第7話
家には、あとでリフォームされて追加された一室があり、そこは書庫となっている。家から、庭に向けて、不格好に四角に張り出している部分。
庭に面してドアが一つあって、家の中を経由せずに、直接、書庫に入れる。
壁一面に本棚が置かれていて、本が並べられている。床にも、段ボールに詰められて本。人によっては、もう一生分の本の数だ。
本の山。本に埋もれて死ぬならば、本望とでも言えそうな一室だが、本棚は地震対策でしっかりと固定されている。
少し小さめの机が、家に続くドアのところに置いてある。そして、今日は、珍しく、そこに先客がいた。
柔らかいミドルの髪が、まっすぐにおりて、肩にわずかにかかっている。耳の上に、赤いふちの眼鏡のつる先が見える。
「雫」
「雄一」
雫は、机の前の椅子から立ち上がる。別に読書中というわけではないようだ。机の上の小さめのぬいぐるみ――クマにサメに恐竜にいつの間にか増えていた住人――をつついていたようだ。
家同士で、共有している書庫スペースとなっているから、雫のところの本も、だいたいが、ここに置かれてあるし、合鍵だって当然――。
「どうした、本でも探しにきたのか」
最近は、めったに来てなかったはずだ。本が、移動した痕跡から察するに。
「ううん・・・・・・本、あんまり増えてないね」
「おかげで、積読していた本がなくなってきた」
うちの親も雫の親も、読書をそれほどしなくなっているから、増える場合、雫か俺が増やしていた。
雫も、中学の途中から、読書のスピードが収まっていたから、高校一年ぐらいまで、ほぼ一人で蔵書を増やしていた。
荷物をとりあえず、床に下ろす。
雫は、本棚の方を見て、背表紙をいくつかつついたあと、高校生ぐらいがよく読む科学の啓蒙の新書を手に取る。
よく見えなかったが、生物系の本だろう。原生生物のような表紙。
「神崎さんと付き合っていたの。そんなふうには・・・・・・見えなかったけど」
穏やかな口調で言いながら、さっき取った本を開く。
「二、三回話しただけだ」
それが付き合っているという言葉を確立するには、十分ではないことぐらい――、誰だって分かる。
お気に召さないのか、雫は、本を元あった場所にそっと戻して、人指し指で優しく奥までつき入れる。
次に、「学問の発見」を手に取ったのが分かる。
「関心は変わっていくよね」
「せっそうないんだよ」
「日本近代文学、ミステリ、海外の作品、新書に、SF、ライトノベルも」
化石の標本を見るように本棚を横へと動いていく雫。本が、まるで自分たちの地質の年代のように感じる。
「本当は・・・・・・だれも好きな人なんていないんでしょう」
「・・・・・・」
「分かるよ。雄一は、あんまり決められないタイプだから。わたしが読んでいた本ばかり追いかけてた」
「もう、俺の方が読んでいる」
小学生の低学年から本を読んでいたアドバンテージは、もうないだろうし。それに、もう今は、読書量の多くを占めていた児童文学の本を読む年齢でもない。
「そうだね」
雫はスカートを折りたたんで、しゃがみ込み、下の段の本を見つめている。1980年に創刊された小学生が読むような文庫の本が多く並んでいる。
「しばらく読んでないから」
雫が、手に取ったのは、小学六年生の頃、一番好きだと言っていたジュブナイルSFだ。ちょうど俺も読書に熱中していた頃だ。
本の虫と呼ばれる人からしたら、遅咲きの読書家だっただろう。いろいろと進められる本が多すぎて、戸惑っていた。
懐かしそうに、表紙を見てから、また、元あった位置へと戻した。
「わたしね、たしか、一番影響を受けた小説とか言ったと思う」
「言ってたな」
「でもね、一番影響を受けている存在は――、雄一、なんだよ」
そんな直裁的な恥ずかしいセリフを落ち着いて言ったあとに、本を一冊だけ持って、雫は、またね、と言って、書庫から出て行った。
雫がいなくなって、ようやく本の香りにまじって、雫の匂いがかすかに漂っていることが感じられた。自分が知っていたはずの書庫の匂いだ。
見送った後、俺は、雫に置いて行かれた生物系の新書を手に取って、そのまま読み始めた。
生命の進化の歴史が、カラーの図を惜しみなく使われていた。より複雑になっていきながら、変わりながらも、残っていくもの。母親に呼ばれるまでに、100ページ近くまで進んでいた。
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