第8話

 

「まーた、本読んでる。歩き読書は危ないよ」


 薄手の文庫本を目を落としながら、登校していると、後ろから声をかけられる。

 振り向かないでも分かる。神崎だ。

 足をとめて、本に付いている紐で、ページにしおりをする。


「なんだ、元カノ」

「わたしの名前は、神崎渚沙なんだけど」

「悪かった。で、どうした、神崎」

「用がないと声をかけたらダメなのかな」

 

 あんまり用がない場合は、話しかけてこない方がいい、と思うが。

 邪気のない神崎の顔を見ていると、何も言い返す気になれない。

 でも――。


「いいのか、元カレと歩いていても」

「円満に別れましたから。サンちゃんも分かってくれたんでしょ」

「三ノ宮のことか」

「そうだよ」


 一緒に並んで登校なんてしていれば、その分かってくれた人は、理解を取り下げそうだ。


「それにほら、元カレとは、上手く不時着したことにしておかないと。綺麗さっぱり、なーんもなく、友人に戻ってますってアピール」


 元通りに戻ったら、普通、異性だと一緒に登校する仲にはならないと思うが。

 偶然会っただけだから、別にいいのか。


「教室で、あんな演技をしておきながら」

「あれは、冗談でしょ。明らかに」

「あれが冗談ですむなら、元カレだったことも冗談でかき消してくれよ」

「あはは、無理っ」


 そんな笑顔で言われてもなー。


「あ、そうか。朝倉くんには、元カノがいるんだよね。どうなの。元の関係に戻ったりしないの」

「・・・・・・」

「ごめん。やっぱ、なし。うんうん、ひとそれぞれだよね」

「おれ、キツい表情していたか」


 平然としていたはずなんだが。

 昨日、書庫で雫と会ったせいか。


「少しね。尻尾を踏んだか、と。でも、朝倉くんを元カレ役に選んで正解だったなぁ。朝倉くんは、わたしのことを好きになったりしないだろうし」


 神崎は言って、こちらに微笑む。


「なんだ、モテすぎて困っているのか」


 元カレ役を引き受けても、男除けのためのニセ彼氏までは引き受ける気はないからな。ライトノベル的なテンプレに付き合うほどの労力はない。元カレだったら、終わった恋愛だから、これ以上なにもしないでいいけど。ニセカレだと、延々と時間を使って、クラスメイトに、そういうフリをしなければならないのだから。

 それは、さすがに、疲れそうだ。


「美少女だからね、朝倉くんが言うには」

「そうか」

「むっ。生返事だ」

「分かるか」

「わたしは、表情が読めるのだよ。・・・・・・うそうそ、でね、あんまり読みたい本もないのに、けっきょく、本を読んでいる文学青年に。持ってきたよ、新しい本だっ」

 

 なんだか、そのまま投げてきそうな言い方だ。

 神崎の手には、白い背表紙の本。理系ミステリとか呼ばれている小説。ドラマ化かアニメ化か忘れたけど、映像化もされていたような。


「朝倉くん。こういうの好きそうじゃない」

「読んでるな」


 予想していたのか、特に驚いた様子もない神崎。

 それでも少しは落胆したようで――。

 

「――朝倉くん、読んだ本リストを出さない」

「そこまでする必要はない」


 本屋の本の一割も読んでないだろうし。本は、おびただしい数があるから。現代のバベルの塔だ。落雷のように、焚書でも起きないかぎり。いや、起きても無数の本があるだろう。読むだけで、人生を何周でも回れる必要があるほどの。


「うちの書庫の本も読み終えてないし」

「家に、書庫があるご家庭・・・・・・。だいたい、一日何冊とか読むの」

「一冊だよ。2,3冊いくときもあるけど。薄かったり、熱中したり――。本によるよ」

「高校生って、月一冊ぐらいしか読まないよね。たしか、図書室のポスターに書いてあったけど」

「あくまで平均だな。全く読まない人もいるから。読書する側が、かなり引き上げてる」


 喋っているうちに、もう校門に近い。

 さすがに、このまま仲よく、登校を最後までするつもりはない。

「映画、忘れないように」と言い残して、神崎は先に行った。

 それから、少し時間をあけるために、読んでいた本に戻った。時間を潰すための、読書に。しおりを挟んだページ。どこのぎょうからだったか忘れていて、一行目から、読み始めた。

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