は皆一様に、大なり小なりさまざまなモノを封じる力を持って生まれる。人の強い欲望、衝動、あるいは霊感、超能力などの異能でさえ、封じることが可能だ。


 迅が到着としたと同時に先代である叔祖父おおおじは、故郷へと帰っていった。

 昔から役目を終えた者は、そのままこの地に残る場合もある。だが先代は更々その気はないといい放った。去り際、いやに晴々としていた姿が印象的だった。

 そんな先代の話題を持ち出そうものなら、蔵神や妖怪たちはいい顔をしない。あまりよろしい関係性ではなかったようだ。

 迅、及び先代も、人ならざるモノが視える人間である。

 しかしたとえその姿が視えて、その声が聞こえていたとしても、神は別として、大概の者は妖怪をいないモノとして扱う。

 おそらく先代もそのタイプで、妖怪を快く思っていなかったのだろう。


 この地は妖怪が驚くほどいる。

 故郷にもそれなりにいるものの、比ではない。町中にも、蔵の中にも、うじゃうじゃと。ここにあった器物は、ほぼすべて付喪神と成っているモノばかりだった。

 そんな蔵の住民たちは逢魔が刻を境に目を覚まし、それぞれ好きな場所でくつろいだり、騒いだりと大層にぎやかに自由にすごすのが常態である。そして朝日が昇る前――暁に眠りにつく。

 ここにはプライベート時間を確保できる箇所はない。

 島から出た経験のなかった迅は最初、呆気に取られたものだ。

 けれども元から夜型であったため、そこまで気にはならない。これがもし朝型の人間であったなら、たまったものではなかっただろう。加えてぬりかべのように、無遠慮に蔵の中へと入り込んでくるモノも珍しくないのだ。


 妖怪には悪戯好きが多く、そのあたりもうまくいかなかった原因ではないかと踏んでいる。先代は祖母と似た頑固者で、頭も固い。彼らを許容できなかったのだろう。

 蔵についた途端、ハグでもされかねない大歓迎振りだったのだ。

 むろん避けた。血の繫がりはあれど、幼き時分に数回会っただけの相手と抱擁を交わすなぞ御免被る。


「このあたりにはもう慣れたか」

「……いえ、まだそこまで」

「まあ、若いからすぐに慣れるだろう」

「もう二十五ですが」

「なに、若い、若い」


 おかしそうに笑いながらも硬質な眼を寄越してくる。迅はつかんだ湯飲みに視線を落とした。

 得てして人ならざるモノは、まっすぐに見つめてくるものだ。とりわけ神は、その傾向が強い。

 思わずたじろぐくらいの圧が高い視線を向けられると、まるで心のうちまで見透かされそうだと思ってしまう。まともに見返すには、それなりに気合と根性がいる。

 弱った今の精神状態では、やや難しかった。


 今、この胸にくすぶる思いを知る程度のこと、神にとって造作もないだろう。


 幼き頃よりわかっていたことだ。

 力を持って生まれたばかりに、住み居心地のいい島をいずれ出ていかなければならないこと。個人的になんの思い入れもない土地に数十年は確実に縛られること。本家の長男であるにもかかわらず家督を継げない、惣領にはなれないことも。

 全部が全部、頭では理解しているつもりだった。

 けれども、つもりは所詮つもりでしかない。

 故郷を離れ、心では全く納得しきれていなかったのだと痛感する。何を見ても、考えても故郷に結びつけてしまう。心が帰りたがっている。祖父母、両親、年の離れた弟妹が住まう、故郷のあの島に。

 上機嫌に弾んだ足取りで遠ざかっていく先代の後ろ姿を戸口から見送った時、やりきれない焦燥感が募った。

 できる限り島を思い出さないようにしようとしても、なかなかどうしてうまくいかない。

 まだ、一週間程度。そんなものだろう、とどうにか気持ちに折り合いをつけようとしていた。


 迅が手元の湯飲みを見つめる。

 白熱電球と鯛の自在鉤が映る水面の底に横たわる茶柱がゆれている。この茶葉は故郷で栽培された物だ。持参した分だけであと何杯飲めるだろうか。


 ざざん、と壁に掛けられた油絵から波打ち音が鳴る。

 意図せず、耳をすませているうちに、鬱々とした気持ちが晴れていく。

 むろん油絵も付喪神である。

 お隣にあるアンティークショップから勝手にやってきて、しまいには、この蔵に居着いた猛者だ。

 迅が隣に顔見せのあいさつに赴いた翌夕、家を出ると、玄関扉横にひっそりと立て掛かっていたのだ。出待ちしていたらしい。

 それから店に戻しても幾度も脱走してしまうため、諦めた店長から「お引っ越し祝いです。どうぞ」と半ば無理やり押しつけられてしまったのだった。よほど蔵に住みたいのだろうと迅も納得し、壁に掛けてやった。

 それ以来、すっかり大人しくなり、そこから動いていない。

 油絵に描かれているのは、青い空に海、白い砂浜。凪の海面に蒸気船が浮かぶ、さして特筆すべきものはない海の絵である。

 ただし、外側の額縁が派手だ。

 燦然と輝く金色の細かい装飾を施されたそれは、絵自体よりもはるかに人目を惹いてしまう結果になっている。若干絵が気の毒だと迅は思う。

 そんな油絵だが、空に浮かぶ雲の形を変えたり、砂浜に波が押し寄せたりと元気に動き、目一杯己を自己主張している。さらには波音、汽笛の音まで鳴らす器用さ。

 本物と寸分変わらないその音は、聞き慣れた故郷の海と同じ潮騒の音だ。ゆえに随分と穏やかな気持ちにさせてくれてる。結構ありがたかった。

 お茶を飲む間、寄せては返す波の音に聞き入った。



 食事を終え、お盆に食器を乗せる。

 対面で蔵神が木枠をせっせと磨いている。いつも蔵神があまりに熱心に掃除するため、うっかり汚してしまわぬよう、日々そこそこ気を使って生活している。

 迅が立ち上がると部屋の片隅で、裁縫箱の引き出しが開いた。

 桐でできたその裁縫箱の中からしゃきしゃきと音が鳴る。音を出しているのは裁ちばさみである。そろそろ己の出番が近いと察し、興奮しているようだ。

 迅がつれてきた仕事道具たちである。

 蔵神が小気味よく鳴る音を聴きながら、丸い耳を動かす。


「どうやら待ちきれぬようだな」


 その声は笑いを含んでいて、いたく優しい。

 蔵神は妖怪たちと大層仲がいい。

 付喪神化した仕事道具たちも、すぐさま蔵神に受け入れてもらえた。すでに先住民である妖怪たちとも馴染んでいる。長年の相棒たちが、あっさり仲良くなれて、胸を撫で下ろしたものだ。

 思い出しながら迅が台所へと向かう。その背後で、ボーッと汽笛の音があがった。何をいっているのかは理解できないものの、その音はやわらかく響く。

 きっと何気ない言葉をかけてくれているのだろう。


 迅は食事後、必ず外気を吸うため外に出る。

 閉め切った家は、ひどく息苦しさを覚えるからだ。ここにきてから日課となっていた。


「蔵神様、少し出てきます」

「ああ」


 ひと声かけ、迅は玄関扉前に立つ。

 固く閉じたその扉は、三枚構造になっている。外に出るにはまず、内側の網戸、裏白戸と呼ばれる引き戸。さらにもう一枚、厚い漆喰塗りの観音扉を開けなければならない。

 なかなか重量があり、開けるのにそれなりに力がいった。


 江戸期に豪商が食料保存用として建てたこの蔵は、頑丈さを誇っている。


 建物側の枠に細工が施され、重厚な扉と隙間なく閉まることにより、極めて密閉性の高い造りをしている。

 もともと蔵とは、火事や物取りから大切な物を守る保管庫として建てられているものだ。外壁の土壁が断熱、調湿機能を発揮し、冬はあたたかく、夏は涼しい。保管庫としてのみならず、住居としても快適に過ごせる機能を兼ね備えている。

 いうまでもなく、この蔵もそうだ。たとえ外気温が下がろうとも蔵内はあたたかい。

 そして蔵神が御座すおかげで、外光が差さずとも見る者に陰湿な印象を与えない。ただ開く場所が玄関扉だけなのが、難点だといえた。


 観音扉を開けると秋風に煽られ、急激に変わった気温に身が引きしまる。日に日に風が冷たくなっていくのを肌で感じた。

 ちょうど日が沈み、あたりは薄闇に染まりつつある。向かいの二階建ての家屋に明かりが灯された。

 蔵は通りに面して建っている。

 玄関扉から数歩いけば、車一台辛うじて通れる程度の道で、門はない。道を挟んだ向かいにも蔵造りの家屋と町家が建ち並び、白いなまこ壁が至る所で見られる。


 蔵の右隣には、アンティークショップ、左隣には、カフェがあり、その二店の窓からの明かりが通りを照らしている。

 やや離れた場所に有名観光地の水路があり、そこには全国から観光客が訪れているが、少し奥まった位置にある、このあたりは至って静かだ。

 蓬莱町の北に位置するここ北区は、昔ながらの景観を保っている場所で、二階建てまでの建物しかない。

 連なる瓦屋根の中、一つだけ突き出た時計台が見える。

 徒歩で十分もかからない所にあるそれは、北区のランドマークであり、唯一の高層建築物になる。


 しばらくぼんやりと藍の空を仰ぐ。どこであろうと、見える星に大きな違いはない。多少位置が異なるだけだ。

 夜型の迅はこれから仕事の時間である。

 ネギが飛び出た買い物袋を下げた地元民がのんびり家路をたどる横を、ベルを鳴らした自転車が通りすぎていった。

 午後六時を告げる時計台の鐘の音が鳴る。その音は乾いた大気によく響いた。

 一度大きく息をついた迅の肩が下がる。


「さて、仕事でも始めますかね」


 小さく落とされた声に、動作で応えるモノたちがいた。

 三和土の脇に置かれた傘立ての中、唐笠お化けが、わずかに傘を広げる。

 扉脇、軒下にぶら下がった提灯お化けも一回転し、裂けるように開いた大口から長い舌を出した。

 果たしてそれらは応援されているのか、小馬鹿にされているのか。真実は知れない。


「じゃあな」


 声をかけると提灯お化けが、パクンと口を閉じた。

 嫌われている感じはしないため、いつも気軽に話しかけている。

 先住民の妖怪たちは人語を話さない。

 幼い頃から妖怪とも接してきた迅は、百年を超えてさほど経っていないモノは、話せないことを知っていた。

 星が瞬き出した夜空のもと、観音扉が重々しい音を立てながら、再度固く閉ざされた。

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