第10話
「先輩、何も変わらなさすぎて、つまらないです」
放課後の図書室、図書委員の御影志帆は、退屈そうに文庫本を開いたまま言った。顎を机にのせて、伸ばした腕が机にベタッとくっつけている状態。だらしない格好かつ読書には不向きな体勢だ。
でも、つまらないのは小説のストーリーのことではない。神崎との元カレ発覚からのドタバタ喜劇のなさについてだ。
「その距離で文字が読めるのか」
「視力いいんですよ。――って、盛大に誤魔化そうとしましたか」
「人間らしい会話だろう」
「今は、対話篇のような横道にそれない真っ直ぐな会話であるべきです。イエスかノーかのウミガメのスープです」
ウミガメのスープのようなナゾナゾはないんだが。
気の抜けた日常会話で我慢してほしい。
「さっきのつまらないって会話の切り出しに、イエスかノーかで答えるのか」
「先輩、揚げ足を取ると、女子の機嫌の海底火山で沸々と煮えたぎる名状し難いものが溜まって噴き出しますよ」
「ずいぶん長々しいな」
「ラヴクラフトさんがわたしにそう言えと」
「いつからそっちのホラー好きになったんだ」
ドロドロな人間関係の話にも怖さはあるけど、宇宙的な恐怖とは別物だろう。
「いえ、一番恐いのは、ちっぽけな人間ですよ。で、話を戻します。先輩、背中を包丁で刺される展開まで、どれくらいですか。あまり遅いと読者は逃げますよ」
「どう話が戻れば、俺の背中に剣士の恥がつくんだ」
「だって、美少女の元カレだったという、爆弾が投下されたわけですよ。不発弾なんて、そんなオチではすみませんよ」
後輩がニコニコだ。これから面白いことが起こりそうで、それを特等席で見たいという願望を隠す気がなさそうだ。
ドロドロの人間関係を見たがる自称純愛主義者。
「爆弾の解体は得意なんだ」
「ああ、元カノとはうまくやっているプレイボーイでしたね」
「……」
本を読もう。会話は切り上げ時が大事だ。どう考えても、ただの雑談になっている。中身のない会話だ。
「……」
御影も飽きたようで、するすると本の方に向かった。図書室では静かにするのがマナーだ。
少女は、つまらなくない恋愛小説に夢中になっていった。その様子を視線の端に捉えながら、読書を続けた。
◇ ◇ ◇
「お疲れ様です」
「本当にな」
ついさっき、放課後のチャイムがなり、下校時間のお知らせがあった。生徒は速やかに下校するように、というおなじみの放送だ。
「
「まぁ、いいが。集中しているのはいいことだ」
カウンター業務の全てを一人ですることになった。隣の図書委員は読書に熱中していたから。自分には、もうそこまで読書に引き込まれることはない。徹夜本なんて、もうずいぶん昔だ。
「いえいえ、ここまで仕事を放置したのは、もう、身体で払うしかない展開です」
後輩が言いたいだけであろう、気持ちのこもってないテンプレセリフを言う。
「そうか。今度の書庫の整理は、任せるな」
「そんな肉体労働的な意味に取りますか、普通」
気力なさげに彼女は言ってから、いいことを思いついたかのように、ニヤリッと笑う。
「先輩、デートしてあげます」
「間に合ってる。図書室デートしてるだろう、週二以上も」
なにも起きない退屈を自分の力で解決しようとするのはいいことだが、俺を巻き込まずに、自分の恋愛関係でハードな愛憎劇は紡いでくれ。
「先輩は物事を都合の良いように考えすぎですね。デートとは、オシャレして、プライベートで女子に奢るイベントです。委員会の活動はデートに含まれません」
後輩女子が仕事をしてもらった挙げ句、奢られようとしている。なんて都合のいい考えだろうか。
「冗談です。私は、割り勘を許容できる進んだ文学少女ですよ。男女平等。性別なんて関係ないですよ」
「早く帰るぞ」
「うん。先輩は今日もつれない」
御影は、読んでいた本をカバンに入れて、カウンター机の整理を終わらせる。
ドアを開けて、カウンターのスペースから出る。
「先輩、私は思うのですよ、燃料を投入し続けないと、火は消えるって」
俺の元カノ話を燃やし続けようとしないでいい。
「それで、恋愛話には新しいヒロインを追加すればいいっていうお約束か」
「
下駄箱で御影と別れる。
どうも、周りに愉快犯が多いなぁ。自分から燃料の
さて、帰りも本でも読んで――、カバンの中を探すが、本が見つからない。
図書室に置いてきたか?
仕方ない。今日は手持ち無沙汰で帰るか。夕日が沈んでいく方に、川縁の道を歩いていった。
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