蔵は大所帯 2

 

 白々とした人工的な白熱電球の明かりを受け、そのずんぐりとした体つきの白い毛が煌めいている。

 愛らしい狸のぬいぐるみと見紛う見目なれど、先ほどまで小さな足音を立てて、部屋を掃除していたモノだ。

 蔵の上座側、玄関扉を真正面に構える囲炉裏端を定位置としており、い草の円座にちんまりと座し、新聞を広げている。その姿は堂に入っており、さも蔵のヌシ然としていた。

 実際、主である。

 迅が蔵神の前へと塩を盛った小鉢を供えた。


「蔵神様、申し訳ありません。遅くなりました」


 蔵神の器用に動く前足が新聞を畳み、きょろりと動いた黒い眼が迅へと向いた。


「いや、構わん」

「部屋の掃除ありがとうございました」

「ここは吾の家ゆえ、当然のことだ」


 澄ました顔で応え、新聞を脇に置いた。

 迅は夜型人間で、昼夜逆転生活を送っている。そんな迅を蔵神は毎夕、ぼこぼこと音を鳴らし、起床を促してくれる。一体何を叩いているのか、いまだ判然としていない。さらには迅が身支度、食事の準備をしている間に蔵中を掃除してくれる、なんともありがたい神だ。

 そんな蔵神は、塩に目がない。

 こんもりと塩が盛られた小鉢を目にすると、機嫌よさげに太い尻尾を振った。釘付けになっているその小鉢の横に、水を並々と注いだグラスも置く。

 塩と水。蔵神の食事はたったこれだけだ。

 そして迅が対面に腰掛け、己用の皿も並べ終わると、ともに手を合わせた。

 早速、蔵神が小鉢を抱えて塩をぺろりと舐める。さも満足げに、にしゃりと笑った。


「この塩は、本当に旨い」

「故郷の物を気に入ってもらえてよかったです」

「やはり塩は海塩に限るな」

「そうですか? 岩塩もいいと思いますが」


 ぐぐっと鼻筋に皺を寄せた蔵神がグラスへと前足を伸ばす。


「あれには小石が入っているだろう」

「……それは質がよくなかったのかもしれませんね」


 一気に飲み干されたグラスが、タンッと音高く木枠に置かれた。すかさず小鉢にかじりつき無心に塩をむさぼり始める。過去によほど不快な思いを味わったのかもしれない。

 迅の実家にも似た存在である屋敷神やしきがみがいる。

 だが蔵神のように塩と水だけを好むわけではない。

 もっぱら日本酒である。人はそれぞれ食の嗜好が違うように、神も同じく異なっている。

 蔵神は、塩にはこだわりが強いらしい。

 なるほど、と思いながら迅は、冷えた卵焼きを箸で割った。


 早々に塩の半分を平らげた蔵神が、囲炉裏内を見つめている。しばらくするとその視線の先で、灰が盛り上がり、もぞもぞとゆるやかに動き始めた。


 妖怪――灰坊主あくぼうずだ。


 もぐらと変わらない大きさで全身が灰に覆われ、その外見からでは人型なのか動物型なのかすら窺い知れない。

 灰の中を縦横無尽に移動し、時折吊り上がった両眼と長い二本の腕を覗かせる、やや不気味な妖怪でもある。

 迅はいまだその全貌にお目にかかってはいない。

 今、季節は秋。そろそろ火鉢が恋しい季節が近づいている。灰の中でうごめく灰坊主も、赤々と燃える炭を今か今かと待っているのかもしれない。

 しかし密閉性の高い蔵内で炭をおこすわけには、いかないだろう。

 なぜ囲炉裏自体があるのだろう。

 そう疑問に思いながらも、迅は直接蔵神に尋ねてはいなかった。


 なぜなら、封術師である迅が一族の慣習により、蔵神と妖怪だらけのこの蔵ハウスに引っ越してきて、まだ一週間しか経っていない。

 先住民である妖怪たちはおろか、主に蔵神との距離を計りかねているからだった。


 蔵の護り神は、それはそれは恐ろしい神なのだ。

 もし怒らせようものなら、いかなる報復をするか予想もつかない気性の荒さを持ち合わせている。

 迅は幼少期に故郷で見たことがある。

 怒り狂った蔵神が、蔵に閉じ込めた人間たちもろとも崩れさった瞬間を。むろん中の者たちの末路はお察しである。

 蔵及び家の護り神は、己の敷地内では人間ごときでは抗えない恐るべき力を発揮する。

 古来、日本でいい伝えられてきている神が家屋に居着けば、その家に住まう者は安泰だというのは事実である。

 それは家人の懐事情のみならず、家屋自体にも及び、通常、一般的な住居より末永く保つものだ。

 にもかかわらず、この蔵はおかしかった。それは――。


 コツ、と木枠の上で飯碗が底を鳴らした音で迅は我に返る。

 少し考え事をしている間に、微弱に震えていた汁椀はすっかり大人しくなっていた。

 汁椀を取り上げ、口許へと運びつつ、さりげなく視線を周囲へと投げる。室内は掃除を欠かさない蔵神のおかげで塵一つなく、清潔さを保たれている。

 だがしかし板壁は、亀裂がない面を探すほうが難しく、歩くごとに色褪せた床は盛大に軋む始末。二階の二箇所ある観音扉の窓は、固く閉ざされていて、隙間を開けることすらできなかった。


 ここが、いつ頃改修されて住居になったのか定かではないが、あまりに損傷が激しい。

 そのうえ傷みは、外壁にも及んでいる。先人の粋を凝らしたなまこ壁が四面に張り巡らされているものの、とうに白さは失われ、至る箇所にヒビが入っている。

 目を覆いたくなるほど、ひどい経年劣化具合だった。内部に虫食いがないだけマシといったところか。

 目前の蔵神は、白熱電球より白く明るく神気に満ちている。


 そんな力を持つ神が御座おわすこの蔵が、ここまで老朽化が進んでいるのは、かなりおかしなことといえた。


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