第11話

 書庫に灯りがついている。小さな書庫の窓から漏れる光。カーテンの隙間から、微かに夜を照らす。

 その明かりは人の存在を感じさせる。書庫という存在を、沈黙した書物のよどみから、生成される若葉がみのる場所のように変えていた。

 

「おかえり、雄一」

「ただいま」


 ドアを開けると、来るのに気づいていたように、雫はドア前にいた。鍵音で分かったようだ。


「どうしたの」

「本を図書室に忘れてきたから、別の本でも読もうかと思って」

「そう、何を読んでいたの」


 そう言われて、タイトルを思い出そうとして、スッと出てこない。

 日本近代の読書論を述べる学術文庫だったのは覚えているが。読者層の変遷や音読から黙読への変化の意味を探究していた。


「本棚、作りなよ」


 タイトルや内容を答えない俺に、雫は話題を変える。自分の部屋には、本棚をおいていない。家具は、電動昇降デスクとイスとベッドがあるぐらい。辞書と教科書類は、スチールラックに横積みされている。


「本はここに集まっているだろう」

「吸引力、そこまで上げた覚えはないよ」


 雫は、机の上の読んでいた本を手に取る。

 

「どう、エマーソンの『自己信頼』とか」


「自己啓発みたいな本だな」


「そうだね。啓蒙というより啓発」


 知識は蓄えて、行場もなく溜まって濁っていく。使われない知識は淀んでいく。


「雫は、今、それを読んでいたのか」


「だいぶ前に読んだから、すこし読み返していただけ。もう棚に戻すよ」


 雫は危なげなく、本棚の中段に本を戻す。

 それから、雫は、じゃあね、と靴を履いて、書庫から出た。本を持って行くこともなく、目当ての本がなかったのだろうか。それとも――。


「はぁ、自己啓発って読む気しないな」


 なにかが本を読んで、変わるかもしれないという期待を望んでいても、そういう人生を変える系の本は読みたいと思わなかった。片付けや断捨離すれば、変わるというライフスタイルの本も同じだ。こうすれば人生上手くいく、モテる、成功する――――。

 でも、雫は読んだことはあるのか。読むとしても、いずれだな。もっと時間が過ぎてからでいい。

 あのときにこの本を読んでいれば、と思えるほど、読書してきてないわけではない。どんな本も似ている部分が多くて重なっている。


 さっきまで雫が座っていたであろうイスに腰掛ける。電気スタンドはついたままだ。

 机から手を伸ばして取れそうな本を、本棚から取り出す。小説の本か。カバーからブルーライト文芸系列だろう、と思った。青くてエモくて泣けるらしい。小説で泣いたことなんか一度もないからよく分からない感性だ。誰かがいなくなれば、消失すれば、泣けるものなのだろうか。


 前半部分を読んでいると、母が書庫の扉を開いた。玄関から帰ってきなさい、とお小言をもらった。ご飯はもうできているらしい。

 雫は、今日は晩ご飯をうちで食べていたそうだ。向こうの両親が用事で不在だったから。

 


 ◇ ◇ ◇



「なぁ。神崎。偶然という言葉には限度があると思わないか」


「やだなぁ。朝倉くんは。通学路は重なっているわけだから、出会うのは自然じゃない」


「そうか」


「そうだよ」


 どのみち同じクラスだ。ここで合わなくても、数十分の違いしかない。

 本を閉じる。青春の難病悲劇は一時停止だ。

 登校という日常の現実に戻ろう。


「朝倉くんもラノベ読むんだ」


 閉じられた本の表紙を見ていたようだ。

 そういえば、ブックカバーをつけていなかった。忘れていた図書室の本につけたままだ。


「ラノベ?」

 

「キャラクターの絵が描いているのは、ラノベじゃないの」


「そうか。そうだな。ラノベだ」


 定義なんてどうでもいいものだ。それがラノベだと自分が感じるならば、ラノベだ。先生もそういう判断で、朝の読書の時間の本はザックリと判断するだろう。


「朝倉くんって、感情移入とか絶対しないタイプそう」

 

「どうした。また心の知能指数の話か」


「そうじゃないけど。いつも同じ顔して、本を読んでるから。難しい本読んでいるのか、泣ける本なのか、笑える本なのか、全然分からないんだよね」


「神崎は、顔に出るのか」


「わたしはね、必死に我慢するよ。だって、変な子って思われそうでしょ」


 神崎は感情を我慢する表情を上手にオーバーにしてみせる。


「それなら影響はないな」


 苦笑しながら俺は答えた。


「あっ、皮肉だ。意地悪は好きな子に嫌われるよ〜」


「元カノから嫌われようと必死になっているんだ」


「ふふっ、朝倉くんは、面白い返しをしてくれるね」


「神崎がそういう態度だからな」


 適当に言葉を合わせながら、俺はいつもどんな顔で本を読んでいるのだろうと疑問に思っていた。

 雫は読んでいるとき、まるで本をめくる指先とページだけが動いている清逸な世界にいるようだった。

 自分は、そういうような読書スタイルを真似ながら、たぶん全然違う雰囲気をかもし出しているのだろう。良くない、きっとあまり美しくない――。


「必死に嫌われるために、映画デートに後輩を呼んでいいか」


 最近の巻き込まれようへの意趣返し。

 ついでに野次馬根性が高すぎる後輩への意地悪。

 一石二鳥の断られるであろう冗談を口にする。


「朝倉くん。男の子かな、女の子かな、それとも、それ以外」


 神崎は端的に質問する。


「女子だな」


「うんうん。隅に置けないね、朝倉くんは。いいでしょう。元カノとして、しっかり品定めをしてあげようじゃないか」


 意地悪のつもりが、何故かノリノリな神崎だった。元カノアピールのいい機会とでも思っているのか。

 小姑みたいなことを言った神崎は、楽しそうに笑って、俺より先にどんどん歩いていった。

 きっと、「やっぱり今のなし」と言われないために。

 冗談のつもりだったんだがな。訂正はさせてくれないようだ。

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青春ページの終わりの先に 鳴川レナ @morimiya_kanade

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